東京2020オリンピックSIDE:A

私は今さらではあるのだが、トゥキュディデスの『歴史』を、ちくま学芸文庫で読んでいる。そのきっかけは、IWJの岩上安身が田代秀敏さんがインタビューの中で言及していたことが最初だが、古代ギリシアの歴史を散文体で最初に記述した「歴史書」として知られている。
ここで描かれているのは、アテナイとスパルタの戦争なのかもしれないが、大きくは

と言うのが正しいわけだ。スパルタとは、そもそも小さな、地方都市にすぎない。問題はアテナイが、海軍力を使って、次々と周辺の都市国家アテナイの「貢物国」として「支配」圏を

  • 拡大

していくところにある。そして、その場合のアテナイの行動は別に「正義」にかなった、「正しい」行いでなどでは、なんでもない。アテアイの行動は、まんま、今の

の「帝国主義」と同じだ。今、アメリカは世界中の国々を次々と「経済制裁」しているわけだが、これらは別に、正義でもなんでもない。勝手にアメリカが「気に入らない」と考えたら行っているに過ぎないわけで、しかも、そうやっても、誰も逆らえないから、それが通っているだけで、それは当時のアテナイと、なにも変わらないわけだ。
アテナイは、自分たちが、そういっ「貢物国」に「命令」していたことを、その国が、もしも「逆らった」ら、

を仕掛けていた。そして、その国を完全に「虐殺」し、国富は自分たちの財産にし、男は奴隷にし、女は財産とした。この「構造」は、今のアメリカとまったく変わっていない。アメリカは、確かに、国内の政治体制は「民主主義」だが、ところが、

  • 国外

においては、完全に帝国主義だ。自分たちに少しでも逆らう態度をしたら、「経済制裁」という財産没収を行う。これは、多くの人は知らないけど、ロシアがウクライナに侵攻する前から、アメリカはロシアに経済制裁を行っているし、中国にも行っている。
なんで今、アメリカが極端なエネルギーインフレに苦労しているかといえば、単純で、自分から、そういったエネルギー輸出国に「経済制裁」という名前で、彼らからエネルギーを買わない、と決めたから、国内に安いエネルギーが入ってこなくなってしまったわけだ。いや。どっちが「経済制裁されている」のか分からなくなっているわけだけどw、少なくともそれで、国内のLNGなどのエネルギー生産をしている会社は「儲かって」いるわけでw、一体、この人たちは誰の方を見て、政治を行っているのかな、が疑問なわけだw
そういったわけで、なぜアテナイ帝国主義

  • 滅びた

のか、というわけだけど、直接的には、アレキサンドロス大王の、ほとんど狂ったような「大虐殺」を経て、長い時間をかけて、古代ローマ帝国に吸収された、ということになっていったわけだけど、もっと直截に最初の「きっかけ」ということでは、上記から分かるように、

から、に尽きるわけであるw 誰もアテナイを「立派」な国だと思っていなかった。奴らは確かに、国内では「民主主義」をやっているように見えるけど、アテナイと周辺国との関係は、全然、民主主義じゃなかったw 言うことに従わなかったら、侵略し、財産を略奪し、男を奴隷にし、女を商品として奪った。
では、なぜアテナイは民主主義だったのか、ということだけど、それはアテナイの「海軍力」に関係していた、と言われている。つまり、アテナイの力の源泉は海軍だった。つまり、船の漕ぎ手が大量に必要だった。そして、それを担ったのが「奴隷」だった。しかし、そういった彼らに

  • モチベ

を与えるには、なんらかの恩賞をペアでなければならない。そこで、彼らが戦場で戦果をあげた場合には、彼らに「市民権」を与えた。つまり、奴隷の身分からの脱出であり、民主主義での「発言権」だった。
ところが、である。
こういった制度にしたがゆえに、なにが起こったのかというと、

  • どんどんと「好戦的」になり、次々と周辺国に戦争を仕掛けるようになった

わけであるw つまり、戦争を止められなくなった。なぜなら、戦争さえすれば、そういった奴隷たちが、一気に「億万長者」になれることが分かったわけでw、もはや、彼らの「戦争をやって、周辺国に攻めて、全財産を奪え」という

