ウエストファリア条約

今回のウクライナ戦争で、ロシアの軍事侵攻は、国連憲章に違反している、として批判され、欧米各国と日本は(経済)制裁を行っている。
すべての軍事による紛争の解決を禁止している国連憲章に違反していることは、ほとんどの国が合意していることで、ここ自体は、あまり論点はない。
ただ、であるなら、なぜWW2以降もずっと、戦争が続き、今回のロシアもそうだったのかといえば、国連には「曖昧な部分」があるからで、つまり、国連は

を認めているわけである。よって、今回のロシアの軍事的侵攻も、ドンバス地方の独立を主張している2地域を、ロシアは

  • 国家として認めた

上で、その二国との「集団的自衛権」を理由として行った。ずいぶんと、都合のいい主張だと思うが、いずれにしろ、この枠組みは守っている、ということなのだ。
よく考えてみると、「なぜ国連はこういう形になっているのか」というのは、興味深い話のように思われる。なぜなら、ロシアの言い分を考えるなら、

  • アメリカがウクライナに武器供与や、軍事訓練を行い、また、ウクライナアメリカから核ミサイルの供与の可能性が高まった
  • ドンバス地方など、ウクライナ南東部へのウクライナ政府による、ロシア語話者に対する「弾圧」が2014年からずっと続いている(水路を止める、など)
  • ロシアにとって、黒海沿岸は唯一の不凍港として、ここの安全を無視できない

といったように、明らかに、

  • ウクライナ政権が、親欧米派(反・親ロシア派)に変わった(かつ、アメリカがネオコンに支配されて、ロシアに対して「挑発」することに「動機」のある行動をとるようになった)

がゆえに、論理的に導き出された、必然的な「地政学的リスク」の発生を理由としていることが分かるわけである。
これに対して、反ロシア側の主張は、

の一言でかたずけ、まったく、相手にしていない。つまり、国連違反をやっているロシアを擁護する一片の理由もない、というわけである。
なんか、つい最近まで、アメリカがイラク戦争をしていたときは、そんなことを言っていなかった人まで、今回のロシア「だけ」は許せない、と怒髪天をついて怒っているわけで、どういう理由なのかなと聞いてると、

  • 当時のアメリカは、今のロシアほどは「野蛮」じゃなかった(どうも、口の聞き方が、おきにめさなかったようだw)
  • 「時代は変わった」! イラク戦争の頃から、国際政治は「発展」して、今だにロシアがこんなことをやっているから怒っているんだ(こういった人が、またアメリカがイラク戦争を始めたときに、なんと言うか興味深いねw)

というわけで、まあ、こういった連中を全共闘などの左翼は、「保守派」とか「日和見主義」とか言って、批判してきたわけだよね。
こういった、「なにがなんでも、アメリカを擁護する」マンに何を言っても無駄なんだろうけど、いずれにしろ、ここで問われているのが、

なんだよね。当たり前だけど、国連も主権国家を前提にしている。
しかし、もしそうだとすると「これ」がどのように成立してきて、どういった弱点があるのか、を考えておくことは意味があるのかもしれない。
言うまでもなく、今の国際政治の枠組みが成立したのは、ウエストファリア条約だ、とされている。10年以上続いた、ヨーロッパでの、カトリックプロテスタントの戦争を最終的に「停戦」とさせたものは、

  • 国家を分割する

という手法だった。これによって、それぞれの分割された「主権国家」ごとの「自治」によって、内戦を抑制することが目指された。
この方法は、一応は成功した、と言っていいのだろう。そして、サイクス・ピコ協定などによって、こういった

  • 国境の分割

は、世界中の各地が行われるようになって、多くの主権国家が存在する今の世界になった。
確かに、この世界秩序は「うまくいっている」ように思うかもしれない。しかし、それはある意味で、「平時」だから、とも言えるのかもしれない。
つまり、これには「弱点」がある。

