ちょっとしたこと

(前回、話題にしたアニメ「パリピ孔明」は少なくとも、ユーチューブ上では次々と感想&考察コンテンツが上がってきていて、反響の大きさが分かるようになってきている。なんといっても、最初の数話を見るだけで、これがなんなのかが「分かりやすい」のが大きい。あと、今、原作の漫画を読んでいるんだけど、比べると分かることは、明らかに

  • 音楽やダンスが原作のストーリー内に埋めこまれた

ことによるインパクトの違いが大きいように思う。渋谷のこういった、若者音楽が実際に埋め込まれると、たんなるリアリティの問題だけでなく、実際にそういった音楽活動をしている人や、そういった消費者である若者たち自身が、このアニメを「身近」なものとして吸収することになるんじゃないか。確かに、原作はストーリーはアニメとニアリーイコールなんだけど、ああいうふうに、実際に音楽が流れるわけじゃないから、なんか、さっとストーリーが通り過ぎちゃって、あんまり印象に残らない感じがあるんだよね。
あと一つ思ったのが、こういった「若者゙」と、ある程度の年齢が上の世代を「孔明」という歴史的な存在を介在させたことで、そこまで違和感なく「共存」させたことが、おもしろいんだよね。つまり、ある意味で「若者」たちの生態の話に、上の世代が「コミットメント」する(アニメを見る)ことを可能にしている。そういった意味では、どこかガルパンが戦車を介して、上の世代のミリオタにファンを獲得した現象に似ているのかもしれない。)
今年もGWが始まって、私はなんやかんやで、10連休になった。ということで、途中、実家に帰る予定ではあるが、まあ、毎年のように、この時期はゆっくりできそうだ。
昨日は、ホロライブの兎田ぺこらのDQ2の配信を見ながら、寝落ちしていたが、なんというか、彼女もDQに慣れてきたなあ、とは思った。あと、こうやって見ると、ドット絵のDQは、3Dに比べて、なにをやらせたいのかの「意図」が分かりやすい、という印象は受けた。確かに、あの画面なら、まず考えるのが、

  • 全登場人物から話を聞く

だよね。そして、その話の全体から次のステップを考えよう、というアイデアが自然であることが自然に、次の行動として導かれていく。つまり、その自明性が、3D版では薄れてしまったんだね(そういえば、DQ8もドット絵版があったような)。
あと、金曜にホロライブの大空スバルのクラナド・アフターの同時視聴があったわけだが、この回は、14話から19話ということで、非常に重要な回だった。
私もそういうこともあって、リアルタイムで見ていたんだけど、16話の彼女の反応としては、どうかな。少し、回りに煽られすぎて、かなり冷めた態度になっちゃったかな、とは思った。残念なのは、その場その場で、フラグに言及するから、興醒めするんだよね。そりゃ、作品なんだから、ずっと前から、渚が出産死することを「ほのめめかし」するのは当たり前なわけでw、それをいちいち、さも自分は頭がいいことを自慢するかのように、フラグに言及されると、まったく、おもしろくないw まあ、そういう意味では制作サイドもこの場面はあまりにショッキングなので(なにせ、作品の前半はギャグアニメであり、美しい青春アニメのヒロインですからね。そのヒロインに残酷な死に方をさせるわけですから)、なるべく視聴者にトラウマが残らないようにしたかったんだろうから、そういう意味では、成功しているのかもしれないが。
ただ、その反動もあってだろうか、18話の汐(うしお)との和解の場面は、ほとんどフラグもなく突然訪れることもあって、スバルも素直に泣いていたように思われる。
結局、この話は「男の目線」から作られているんだよね。まあ、作者が男なのだから当然なのかもしれないけど、つまり、

  • 弱い(自分という)男

が、その弱さを自虐する作品なわけ。朋也が渚が亡くなった後、汐の育児を放棄するわけだけど、もしもそれによって、誰も育児をやらなかったら、この子は死ぬわけだよねw つまり、そういった責任の話は一切、話題にならない。なぜなら

