フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』

カントが、実践理性批判において、叡知界の話をしたとき、彼の頭の中にあったのは、

  • 経験論と合理論

であり、

  • 普遍論争

であり、

  • 科学論=科学哲学

であったと思われるわけで、せんじつめればそれは、掲題のノヴム・オルガヌムだった、と思うわけである(カントがベーコンのこの本を礼賛していることは、よく知られている)。この本とデカルト方法序説がどういった影響関係になっているのかは分からないが(デカルトの方が後だから、デカルトが影響されたのかどうかだけだと思うが)、デカルト以降の近代哲学は、徹底して、このノヴム・オルガヌムが提起した問題を巡って続けられてきた、と言っていいと思っている。
つまり、「自然科学」であり、「自然科学の方法」が問われた時代だった。
しかし、ここで当たり前のように「科学」と言っているわけであるが、そもそもどういった歴史的な過程を経て、こういった問いが成立してきたのか、ということに対しては、やはり

  • スコラ哲学

から始めなければ、当時の問題意識が見えてこないわけであろう。
といっても、ここで膨大な衒学的な議論を繰り返すつもりはない。大事なポイントは、

が、どういった扱いをされたのかにある。
中世において、聖書は、まさに聖典であって、ここに真実があった。聖書とは、神が人々に語った内容を記述したものであって、ここに人々を導く教えがある、と受け取られた。よって、聖書を読み、聖書の示す道を生きることが「道徳的」な人間のあるべき姿として、人々に受け入れられていた、ということになる。
ということは、人々は聖書を読むということになる。しかし言うまでもなく、聖書は文字の羅列であって、ここからなにが書かれているのかを理解するのは、読んでいる人間ということになる。つまり、「解釈」が問われる。
ここにはこう書いてあるが、「これ」が、つまりは何を意味しているのか? この答えをめぐって、果てしない論争が続くことになるわけであるが、ここでの大事なポイントはそれではない。そうではなくて、これとまったく同じことが

  • 自然

に対しても言えるはずだ、ということなのだ。

だが自然を観察する知識については、聖なるかの哲人が宣言している、「事を隠すは神の栄誉なり、事を窮むるは王の栄誉なり」と。他でもない、あたかも神の本性は隠れんぼ遊びをする子供たちの、無邪気で他意のない遊戯を楽しむかのごとく、またその人間への恵みと慈愛のゆえに、人間の心をこの遊びにおける仲間に選んだかのごとくである。

自然は「聖書」である。自然とは、神が人間に「与えた」なにかなのであるから、「ここ」には神の表象が現れている。つまり、自然は神のメッセージなのであるから、そのメッセージを読みとることは、聖職者として求められる生き方ということになる。
よって、自然学者は「神学者」と同一、ということになる。自然は神が人間に与えた「暗号」であるわけで、その暗号は必ずしも解読が容易ではない。しかし、この神が与えた試練は、信仰者には乗り越えなければならないものであるわけで、たとえ時間がかかってでも取り組むに値する価値のある事業なのだ。
ただ、こうした場合に、ある一つの難問があることが知られていた。それが、アリストテレス自然学である。

第一類の例は、自然哲学をば彼の弁証学[論理学]で駄目にしたアリストテレスにおいて、最も明瞭である。というのは、彼は世界をカテゴリーから成立せしめた、最も高貴な実体である人間の霊魂に、二次的志向の語から類を指定した。粗と密のはたらきは物体に、より大きな或いはより小さな広さ、すなわち空間を占めさせるものだが、これを現実態と可能態との冷い[活気のない]区別で済ませた、運動は個々の物体に唯一固有であって、もし他の運動を分有するときには、他から動かされると主張したなど、その他無数のことを、自分の意のままに事物の本性を押しつけた。しかも事物の内的な真理についてよりも、むしろ人が答えるときどのようにして述べるか、また或ることをどのように積極的に言葉に表すかということに、いつもやきもきしながらである。

なぜアリストテレスが特別視されるのかというと、キリスト教神学の発展過程において、アリストテレス哲学が全面的に導入された経緯がある。キリスト教の発展の段階において、アリストテレス哲学との遭遇は画期的なものがあった。というのは、アリストテレスの圧倒的な

