かのんの留学問題

いやあ、アニメ「ラブライブ・スーパースター」第2期の問題を語り始めたら、止まらなくなったんだけれど、その中でも、「完結編」として語らずにはいられないのが、最終話の、「かのんの留学問題」だろう。
ただし、その前に前回の復習を少ししたい。
前回、「唐可可の留学問題」について語らせてもらった。しかし、この問題、実は、もう一つ、おかしいところがある。それが、第9話の感動回が終わった後の、10話から12話(最終話)の

  • リエラがラブライブに優勝するまで、なぜ、誰も、「唐可可の留学問題」に言及しないのか?

だろう。これさ。すげえよ。つまり、もしも、ラブライブの全国大会で優勝できなかったら、可可は3年に進学できずに帰国してしまう、という問題は、第9話の感動回が終わっても、まったく変わっていないわけ。なのに、誰もそれにふれない。
え? あんなに、第9話で、みんな感動したのに、その、肝心要の問題の方である、ラブライブの全国大会で、ここについて、誰もそれにふれようともしないし、心配する描写をしないっていうのは、ひどすぎないかw
さて。だとするなら、なぜそんなことになったのかが気になるだろう。この間に、なにがあったのか? それが、「かのんの留学問題」だ。
この問題は、非常に物議を醸している。その理由は、最終話の最後の最後まで、かのんが留学するという流れで来て、なぜか最後で、「留学しない」というところで、話が突然終わったからだ。
この意味は、その「理由」は、第3期の最初で明らかになるよ、という形で、オチをひっぱったんだね。その、素人臭い、ストーリーテラーぶりが、気持ち悪いというのもあるけど、こっちとしては、そう言っていて、もしも第3期が、諸事情で作られなくなったら、あまりにも恥かしくないのか、と心配するんだけどねw
まあ、いずれにしろ、この「かのんの留学問題」は、そのラストだけが物議を醸しているわけじゃない。さまざまな視点から、異論が出ている。
ちょっと変化球ぎみだが、この問題と、可可の帰国問題を比べてみよう。すみれがなぜ、可可が帰国することに抵抗したのか? それは、可可と来年も一緒にやりたかったからだ。うん。だよね。

  • だったら、「かのん」とも来年も一緒にやりたいと言ったら?

と思うのは普通じゃないのかw つまり、これも「対消滅」が起きている。第9話で、「来年も一緒にいたい」という話を描いた舌の根も乾かぬうちに、第12話で、「来年はこの学校を、頼むから、出ていってください」という話を書いているわけだw 可可とは来年も一緒にやりたいけど、かのんは喜んでこの学校から卒業してください、って言っているようなもんだ。
しかも、おかしなことに、最終話の終盤で、かのんが自分が留学した後も残ったメンバーでリエラを続けてほしいという話をする場面で、千砂都が「かのんがいなくなった時点で、解散するんだと思っていた」とか言うんだよね。いや。解散したら、可可が帰国しなかった意味がなくなるだろ。すみれは、来年も「一緒にやりたい」から、あんなにがんばったんだろ。もしも千砂都が解散を宣言したとしても、可可とすみれは、一緒にスクールアイドル部をやるよ。やるにきまっているだろ。だって、そう、9話で泣きあった仲なんだから。
でも、最終話で、可可にもすみれにも、脚本は、そんなこと、一言として言わせないんだよねw
まず、なにがおかしいのかを整理していこう。
かのんが、11話で、自分は留学しない、残ると言った理由は、今こうやってスクールアイドルをやっていることがハッピーだから、というものだった。そこには、一度、歌に挫折しながら、こうやって復活できたことへの充実感がある。
対して、最終話で、千砂都がかのんに留学を勧める理由は「チャンスだから」に尽きている。
そうなはずなんだが、少し話が横にずれていく。

千砂都:私は、かのんちゃんに夢を叶えてほしい。かのんちゃんにしかできない夢を。
きな子:そう思うのは、きな子も同じっす。
めい:でもさ、今じゃないと駄目なのか。
千砂都:もし断って、この話がなくなっちゃったら?
かのん:しょうがないよ。その時は、その時。
千砂都:もしそうなったら、私たちが、かのんちゃんの夢を叶えるチャンスを奪ったんじゃないかって、みんな後悔するんじゃない?

