嘘(うそ)とVTuber

このブログでも、何回かVTuberについてとりあげてきたが、というか、ほとんどホロライブについてしか言及してきていないが。
ただ、世間的になぜ今、VTuberが注目されているのかといえば、明らかに、

  • スパチャ

による、課金額が驚くべき金額になっているからなのであって、これは一つの

  • 現象

として受けとられている側面がある(これと同じことが、スマホゲーの課金ガチャについても言えるが)。つまり、明らかに

  • マネタイズ

されている、ということが「新しいビジネス・モデル」として注目されている、という構造になっている。
しかし、そういった傾向が強まれば強まるぼど、世の中には「アンチ」が登場するわけでw、そこで必ず攻撃目標になるのが、そのスパチャの

  • 低学年化

であることは分かるだろう。まだ、社会人にもなってなくて、自らで給料を稼いできるわけでもない子どもが、なけなしのお金を「貢い」でいるんじゃないか、と疑われ、その「射幸心」を煽るスタイルが、攻撃対象となるわけだ。
もちろん、こういった側面はあると思っている。ただ、こういった近年見られるようになってきた「スパチャ」、つまり、

  • 寄付(きふ)

をベースにした行為は、単純にそれを否定できない側面があると考えている。なぜなら、もしも寄付を否定するなら、あとは「経済行為」になるわけで、つまり、それらのサービスを

  • 定価で売る

という、今までのビジネススタイルを選択するしかない。しかし、この方法の欠点は、

  • お金のある人しか買えない(見れない)=お金のある人しか買わない(見ない)

わけで、昔からある「ニッチを狙うビジネススタイル=ファンクラブの会員から、お金をせびるスタイル」となるわけで、ジリ貧なわけだ。そもそも、アーティストは、自らの作品を人々に見てほしいわけだろう。誰かが見てくれるから、話題にもなるし、影響力も出てくる。つまり、地道な宣伝という名の「ブランド作り」を行わなければ、誰に対しても影響力をもつことはないわけで、そう考えるなら、今の日本の衰退の原因をよく現している、と考えられなくもない。
そういった視点で考えるなら、以前、柄谷行人も、自らの本を例にして、

  • 無料で読んでもらって、その後で、読んだ人に、その満足感に見当った金額を払ってもらう

という、どこか「スパチャ」に似たスタイルの、出版スタイルを提案していたこともあったわけだ。
結局、収益化の額が大きければ大きいほど世間は注目するわけだが、当のVTuberたちの状況は、お世辞にもハッピーなものとは言えないだろう。というのは、ニュースにもなっているように、多くのVTuberが

  • 精神を病んでいる

という端的な事実がある。その原因はいろいろあるのだろうが、まず、大きなプレッシャーを感じざるをえない場所に追い込まれていることは確かだろう。マネタイズするかどうかは、ほとんど、

  • 流行

と変わらない不確かなものなわけで、いつ「ブーム」が去るか分からない。なんにも自らを安心させる要素はないわけだ。
(もう一つ、決定的にダメだと思うのは、慢性化している「深夜配信」だ。クリアするのに時間のかかるゲームをやるのに、確かに、競争するライバルの配信もない深夜は選択しやすいのかもしれないが、必然的に彼女たちは

  • 体を壊して

いる。あんまり世の中を知らないので、気付いていないのかもしれないが、そういうのを「長時間労働」のブラック企業と言うのであって、確実に鬱(うつ)症状を悪化させる。)
そういった業界の厳しい状況の中で、今年もホロライブの新人として、6期生がデビューしたわけだが、正直、私の印象はよくない。というのは、この新人たちが、そもそも

  • ホロライブのヘビーなユーザー

であるため、彼らの会話の「全部」が、先輩の「パクリ」だ、という見苦しさがある。つまり、完全に面接に失敗している。全員、ホロライブの「コンテンツ」を勉強しすぎて、まるで

  • ホロライブの先輩より「うまく」ゲームができる

ということを自慢しながら、デビューしてきた連中ばかりで、ようするに「オタク」を見せられている、「見苦しさ」がある。
しかし、逆に考えてみると、なぜそういった連中が、どうしても倍率の高い面接で選ばれてくるのか、と考えてみると、それだけ、この現場が「過酷」だ、という認識があるからなわけだろう。
私がホロライブに注目し始めたとき、主に、私が関心をよせていたのは、兎田ぺこらだった。当時は、彼女のスパチャ金額のランキングで、世界で常に上位にあった。ただ、それ以降は、おおむね、ホロライブのみんなが、上位にランクインするようになり、それと共に、ランキング上は、ぺこらはそこまで目立つ存在というほどでもなくなったのかもしれない。
こういった傾向には、おそらく、彼女がその頃にやっていた、ゲームの種類なども関係しているのかもしれない。
ただ、ここで私が言いたいのは、彼女が、いわゆる「才能」にあふれた才女で、その天才的な能力を礼賛したい、なんていうものではまったくなかった、ということが、どこまで伝わるのかが疑わしいわけである。そうじゃないわけである。彼女は、確かに独特の「話芸」のようなものはあったのかもしれないが、はっきり言って、どのゲームも、下手糞だ。ただ、なにか、ひきつけるものがあったのだ。
おそらくそれは、彼女が「人見知り」だ、ということと関係しているのだろうと思う。いつだったか、マイクラでぺこランドの開園をしたときに、兎田建設のメンバーが集まってきてくれたわけだけど、明らかに、彼女は「緊張」していた。そもそも、人と話すのが苦手で、一人で部屋にいるのが好きな人なんだな、ということが分かるわけである。