  • それによって

朋也という「主人公という<作者>」が弱い存在であることを強調する「ため」に(自慢するため?)、そう描かれているから。まあ、そういう意味では、うざい作品だよね。
まあ、こういった作品は昔から、延々と作られ続けているわけ。その典型が、村上春樹の『ノルウェイの森』だけど、主人公の「成長」のために、その主人公の回りの

を「手段」として、作者は「悲劇的に殺す」わけ。もう、こういった作品は、あきるほど作られ続けているわけだよね。じゃあ、なんで彼女は死んだのかというと、それは

  • 男である自分が弱かったから

という作品の構造になっていて、それによって、ますます、主人公の「成長」が

  • ばえる

仕組みになっているわけw
だから、そういった視点で考えると、おそらく、この作品の制作者サイドにとって、最も重要で、視聴者に見てほしい場面は、16話じゃなく18話なわけね。18話の結果としての、朋也と彼の父親との和解を描きたい「ため」に、渚を「殺している」わけだから、早く16話を忘れて、18話に「感動」してほしいわけw ところが、だいたい見ているのが男ばっかりだから、彼らが感情移入しているのは女性キャラなわけでw、彼らにとっては16話で、

  • ストーリーの前半のヒロインを「殺す」

作品として、こういったアニメでは、一つの定番となっている

  • 鬼畜アニメ

の一つとして数えられることになる、ってわけだ。
そう考えてくると、今回、大空スバルが女性の視点から、このアニメを見た場合、あまり16話にショックを受けないのは当然のようにも思えるわけだ。男の主人公が、ヒロインを守れなかったのは、男性の視聴者にはショックかもしれないが、女性の視聴者にとっては、たんに

  • 自らの運命

なわけで、それにショックもなにもないわけだ。むしろ、「他人」である夫が、そこまで「責任」を感じていることの方が、どこか「うざい」印象を受けるだろう。自分の運命を自ら選び、生きることは誰にとっても当たり前なわけで、逆に言えば、(夫といえども)なんで他人が、そこまで、ひきずるのかは、なんというか

  • ためにする

ストーリー展開のように受けとられることは、ある程度は自然なわけだよね。
この企画としては、次の金曜で、最終話まで見ることになるので、そこで全体としての振り返りとなると思うけど、まあ、話としては、16話以上に、最終話の方が救いがない終わり方だと言えなくもないんだけどね。ただ、その最終話は、その前半の悲劇と、後半の「ちゃぶ台返し」が一緒に来るので、あっけにとられて終わるんだろうけど。
あと、ちょっとしたことだけど言及しておくと、上記の議論と全然関係ないんだけど、スバルの配信の前半で、スバルがさらっと言った発言で

というのがあったわけだけどw、まあ、これで彼女がユニクロの案件をもらえる可能性はなくなったねw
古くは、郷ひろみだったかが、「自分は絶対にユニクロを着ない」とか言って非難されていたことがあったけど、ある程度のセレブな人たちにとって、ユニクロDISは、そういった

  • 上級国民

にとって、ジャーゴンであり、「日常会話」になっているんでしょうねw
そりゃあ、岡崎と渚の夫婦は高卒で

  • 貧乏

だよ。今なら、ユニクロくらいしか買えないだろう。しかし、ね。ユニクロのビジネスモデルには、多くの批判はあるけど、現代において、ユニクロは「国民服」だよ。そうやって苦労して毎日を生きている多くの日本人を侮辱して、多くの人からスパチャをもらえる存在になれると思う方が傲慢なんじゃないですかねw
昔からホロライブのVTuberは、相当な給料をもらっているのが知れわたっているだけに、こういった不適切発言を繰り返して批判されてきた歴史があるわけだけど、(いろいろ苦労してきたにせよ)お嬢様育ちの彼女の「本性」は、どうしても表れてしまうわけだw
そもそも、なぜスバルがクラナドを同時視聴するようになったのかって、年始めに、視聴者アンケートをやってて、そこで要望が多かったのを「選んで」いるわけでしょ。だから、男性が好きそうなコンテンツが多い。明らかに、彼女の好みでもないし、趣味でもないんだけど、世間的に傑作とされているものを「消費」している。まあ、そういった

  • あざとさ

が、どうしても画面のはしばしに出てしまうのは、こういった「方式」を選んでいる時点で避けられないのでしょうね...。