エクアドル戦

サッカー日本代表エクアドル戦は、引き分けではあったが、試合の運び方としては、完全にエクアドルのペースで、ほとんど、日本のいい所はなかった。
これについては、以下の動画が詳しく解説しているが、

m.youtube.com

今回の遠征で、日本が成功したのは、アメリカ戦の「前半」だけだった。後半からは、アメリカも対策をしてきて、しかも、エクアドル戦は相手が試合の最初から「対策」をしてきたため、まったく、思うようにいかなかった(実は、アメリカも前半の後半で、対策をしようとしていたわけだが、選手があまり経験がなかったのか、うまく機能しなかった)。
ようするに、

  • ビルドアップ

が日本は、エクアドル戦はずっと、よくなかった。まあ、かなり苦労していた。そのため、前線に、いい形でボールが渡らず、まるで、前線の選手がいいプレーをしていなかったかのように受け取られた。
ビルドアップとは、「戦術」のかなりの割合を占める重要な所で、早い話が、センターバックにボールが渡ったところから、どうやって前線までボールを渡すのかの戦術であり、それに対する、相手の対策(どうやってビルドアップをさせないか)となる。
日本がアメリカ戦の前半で、ほとんどボールをもてたのは、この戦術が「はまった」からだと言っていい。つまり、前田を中心に「プレス」をかけて、アメリカにビルドアップをさせなかった。そして、無理な形でボールを蹴らざるをえないようにさせて、中盤がそのボールを奪って、連続攻撃を行った。
では、なぜ日本のプレスが「はまった」のかについては、相手が4バックで、キーパーの前に、センターバックの二人しかいなかったからだ。つまり、この形に対応したプレスができたし、そのための前線のフォーメーションになっていた。
対して、エクアドルにはなぜそれができなかったかは、上記の映像を見れば分かるように、彼らは守備のときは、センターバックの二人の間にボランチが降りてきて、3バックの形になったからだ。
では、これに対して、日本はなにか対策をしたのだろうか? していないorz 実は同じことが、日本の守備陣でも起きていて、こちらについては、後半のかなり後になって、途中で、遠藤が入って、3バックとなっていたので、ここについては対策はしたが(ずいぶん遅いが)、前線はさっぱり。
なぜ、森保監督はやらなかったのだろう?
といいますが、実は、こういった試合の途中で森保監督は、予選を通じても、まず、ほとんど、なんらかの戦術の変更をした、といった場面が見られないんだよね。
彼は何を考えているのだろう?
少し思ったのは、彼がインタビューで「たとえ選手が変わっても、同じパフォーマンスが発揮できるチームにしたい」みたいなことを言っていたことだろう。今回のエクアドル戦は、アメリカ戦の先発メンバーを全員変えた。これは「たとえ選手が変わっても同じ」というのができるのかを確かめるために行ったんじゃないか、と思われるわけだ。
上記のビルドアップのことで言えば、これを日本がやるためには、選手がそれぞれの相手のフォーメーションに従って、自分たちのポジションを変えなければならない。しかし、もしも招集された選手が「それは今までやったことないし、苦手だから、やりたくない」とか、「自分は攻撃的な選手だから、守備を求められても困る」とか、「練習でやっていないようなプレーをして、怪我をしたくない」とか言ってきたときに、どう対応すればいいのかが難しい、ということなのではないか?
つまり、森保監督が言う「たとえ選手が変わっても、同じパフォーマンスが発揮できるチームにしたい」を実現するためには、最初から「そういった選手」を集めなければならない、ということを意味していて、ここに苦労しているんじゃないか。
というか、この疑問を簡単にまとめると、

  • 選手が監督の考えているように「動いてくれる」かどうかに、ずっと苦労している

ということになるだろう。おそらく、アメリカ戦の先発メンバーは、本番をかなり想定したメンバーになっている。対して、エクアドル戦の先発メンバーは、森保監督が、そういった観点から

  • 使いづらい

と考えている選手だったんじゃないか。だから、そういった選手「だけ」で、試合をさせて、あえてそれで試合の運び方に苦労をさせて、自らの自覚を求めた、というか、ある種の

  • 懲罰的

な色彩を込めて、こういった「苦しい試合」を、わざわざやらせたんじゃないか。
エクアドルという国は、南米予選の4位で、ブラジル、アルゼンチンと「引き分け」ている国だ。彼らが選択している、4141のフォーメーションは、守備が一番固い戦術と言われ、ここから点をとるのは、なかなか難しい。その反面、エクアドルは得点力不足に悩まされているチームなわけで、日本と引き分けたのもそこになる。
いずれにしろ、大会前に、なにもかも順調にいくと本番が怖いわけで、これくらいがちょうどいい、ということなのかもしれない...。