そういえば、私もこのブログのどこかで、ラブライバー宣言をしてたなあ、と最近、「ラブライバー」という名称が、どっかの誰かによって商標登録されようとしている、みたいなニュースを見て思ったわけだがw
ただ、そうは言っても別に、ラブライブが登場した最初の頃から、そんなに熱をもって見ていたわけじゃなくて、やっぱり、無印のテレビアニメシリーズを見て、少しずつ興味をもつようになって、映画があって、改めて考えたけど、って感じか。そして、サンシャインのテレビシリーズでは、そこまでではなくて、少し距離をおいたって感じかな。
いや。こういうふうに言うと誤解を与えかねない。大事なポイントは、このラブライブシリーズの「当時」のビジネス展開を意識して語らないと、正しく伝わらない。
つまり、このラブライブシリーズとはなんなのか、と言ったときに、おそらく多く使われた言葉として
- マルチメディア展開
というのがあった。つまり、いろいろな媒体でやっていく、という含意があって、つまり、それぞれに対応して、その人の
- コミットメント
が問われるような形態をしていた。
大きく分けると、この四つになる。もちろん、これらのコンテンツが関係していない、と言うつもりはない。実際、ライブで歌われる曲はアニメシリーズで流れた曲であるし(そもそも、リズムゲームの曲がそれだ)、CDにライブの最速選考会の応募券がついているわけで。
しかし、主に「ラブライバー」と言ったとき、多くの人が思い浮かべるのは、二番目の
- ライブを見に行く人たち
のことを言っていた。
ただ、そうは言ったけれども、私は今では、この作品がなにか重要な意味がある、みたいに言いたい気持ちは、そこまでなくなっている。それは価値がないとか、そういうことじゃなくて、人それぞれが、思うことがあれば、それでいいじゃないか、という意味で、なにか「人間の本性」みたいな、人間なら誰にでも通底している価値の源泉があるんだ、みたいに言うのは違うかな、と思うというだけで。
早い話、女子校の女の子がアイドルをやる、っていうだけの話なわけで、その「意味」をあれこれ語っても、今、この時に、高校生じゃない多くの人たちには関係ない話をやっているなあ、くらいに思われたら、それはそれで間違っているわけじゃない、というくらいには、さすがに年齢を重ねてきて思っている、というだけだ。
じゃあ、これは過去の話なのかということになるけど、私が少し関心を戻し始めたきっかけは「スーパースター」のテレビアニメシリーズが始まった頃だっただろうか。しかし、それも、かなり素朴な関心から始まっていたと言った方がよくて、つまり、このテレビシリーズは、いわゆる「オリジナルアニメ」なわけで、毎回、次がどうなるか分からないものを見せられている、という展開で、
- 考察厨
として、関心をもち始めた、というのが大きかった。
つまり、どういうことかというと、このスーパースターは無印のスタッフが再集合して作ったアニメだった。そのため、明らかに、無印の
- オマージュ
の色彩が強いものになっていた。つまり、なぜ、無印から、これだけの月日が流れて、もう一度、ラブライブシリーズを作ることになったのかは、大きな疑問だったわけだ。
実際、ネット上でも多くの考察が、ユーチューブなどで話されていて、今から振り返っても鋭いところを見ているな、といった考察も多かった。そういう意味で、このSNSの時代になって、コンテンツの消費のされ方も変わってきている中で、その意味を考えた、といった部分があったわけだ。
あと、上記のマルチメディア展開の分類と対応して話してみると:
- スマホゲーのリズムゲーム ... 以前にも少しやっていたが、その時は少しいじって止めていた(たしかスマホを変えたときに、移行がうまくいかなかったとかの理由で)。でも、リエラがスクフェスに登場したときから再開した。その理由は、そんなにリズムゲームに関心があったわけじゃなく、リエラのメンバーの絆ゲージを最大にしたときに手に入る「ストーリー」を見ておこうか、という軽い気持ちだった。つまり、そこに「考察のヒント」があるかな、くらいの理由で。
- ライブ ... そもそも、陰キャの私が、ライブなんて、ラブライブだろうがそうじゃないものだろうが行くわけがなかったわけだが、リエラの東京追加公演には行った。廻りは若い子ばっかりの中で、ぽつんぽつんとおっさんやおばさんも混ざっていたけど、そんな感じで、ブレードをふっていた。
ただ、こう書いてきたわけだけど、こういったラブライブシリーズも「時代の産物」だったんだな、という印象はあるわけで、今考えてみると、時代は少しずつ変わってきている。まず、そもそも「アイドル」ということで言えば、最近の
- VTuber
の登場は避けて通れないんじゃないだろうか。それは、彼女たちの「デバイス」としての、アニメ絵が、まさに、アニメが提供していたコンテンツを「利用」しているという意味で、彼女たちと、それまでの声優は「比較対象」として、比べられたりもした。
では、具体的に、ラブライブの声優たちが、
- VTuber
となって、ゲーム配信や歌枠などを行い、当たり前のように「スパチャ」で稼ぐといった「ビジネスモデル」は現実的なのだろうか?
