ウクライナ戦争の終わり方

今回のウクライナ戦争は、アメリカとEUを中心とした経済制裁によって、完全にロシアを敵、ウクライナを味方とする、敵味方の区分が世界中で確立した。
そう考えると、中長期的に、戦況が長びけば、ロシアが戦線を維持できなくなることは明らかで、どういった形であれ、どこかで「停戦」であり、「終戦」となる、ことは目に見えている。
しかし、もしもそうだとすると、そもそもそれは、どういう意味なのか、が分からなくなるわけである。というのは、今、ウクライナは、アメリカとEUから、完全に「味方」扱いなのだから、実質的には、ウクライナ

  • アメリカとEUの全ての国力を自由に使える

と言うこともできる。さまざまな「国内政治的な事情」から、アメリカやEUからの軍備の協力は、今のところ限定的になっているが、そもそもの本質として「味方」なのだから、一切の

  • 援助

において、なんの制限もないはずなのだ。
つまり、もしもウクライナがどういった形であれ、「生き延び」るなら、当然、ウクライナはロシアに対して、

  • 復讐をやりたい

と言い始めるだろう。このまま、ロシアに自国内を蹂躙されたままで終わらせたくない。今度は、

  • ロシアの国内を「これと同じ目に合わせたい」

と。しかし、これは簡単だ。なぜなら、アメリカとEUが、そのための「援助」をウクライナに対して行えばいいだけだからだ。
まず、航空機だ。そして、爆撃機だ。最後は、核爆弾だ。
当然、ウクライナは、「そういった武器」が、アメリカやEUから、「いつか」は提供してもらえる、と思っている。そして、それをいつか、自分の手を使って、ロシアを滅ぼすことが「できる」と思っている。なぜなら、「今」、世界中は自分の味方だからだ。
そうした場合、もしも、その時が来たとき、アメリカとEUは、そういった「武器」を、ウクライナにあげるだろうか?
このことは逆に考えることもできる。今、確かにアメリカは、巨額な金額の武器の援助を決定した。しかし、その中身を見ると、空軍や長距離ミサイルがない。
まあ、これは「わざと」やっていると言うしかないだろう。
アメリカやEUは、そういった形によって、

ことを意味している。なぜ、そうしてはならないのかといえば、もしもそれをしたら、

  • どっちが「被害者」なのか

が分からなくなるからだ。両方の国民に、甚大な被害が出たとき、本当にそれを国際社会が、一方の国だけを援助し続けるなどという行為が可能なのか、その「正義」が疑われることになってしまう。
よって、なんとかして、国際世論は、「ウクライナを<被害者>のままでいさせたい」とコントロールしているわけである。
しかし、よく考えてみると、これほど「かわいそう」なことはあるだろうかw
一方で、「味方」だと言って、「援助」をしてくれながら、他方で、

  • お前の行動は制限する

とされているわけだから、本当にこれは「味方」であり「援助」なのだろうか?

「ロシア最高指導者(フルシチョフ)が自国の党員たちに対し、自身が『諦めて』アメリカ沿岸から核を撤退させる理由を説明できるようにしてやりたいんだが、そのために、私は何を提供してやれば良いだろう?」
この晩餐会からまもなくして、ロシア空軍とミサイル搭載戦艦は撤退した。その数ヵ月後、アメリカはトルコに配備されていたミサイル「ジュピター」を撤去する。ロシア側からすれば、脅威と不安の種であった戦力が撤廃された訳だ。
courrier.jp

おそらく、「キューバ危機」と今回の事態は似ている。もしも、なんらかの解決(=手打ち)というものがあるとするなら、それは「キューバ危機」が回避されたのと似た経路を辿って実現されるだろう。
しかし、他方において、そもそもアメリカにどこまで、この「戦争」を「終戦」させなければならない、というモチベーションがあるのかは疑問だ。国民が誰一人として死んでいないのに、なぜ戦争を止めなければならないのか? ウクライナの国民が勝手に死んでいくなら、それは彼らの

  • 自由意志

なのだから、止めない、となって、このまま「強行姿勢」を貫いて、次の国政選挙まで、つっぱね続けるとなったら、これこそ、反対の意味での「ウクライナ人を見殺しにしている」ということにならないだろうか...。