ぺこら:(コメントの中から)どれがいいか選んで?
ぺこらの母:これかな。「普段のぺこらはどうですか?」
ぺこら:どう?
ぺこらの母:どうかな...。
ぺこら:でも基本...出ないかw
ぺこらの母:ね。いつも自分のお部屋に居るよね。
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いっつも、自分の部屋にいて、リビングに降りてきても、飲み物をとってきたら、すぐに部屋に戻る。外に出るのも、近所のコンビニに行くくらいしか、ほとんど外に出ない。そもそも、重症の「人見知り」だから、小声でしか、定員に対してさえ話せない。
彼女の配信の特徴は、こういった彼女の「特徴」と切っても切れない関係にある、と言わざるをえないわけだろう。
例えば、ぺこらとはまた別のキャラではあるが、湊あくあは自らも認める

なわけだ。

あくあ:あたし...、無理なんだよ、あたし。人としゃべんの。だからさあ、一人で外食とかも、超苦手で、注文とかも、あのー、メニューとかピッって、小指、さ指して、「あ、これで」みたいな感じでやるんだけど。
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つまり、どういうことかというとさ。普通、社会人になると、こういった人と知り合う機会って、ほとんどなくなるんだよね。みんな、

で、ガツガツとがっついてくる、「肉食系」ばっかりだよねw つまり、こういった「人見知り」するような人たちって、社会人として、

  • 排除

されて、日の目を見ないわけ。ところが、さ。このVTuberの世界では、そんな彼女たちの「居場所」があるんだよね。そういう意味では、ある種の

としての役割を果している、という特徴があるんだ、と思っているわけである。
しかし、他方において、かなり精神的に厳しいんじゃないかな、と思わないでもないところはある。まず、「生放送配信」は、明らかに、プレッシャーだろう。ちょっとでも「失言」をすれば、アーカイブとして残るわけで、こういったことを、何年も続けるというのは、並の精神力では無理なように思われるわけだ。
こうやって考えてくると、確かに、こういった特徴の差があることは分かるんだけれど、逆に、こういった人たちって、どうして、そういった性格になってきたのかな、と考えてしまうんですね。
そう考えていたら、最近の、湊あくあの雑談配信で、おもしろいことを言っていた:

あくあ:(子どもの頃の)持久走の思い出はないです。体力ないから、一周遅れになって、恥かしい記憶しかなくて、もう持久走、出たくなさすぎて、休んだりしてた。あ、今日はちょっと足が痛くて、とか。でも、なかなか、簡単に休めなくて、さ。お母さんとかに、ノートに、こうこう、こういう理由で休みます、っていうのを書かせないといけないんだけど、お母さん、書いてくれないわけじゃん、よんとに、病気とかじゃないと。どうしようとなって、クラスにめちゃくちゃ字がうまい子がいて、その子に「お願い書いてください」って言って、当時、小学生の湊あくあは、どうしても持久走、休みたすぎて、全然仲よくないのに、ほんとに持久走を休みたすぎるあまりに声をかけて、ノートに、今日は、まるまるなので休みます、って書いてもらっていた。
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私がこの話を、興味深く聞いたのは、そもそも「学校」という所が、

  • 半強制的に、子どもに「嘘(うそ)を言わせる」

構造になっている所なんだ、というのを気付かせてくれるから、なんですね。あのさ。子どもの頃の学校って、どう考えても、体力に差がありすぎる子どもに対して、

  • 一緒

に、同じことをやらせようとしすぎ、なんだよね。そりゃ、体力がなかったら、持久走がやりたくないに決まっているじゃないか。だったら、なぜ学校は、そうであるのに、

  • 強制

するのか、なんだよね。やらないに決まっている。つまり、そんなのは誰だって分かっているわけ。そうであるのに、学校は

  • 建前上

は、「止めてもいい」と言えないわけ。その代わりに、

  • 本人に「嘘(うそ)を言わせる」

ことで、形式的な不参加を「認める」という手続きを踏ませる。まあ、一種の

  • 踏み絵

だよね。あのさ。こういうことの一つ一つが子どもを傷つけるんだよ。こうやって「嘘(うそ)を言わせ」られるたびに、子どもは傷ついているわけ。そして、自分に「負い目」をもつようになるわけ。あのさ。これって、

  • 残酷

すぎないか...。これが、今の私たちの社会の「正体」なんだよね。「弱い人」たちに、あらゆる場面で、「侮辱」を与えて、傷つけて、自尊心を失わせて、そりゃあ、みんな、人嫌いになっちゃうよ、こんなことを繰り返していたら。
まあ、逆に言えば、そういった傷ついた人たちを温かく迎えてくれる場所が、VTuberなんだ、と言うこともできるのかもしれない。つまり、彼女たちの配信を見て、コメントしてくれている人たちも、こういった

  • 場所

が、どんなに貴重で、大切なのかをよく分かっているわけですね。毎日を、厳しい社会人の中にさらされているのだから。だからこそ、この、視聴者による、温かな言葉が、このアジール空間を貴重なものにしているわけだ...。