なんていうか、非常にレトリカルに、論点がずれていくよね。最初に、千砂都が言っていたのは、これが「チャンス」なんだから、幼馴染であり親友として、そのチャンスを逃さないでほしい、くらいの話だったわけだ。
ところが、これに対して、上記引用の最初の千砂都の発言は、少し「抽象的」になっている。つまり、誰だって、その人の夢を叶えてほしい、という「一般論」に、そこまでして反対する人はいないだろう。まして、同じリエラのメンバーで、この「一般論」に反対する人はいない。だから、きな子は、とくに深く考えることなく、賛成と言った。
それに対して、めいは、議論を変える。今じゃなきゃ駄目な話なのか? しかし、これは、まったく今まで話していたことと別のことだ。
かのんが論点にしていたのは、留学するか留学しないかの二元論だった。その上で、留学しない、という決断をした。そして、その理由も述べた。
対して、ここで、めいが言っていることは、

  • たとえ留学するにしても、今じゃなくていいんじゃないか?

だ。そして、千砂都の質問に「しょうがない」という回答を、かのんはする。
おかしくないか? かのんは最初に、留学するか留学しないかで、留学しない、という理由を述べた。ところが、ここでは、

  • 留学を断ることが「(しょうがない)その時はその時」

と言っている。ということは、

  • (少し時期をずらして)留学する

という前提で、もしもそれが流れちゃったら「(もったいないけど)しょうがない」と言っているわけ。
いや。かのんは「留学しない」が結論だったんじゃないの? そして、その理由も明確に述べていた。それが、なんで「(少し時期をずらして)留学する」に変わっているの?
ここさ。明らかに、おかしいんだよね。もう一度、そこだけを引用すると、

千砂都:もし断って、この話がなくなっちゃったら?
かのん:しょうがないよ。その時は、その時。

この二行が明らかに、おかしい。

  • 断って、この話がなくなる

の「if A, then B」におけるA(断る)は、最初の、かのんの結論である。であれば、B(この話がなくなる)は、今さら、「こうなったら大変だ」と言うようなことじゃない。そうじゃない。そんなことは、すでに、

  • A(断る)という決断をした時点で、そうなるにきまっている

事態に過ぎない。だから、千砂都が

  • この話がなくなってもいいの?

と、かのんに聞いていること自体が、意味不明なのだ。
しかし、さらに、かのんはそれに対して、

  • しょうがない(=もったいないという含意をもつ)

と言うことも意味不明。だって、かのんは「断る」という決断を、ちゃんとした理由があって、やっているんだから。
(なんか、露骨な「誘導尋問」にひっかかっている印象を受けるわけね。)
(いったん、この脚本崩壊は、目を瞑って、少し先へ勧もう。)
そして、最後の千砂都の論法が、

  • もしも、かのんが留学しなかったら、リエラの他のみんなは「後悔する」はず

と言っているわけ。なぜなら、そうなったらそれは「リエラの他のメンバーが、かのんに留学させなかった」ことになるから、と。
しかし、これは今までの問題以上に、問題含みな議論だ。なぜなら、かのんが留学するかしないかに、なぜ他のリエラのメンバーが「賛成」「反対」の旗色を鮮明にしなければならないかの理由がないからだ。そもそも、かのんが留学するかしないかは、かのん個人の問題だ。行きたければ行けばいいし、行きたくなければ行かなければいい。こんなことを、リエラの他のメンバーを含めた

  • 民主主義=多数決

で決めるような論題じゃないわけだ。個人の将来の選択を、チームメンバーの「多数決」で決めようとしている千砂都は、頭がどうかしている。そんなことを言うんなら、リエラのメンバーは、誰一人として、かのんに向かって、