  • 体系

としての完成度の高さは、多くの影響を受けにではいられなかったという意味での魅力があったからだ。つまり、それだけ完成度の高いものだったからこそ、当時のキリスト教に説得力をもたせる意味でも、その受容は逆らいがたいものがあったのだ。
しかし、アリストテレス哲学には欠点があった。それが、自然哲学であり、その主張は当時、発展してきていた自然科学の結果と矛盾した内容が主張されていた。しかし、それまで、あまりにもキリスト教神学の中に、アリストテレス哲学を受容していたため、この二つを容易には分割できなくなっていた。この二つは複雑にからまりあって、依存しあっていたため、簡単にアリストテレス哲学の一部を捨てる、というわけにはいかなかったわけである。
そういうわけで、フランシス・ベーコンも上記の引用にあるように、アリストテレス

  • 仮想敵

としたわけですね。つまり、アリストテレスが「敵」であるなら、誰が「味方」になるのかを示さなければならない、ということになる。つまり、それが自然科学であり、その自然科学の「方法」ということになる。

自然の下僕であり解明者である人間は、彼が自然の秩序について、実地により、もしくは精神によって観察しただけを、為しかつ知るのであって、それ以上は知らないし為すこともできない。

そしてこの種の目的と、論証そのものの性質および順序とは合致する。というのも通常の論理においては、ほとんど全労力が推論式を廻って費される。がしかし帰納法については、論理学者たちは軽く言及してやり過し、論争様式を先に急いで、ほとんど真剣には考えなかったように見える。

ところで叙述と実験とを選び出すに際して、我々は従来自然誌に携わってきた人よりも、人々に対してより心を配ったと信じている。何となれば、我々はあらゆるものを、眼のあたり見たような、或いは少なくとも十二分な誠実さと或る最高の厳しさとをもって採用し、したがって何ごとも珍しさのゆえに誇張されることなく、我々の語るところは作り話や空話に、不順にされ汚されることもないのである。

上記の引用からも、その代表的なキーワードがすでに現れている。

「経験論」と言われているように、フランシス・ベーコンが「新しい学問」と言ったとき、それを根底で支えるものは、経験である、とした。つまり、経験していないものを根拠にしてはならない、というふうにルールを決めた、ということである。
しかし、大事なことは、それが何を意味しているのか、にある。帰納法とあるように、科学は、なにかとなにかを

  • 同一

と認めることで、その同一のものの間に成立している諸関係を見つける作業ということになる。しかし、だとするなら、ここで言う

  • 同一

がなんなのかをはっきりさせないといけない、ということになる。その場合、それを成立させる上で重要な役割となるものが、眼のあたりの

  • 自明性

である。そもそも人間は生物であり、この地球上で生き残ってこられた程度には、なんらかの能力をもっている。もちろん、同一の種類の動物を見分け、あれは危険かそうでないかを見分けているし、それができなかったら生きてこれていない。
ということは、私たちはこの「眼で見る」という、二次元の情報から、なんらかの「法則」を見分けて、なにかとなにかを「同じ」とか「違う」というのは、あまりにも当たり前な感じで分かる能力が備わっているわけだ。
よって、あとはそれをどうやって「法則」にするか、ということになる。なにかとなにかを同じと言うためには、問題はそれを記述する、それぞれの用語、つまり、概念がそれまでの

  • 日常言語

として使われてきた意味を、いったん「離れて」、ここで問題になっている、「同じ」「違う」を決定することを可能にする範囲での

  • 再解釈

が必須となるわけである。

概念なるもののうちには、論理学的概念にも自然学的概念にも何ら確かなものはない。「実体」も「質」「能動」「受動」も、「存在」ですらしっかりした概念ではない。まして「重」「軽」「蜜」「粗」「湿」「乾」「生」「滅」「牽引」「反発」「元素」「質料」「形相」等のたぐいは、いっそうそうであって、すべては空想的で悪しく定義されている。

これがフッサールが「現象学的還元」と呼んだものであり、デリダが「脱構築」と言ったものだ、と言っていいだろう。経験論は、この「感覚の自明性」と、「同一性を成立させるための日常概念の再解釈」の二つを同時に行うことによって、成立しているわけであるが、経験論者たちは、ここである勘違いをしてしまった、と言わざるをえないだろう。
つまり、彼らはこの手法が「万能」だと考えた。これによって、