  • アメリカやロシアのような大国(国連で言えば、常任理事国)が、勝手に戦争を行う場合に、それを防ぐ手段がない
  • (隣国がアメリカの好戦的な戦争屋とタッグを組むというような)周辺国の情勢変化のような「地政学」的な変化が起きたときに、それに対抗する手段が用意されていないから、どうしても大国に暴力を行使することを思いとどまらせることができない

では、だとするなら、ウエストファリア条約以前の世界の秩序形成がどういったものであったのかを考えてみたい。まず、古代ギリシアアテナイがそうだったように、世界の秩序は

  • 帝国

によって成立していた。その場合、通常は帝国は帝国内の諸国家に干渉しなかった。場合によっては、最低限の儀礼的な貢ぎ物が送られることはあったが、そこまで縛りが強いものではなかった(アテナイは言うことを聞かないと、皆殺しだったが、そういう抵抗はまれだった)。
こういった構造は現代の目には、一見不要であり、不正にさえ見えるのだろうが、しかし、こうった関係が必要だったことは、むしろ、上記のロシアにとっての「地政学」的な条件の変化を考えたき、むしろ、必要にさえ思えてくるわけである。
アメリカのネオコンとは、

  • 人を殺すことが人生の生き甲斐

の連中である。人を殺すために生まれてきた、まである。つまり、奴らは「性悪説」なわけである。世界が性善説で仕組みを作っているところに、「性悪説」的なサイコパスが生まれると、

  • それまでの世界秩序が成立しなくなる

わけである。つまり、突然そこに、「リバイアサン」が現れる。人と人の「殺しあい」のフェーズが出現するわけである。
しかし、もしもそうだとするなら、私たちは今回のウクライナ戦争の開戦時に行った、ロシア非難一色を再考する必要があるのかもしれない。
今の世界秩序は言わば、「性善説」によって成り立っている。よって、なんらかの

  • 脛に傷をもっている人

のことを考えていない。つまり、彼らを「メンバー」だと思っていない。少なくとも、「下等国民」くらいにしか考えていない(今の日本のヤクザを考えてみればいい)。
確かに、2014年から、ウクライアの内戦はひどく、ウクライナ内のロシア語話者は虐待されていた。これに対して、もっと効果的な形でロシアは国連の人権委員会に訴えるべきだった、という意見はあるかもしれない。しかしそれは、ある意味で、「優等生」的な態度であって、事実、アメリカの民主党政権はその「正義感」だけで、世界中のエネルギー産出国を「経済制裁」を行って(ロシアにとどまらず、イラン、そして、サウジアラビアのような国にまで、優等生アメリカ民主党は、その国内の優等生同士の監視の目に耐えられず、制裁を行わざるをえなくなっているわけだが、それによって、国内が強烈なエネルギーインフレにみまわれているというw、もはや、喜劇と言うしか、しょうがないパラドックスになっているわけだ)。ロシアは言うまでもなく、そんな、たいそうなことを言えるような国ではない(それは、ウクライナも全然負けないくらいに、腐敗が進んだ国であるわけだが)。もし、国連にそんな「正義ヅラ」して語ろうものなら、あることないこと、過去の悪事があばかれて、「おまいう」案件にされて、うやむやになるに決まっている。暴力は最悪の選択かもしれないが、弱者が追い込まれた最後の手段なのであって、

  • 自らが主権である

ことを示す、決して(最後であろうと)手放すことだけはありえない何か、なわけであろう。
しかし、そう考えてみるなら、なぜ今の国連にさえ「集団的自衛権」が認められているという「矛盾」があるのかを説明している、とも考えられるわけだ。つまり、ウエストファリア条約には