に逆らえなくなったわけだw こういった事情は、日本の日露戦争から、渋谷焼き討ち事件、太平洋戦争に没入していく過程と同じ、と言えるだろう。
こういった話を聞くと、私たちは混乱するわけである。人類の歴史の「進歩」を考えるとき、最初に想起されるのが、ルネッサンスだ。ここで、マキャベリから啓蒙思想家からが注目したのが、

だった。つまり、近代の世界秩序は、基本的にはこの「民主主義」が拡大し発展する歴史だった、と言える。それは、例えば、日本でいえば、

  • 明治時代

がそれだった。ここで、国会が作られ、民主主義制度が開始した。
ところが、人類の歴史は、そこからWW1を経て、WW2を経験することになる。なぜこうなったのかと考えてみると、そもそもナチス・ドイツこそが、

と考えていた、という事実につきあたるわけである。ナチスアテナイを理想としたのは、彼らの

  • 残虐さ

だった。周辺の都市国家が言うことを聞かなかったら、侵略し、全財産を奪い、男を奴隷にし、女を商品として手に入れていた、その「帝国主義」を、ダーウィン的な弱肉強食の

  • (生存競争の)勝者

として、ことほいだ、という意味では、完全に「ニーチェ主義」だった。つまり、もともとアテナイには「二面性」があったにも関わらず、欧米のリベラルは、その「民主主義」という一面しか見ないで、古代ギリシアを礼賛し、リスペクトしてきたことの「しっぺ返し」を今、受けている、と言えるのかもしれない。
さて。今ごろではあるのだが、掲題の映画を映画館で見てきた。言うまえもなく、オリンピックこそが古代ギリシアの「意匠」をもって語られるものであって、さらに、悪名高い、ナチスによるベルリンオリンピックが行われたものでもあるわけで、決して、上記までの議論の「アテナイ帝国主義」と離れて考えることはできないと思っている。
この五輪公式の記録映画については、6月末に、「SIDE:B」が予定されている。こちらでは、オリンピックが開催されるまでの

  • ごたごた

が本格的に取り上げられることが予告されているわけだが、今回の映画は、もっと多角的に取り上げようとした野心的なもので、必ずしも「勝者」ではないが、多くの、オリンピックに関わり、

  • 翻弄

された人々の群像を描こうとした、と言えるだろう。
オリンピックは、エリートが選抜され出場する大会だ、という意味でこれが多いのか少ないのかは意見があるだろうが、少なくとも、

  • 多くの国々

が参加しているということでは、そういった国際政治に翻弄される、アスリートの実存が問われることになる。また、オリンピックに出場する多くが成人であることから分かるように、特に女性にとって、出産との関係性が、どうしても問われることになる。
多様な諸事情に悩み、選択をしていく人々にとっても、彼らには彼らの人生があるわけで、彼らにとって、それは、かけがえのないものなわけだ。
オリンピックとは、早い話が、ヨーロッパの貴族階級が、独占し、彼らの支配の中で続けられてきたものだ。なんでこんなことをやらなければならないのかというと、なんの意味もない。彼らが、自分たちが損をしないために、東京オリンピックも、あれだけの、新型コロナ騒動の中でも

  • やらせた

し、なんでやったのかといえば、それ以上の理由はない。しかし、たとえそうであったとしても、やっている選手にしてみれば、彼らが参加できる大会は限られていて、その中でのランクがあって、その中で、オリンピックが、かなり高いランクの大会として続けられてきたことには変わらない。そして、選手生命が限られていることから考えれば、どんなにオリンピックが腐敗していようが、大会に参加するかどうかには選択がある。つまり、オリンピックが、馬鹿馬鹿しいくらいに、お金を散財して、そこまでしてやる価値があるのかを考えるのは、地元の民主主義なわけであって、

  • やるんだったら、選手は参加するかどうかを選択する

という構造に対しては、一定の理解が必要なんだとは思うわけである。こんなに馬鹿馬鹿しいまでにお金を使って、東京が貧しくなろうと、それと選手がそこに参加するかどうかを選ぶことは、一定の範囲で分離する必要がある。もちろん、選手の中には、意識の高い人がいて、「こんなに無駄なお金を使う大会に参加すべきじゃない」という人がいてもいいが、そういった散財を止めるのは、地元の民主主義なわけで、今回の東京オリンピックがそういう意味では、日本の

  • 上流階級

に乗っ取られ、その辺りの「コントロール」が効かなかった時点で、日本のオリンピックは終わったんだろう、と思っているわけである...。