  • 全ての学問

は根底から作り直されると考えた。つまり、経験論は「無敵」だと考えた。ある意味で、この伝統を継承しているのが、分析哲学であり、科学哲学だろう。彼らは、科学が

  • 無限に進歩する

という意味で、キリスト教的な千年王国を科学の中に見出そうとした。科学は、どこまでも発展する。よって、「いつか」は神の真実に辿り着くんだ、と。だとするなら、この道をどこまえもつき進めばいい、と考えた。それ以外の一切の「偽物」を捨てて。
しかし、これに反対したのがカントだった、と言えるだろう。
なぜカントは、実践理性批判において、「叡知界」の話をしたのか? しかもこの「叡知界」は分析哲学の分野では、完全に

  • オカルト

扱いをされているわけでw、なかなかに罪深いものと、カントdisの道具とされていうわけだ。
しかし、一つの解釈として許されるとするなら、カントの叡知界とは、

  • (ベーコンの言う帰納法に対する)日常言語

のことを言っていると考えられるわけで、そんなに変なことを言っていると受け取る必要もないわけである。
科学が帰納法によって、次々と科学的命題を増やしていくとき、そこで使われる概念は、その経験的なものと「対応」して、再定義されている、と理解される。そうした場合、では、そもそも、

  • 私たちの日常言語

において、それぞれの用語がどのように使われているのか、と問うことは興味深いわけである。
日常言語を「成立」させている、それぞれの言葉が、どういった「機能」を果しているのかは、まさに

  • 進化論的

とでも言うしかないものであって、自然史的なもの、と定義するしかない。それぞれの言葉が、その「意味」がなんであれ、実際に、それぞれの人に、なんらかの「影響」を与え、その行動を変更させていくなら、それはなんらかの「機能」を果した、と言うことになるわけだが、大事なことは、それをその「意味」は全く、関係ない、ということだ。
このことは、例えば、カントが純粋理性批判において、さかんに「形式」という言葉を使ったこととも関係がある。私たちは、なにかをその「意味」において指示しているし、それ以上でもそれ以下でもないと思っている。しかし、カントはそこに、あえて「形式」というものを与える。では、この「形式」とはなんなのか? 本当にそんなものがあるのか? 分からないが、少なくともカントはそうした、というわけなのだ。
この事情は、例えば、数学基礎論において、「意味論」と「形式論」が分かれていることからもうかがえるわけである。
では、もう一度、カントに戻ってみたい。なぜカントはベーコンのように、経験論だけで満足できなかったのか? それは、早い話が、今の自然科学が「発展」するといっても、まだ完成していないだけでなく、そもそも人間にそれを完成させることができるのかは疑わしいからだ。
この科学という運動は興味深くても、それと今の私たちが直感的に使っている、日常言語が生み出している、なんらかの「秩序」は、簡単に自然科学で解明されるというわけにもいかない。その歩みは、少しずつなわけで、だからといって、それが疑わしいからといって、経験論者たちのように

  • その恵みの「全て」をゴミ箱に捨てる

わけにはいかないわけである。そういったラディカリズムは、今はなぜだか分かっていないけど、実は大事だったようなものが「まだわからない」から、どうせゴミだろうと考えて捨てたがゆえに、この社会を破壊することになっては、なんの意味もないからなのだ。
カントが重要視したのは、そういった意味で、それぞれの学問の「範囲」を明確にすることで、それぞれの活動に、

  • 場所

を与えることだった、と言うことができるだろう。そういう意味で、カントこそが哲学を完成させた、と言われることになるわけだ。
こうしてカントが、経験論に対して、日常言語という形で合理論に場所を与えたことは、決定的にそれ以降の学問のあり方に影響を与えることになった。
例えば、フロイトの心理学は、無意識という形で、経験論が探求する人々に対して、そこから逸脱するかのような人間のそもそもの「本性」を探求することになるし、マルクスの経済学も、人間のさまざまな規範的な行動が、それぞれの人のもつ

  • 資本

によって、決定的に決定されている姿を歴史的に分析していくことになるわけで、言わば、どちかも「カント的なアプローチ」を継承した、それぞれの方向だったと考えられるだろう...。