  • 限界

がある。つまり、無理がある。そして、その無理が「平穏な日常」の中から「露出」してくるのは、こういった極限状態のとき、だとも考えられるわけである...。

追記:
エストファリア条約で言えば、明らかに、ゼレンスキーはEUを「カトリックの同胞」として、仲間なんだから自分たちを助けろ、といった、道理じゃなく、同胞を理由とした援助を求めているわけで、完全に、彼が「カトリックロシア正教」の宗教戦争にもちこもうとしている。
そのことが、彼の、なんとかしてWW3に引き込んでやる、という「野望」を現しているのだろう。ゼレンスキーにしてみれば、なんで、ウクライナばっかりが被害にあわなければいけないんだ、という気持ちなわけだ。だったら、世界中がロシアに攻撃されて、世界中の人が殺されるべきだ。ウクライナ人ばかりが死んで「不公平」だ、と。そうした場合、ウクライナ

としてアイデンティファイするのが正しいのか、という問題になる、とも言える(事実、ゼレンスキー自身がユダヤ人だ)。当たり前だが、ウクライナ東部には多くのロシア語話者やロシア正教の信者がいる。しかし、ゼレンスキーはそういった人は「ウクライナ人じゃない」と言いたいわけだろう。
だから、2014年から、ウクライナの親欧米政権は、ロシア語話者を弾圧してきた。例えば、アゾフ大隊は、もともとは、アメリカ在住ウクライナ出身のユダヤ人富豪、つまり、オルガルヒが、資金を援助して作った「民間の武装集団」で、彼らが東部で、そういったロシア語話者にずっと「嫌がらせ」や、時には「暴力」をふるっていたわけだけど、ウクライナ政府とアゾフ大隊は裏で繋がっていて、彼らnの乱暴は「見逃され」ていたわけだ。しまいに、そのアゾフ大隊自体が、ウクライナ政府の近衛隊みたいな扱いになってw、完全にウクライナ政府は、そういった国内の民族派に逆らえない存在になって今に至っているわけで、戦前の日本に似ていると言えないこともない。
つまり、ゼレンスキーは一貫して、国内の「純化民族浄化」を進めてきたわけで、そういう意味では、ウクライナ政権はナチス政権に似ている、と言いたくなるわけだ。しかし、西側メディアは、それは「たいしたことではない」と言い続けた。2014年以降のウクライナ政権による国内のロシア語話者への弾圧は十分に「民主主義」的に許容可能だった、として、ロシアの主張を馬鹿にした。彼らにしても、本当のところはよく分かっていない。少なくとも、ロシアのような暴力はダメだろう、の一点でそこから「類推」して、だとするなら、それまでのウクライナは間違っていなかったはずだ、と言っているに過ぎない(そうじゃなかったら、自分が「悪魔」になってしまう)。軍事暴力をふるってきたロシアが悪いのだから、その攻められているウクライナを「攻撃=口撃」することは、利敵行為であって、絶対に認められない、という「論理」から、一切のウクライナの悪は「存在しなかった」ことに

  • ならなければならない

という、まるで、戦前の大日本帝国軍を礼賛し続けた、日本の大マスコミのような思考法になっている(事実、今回の朝日新聞が完全にこれだ)。
そもそも、ロシアとウクライナの国境があそこに引かれていることには、ロシアとウクライナが「信頼関係」で結ばれていることが前提であることは自明なわけだ。あそこまでの「人工的」な線は、ここまでウクライナがロシアに対して「敵対的」になった時点で「無理」があるわけだろう。つまり、たとえば川にそって国境を引き直すといったような、なんらかの妥協をはかるしかないように思われるわけで、もちろんそれは、自治の延長の

  • 独立

という形でもかまわない。いや、それこそ、孫崎享さんが言っているように、国連自体が「自治=独立」を「権利」だと言っているのだから、まともに、なんらかの軍事紛争に関わって、コミットメントしてきた人にとってみれば、こんなことは「常識」の範囲の話なのだろう。まったくその常識を無視して、お笑い芸人が政治の常識も分からないで、悪ふざけを続けていたら、大量の国民が死んでしまった「悲劇」として、後世からは振り返られることにならなければいいが、と言うしかないだろう...。