そして、スクフェスにしてもそうだ。すでにこのゲームは、9年以上、コンテンツの提供を行っていて、スマホゲーのリズムゲームの中でも、草創期に入る作品だ。つまり、「枯れた技術」で実現されている、という意味では、知らない人が見れば、あんまり「今どきじゃない」と思うだろう。
そういった「新規獲得」を考えたとき、なんらかの「リニューアル」が目指されるべきなのだろうけど、まあ、そういった期待をもって登場したスクスタが、これはこれで、そういった方向とは違った形で離れていったわけだけど(まあ、スクスタはリエラの曲はあるらしいけど、基本的にリエラは登場しないということで、基本はこっちはやっていない)。
おそらく、一つの方向として、任天堂スウィッチがそうであるような、全身を使ってプレーするような機能を一つのバージョンアップとして目指すというのはあるのかもしれない。
しかし、ここで冷静に考えてみると、スクフェスというコンテンツは、主に二種類のユーザーによって消費されてきた:
つまり、前者に対してのコンテンツという意味では、どういった展開も考えられるだろう。あとは、それがマネタイズするかどうかを考えればいい。問題は後者なのだ。
毎月の「部員勧誘」では、他のスマホゲーと変わらず、多くの課金をして、プレーの「得点」を上げるデッキ構成を目指すわけだが、これも他のスマホゲーの例にもれず、
- インフレーション
が馬鹿にならない。新しく購入してもらうためには、それまでの部員と比べて、「優位」になければ、買いたいと思わない。ついに、今回の小悪魔メイちゃんは、レベル16で、10万点台に突入してしまった。
(以下の動画が分かりやすく紹介してくれている。)
(あと、ゲーム内ではレベル8までしか公開されていないのに、レベル16の点数とは? という人は以下を参考にしてもらえば。)
歴史的には、スクフェスは「ブスリピ」の登場が一つのメルクマールとなったんだと思う。つまり、毎月、当たり前のように、
- ランキング
をやって、しかも、その人たちが誰かが、ゲーム内から誰でも分かるようになっているため、どう考えても「おかしい」点数を出している人たちが注目されてきた。そういった中で、ブスリピは言わば、
- バグの一種
と考えられ、ゲームのプレーヤーたちが、まるで「発見」したかのように扱われて登場した。しかし、この「発見」に対して、運営は「修正」という形で対応しなかった。つまり、運営側もこれを使うことを
- 公認
した。実際、最近の部員勧誘の、高額課金が必要な部員の属性のかなりが、このブスリピでよく使われるものに偏っている印象がある。
少し中長期的な予想をさせてもらうと、どう考えても、スクフェスはスマホゲーの近年の「寿命」を考えると、天井に近づいているわけで、リニューアルか、サービス停止のどちらかは避けられないだろう。
ただ、その場合の後者とは、ようするに、「ラブライブシリーズというコンテンツの終焉」を思わせる話に直結してくるわけで、もちろん、(最近のVTbuberの隆盛といったような)時代の流れは避けられない、と言うこともできるが、私はそんなことよりもなによりも、今の
- スマホゲーというビジネスモデルの限界
が大きいと思っている。なんで、こんなに高いのかといったら、
- アップルとグーグルが、莫大な「テラ銭」を抜いている
からだ。最近、韓国の裁判所だったかが、アップルとグーグルを独占禁止法で、莫大な賠償金の支払いを命じたけど、なんで、日本もそれをやらないんだろうね(特に、最近のドル高で、馬鹿馬鹿しい値段になろうとしているわけだけど)。
アップルもグーグルも、なんにもしてねーじゃん。たんに、「お前は駄目」とか、検閲しているだけw それで、莫大な「ショバ代」をしょっぴいているビジネスって、なんで、この業界はこれを許しているんだろうね。
アイフォンもアンドロイドも、ただの、リナックスだよ。フリーソフトウェアだよ。いい加減、誰か戦わないのかな。いつまで、アメリカの「植民地」で、
- なんにも働かない
アップルやグーグルに、ただでお金を恵み続けるの? アメリカがインフレになるわけだよ...。
追記(2022/09/25):
ということで、今年のスクフェスシリーズ感謝祭の重大発表は、スクフェス2でしたね。ひとまず、全曲プレイ可能ということがわかって、期待しましょうか。