  • 留学すべきだ
  • 留学すべきじゃない

のどっちも言ってはいけない、の方が、よっぽど整合性がとれている行動だろう。
むしろ、これに反して、自分の考えを、かのんに「押し付けている」のは、千砂都の方だろう。逆に考えてみよう。もしも、千砂都が、勝手に、かのんの知らないうちに、ウィーン音楽学校の

  • 留学届

を出して、その入学金まで、勝手にかのんの親から、かのんの貯めていた貯金を親に引き出してもらって、ウィーン音楽学校に支払ってしまった、としよう。もう、こんな大金まで払ってしまって、今さら、もったいなくて行かずにはいられない、という立場に追い込まれた、と。
ところが、かのんには「事情」があった。彼氏が日本にいて、日本を離れたくないでも、なんでもいい。それは、かのんの

  • 幸せ

に関係することだった、とする。
さて、千砂都は後に、かのんに「感謝」されるのか? いや。この、千砂都による

  • あなたのためだから

こそ、私たちがずっと批判してきた、「パターナリズム」そのものだったんじゃないか?
千砂都は、かのんは「夢を叶えるべき」と言う。しかし、ここで言っている夢は、かなり「抽象的」なわけだ。本当に、留学が(子どもの頃の)夢を叶えることになるのかは、もっと、さまざまな条件を分析しなければ分からないはずなのに、千砂都は「そうなはずだ」の、パターナリズムを一度たりとも疑っていない。
そしてその上で、本当に大人は、子どもの頃の夢を今、叶えるべきなのかも問い返さなければいけないわけだろう。しかも、「世界に歌を響かせたい」という、まったく

  • 抽象的

な夢であれば、なおさらだろう。千砂都はなぜ、この言葉を聞いて、それがウィーン音楽学校に留学することがそれだと思ったのかを、明確にしなければ、説得力が生まれないだろう。
これさ。千砂都が怖いんだよね。千砂都、あらゆることについて、かのんがやろうとすることに、こうやって、いちいちからんできて、

  • そんなこと、かのんちゃんはやらない方がいい
  • それは、かのんちゃんはやった方がいい

とか、いっちいち、ウザからみしてくるわけw これ、ほんっと、ウザいんじゃない。
...。
分かった。万難を排して、千砂都の言うことには一理ある、と考えてみることにしよう。そりゃあ、世界一の音楽学校らしい。そんなブランドをもてたら、将来有望だ、と。それに比べたら、ラブライブなんて、無に等しい、と。ラブライブなんて、ゴミ屑だ、と。
(まあ、こういう意味でも、ひたすら、スパスタは、ラブライブの価値すら下げまくってくれるんだよね。頭おかしい。)
しかし、ね。もしもそうだとすると、自分から音楽科を止めて、普通科に転入した千砂都は、なにをやっているんだろうねw せっかく、結ヶ丘の音楽科に入れたんだよ。こんな「チャンス」を掴んだのに、そのチャンスを投げ捨てたのが千砂都なわけ。かのんからしたら、信じられないよね。だって、

  • 結ヶ丘の音楽科に入るのが、「かのんの夢」

だと、1期1話のオープニングで、明確に「言語化」しているわけ。明確に、これが「夢」だと、指示しているの。抽象的な子どもの頃の言葉なんて、比べものにならないくらいにね。
千砂都が「捨てた」音楽科が、かのんの「夢」なの。なんで、自分が「夢」だったものを、ゴミ屑のように捨てた奴に説教されなきゃなんないのw だったら、自分を音楽科に入れろよ。やるのは、そっちが先だろ。
おそらく、かのんが言いたいのは、こういうことだったんじゃないかな。ところが、脚本陣に「誘導尋問」されて、明確に留学しない理由を言っていた人を、

  • (もしも時期をずらすことが可能なら)留学したい

と「かのんに言わせて(誘導尋問させて)」、結果として、

  • なんの論理的な、最初に語った、留学をしない「理由」への反論をすることなく、前言を撤回させて

無理矢理、かのんに「留学します」に変えさせた、っていう、このラブライブ史上最悪の最終回を見させられた私たちは、果して、どんな気持ちで、3期を待てばいいんですかね...。