リバタリアンと「いじめ」と掟(おきて)

私が哲学が嫌いなのは、過去に哲学と呼ばれている人の中に、立派だと思う人がいないからじゃなくて、自分を「哲学者」だと自称している、現代の売文屋の書く文章が嫌いだからだが、その代表が、東浩紀先生であることは、このブログを読んでいる人には言うまでもないだろう。
こういった「自称哲学者」の言っていることは、ようするに、ニーチェ主義なんだけど、つまりは、

  • 全ての価値の転倒

なんだよねw でもさ。彼らにとって、その価値の転倒って、「自分に都合のいい」ものについての価値転倒なだけで、それ以外については、考えたこともない、といったような素振りなわけで、都合いい性格しているな、ってわけだ。
ニーチェは、「お金持ちは素晴しい」と言った。逆に「貧乏人は腐っている」と言った。なぜなら、お金持ちは貴族だから、育ちがいいから、ちゃんとした教育を受けているから、ちゃんとした行動ができる、と。逆に、貧乏人はやっちゃいけないことを教わったことがないから、性根が産まれたときから、駄目なままここまで来たから、もう手遅れ、と。
そこから、さ。いわゆる「哲学」と呼ばれる一切の営みは、

  • お金持ちがお金持ちであることを礼賛する

ためにあるものに変わったんだよねw 有名なのが、進化論で、

  • 貧乏人が貧乏人であるのは、進化に失敗したから。逆に、お金持ちがお金持ちであるのは進化に成功して、そもそもの「能力」が優秀なんだから、その「対価」として、そうなっているのは当然

とか言い始めたわけだw 世の中をよく見てみろよ。今、進化論をやたら礼賛している奴で、遺伝子決定論じゃない奴なんて、一人もいないだろw 遺伝子が全てを決定する。ということは、今、お前がお金持ちなのは、遺伝子のせい。今、お前が貧乏人なのは、遺伝子のせい。こういう、ゴミ屑みたいなことしか言えない連中の便利なキーワードになったんだよね、進化論や遺伝子って言葉が。
こういった価値転倒をやった人で、経済学の方面で有名なのが、シカゴ学派フリードマンで、彼の本を読むと、とにかく「お金持ちはどんどんお金持ちになって、貧乏人はどんどん貧乏人になった方が良いんだ」っていう主張に貫かれている。なぜなら、それが

  • 自由

だからだ、と。
例えば、以下のニュースだけど、

news.yahoo.co.jp

アメリカのビジネスマンって、日本と違って、すごい読書家が多いんだよね。そういった中で、一方で

  • 危険な思想

として扱われながら、他方で多くの人に読まれた人として、アイン・ランドが紹介されている。この女性は、東欧だったかの出身の人で、けっこう苦労して、アメリカに移民で来たんだと思うんだけど、極端に「自由主義」にかぶれちゃった人で、とにかく、

を絶対許さないマンとして、頂点を極めたら、こんな「自由主義」の極論を言う人になっちゃった、みたいな感じの人なわけだ。
そういえば、東浩紀先生もゲンロンの最新刊で、なぜか、シンギュラリティ批判みたいなことをやっているけど、彼の一般紙(批評空間?)に発表した処女作は、ソルジェニーツィンの収容所国家について、だったかな。まあ、ソ連批判から始めていて、彼の「反共思想」が、統一教会と共鳴して、今では、ゲンロンで彼が対談する、いつものメンバーは全員、誰が、どっからどう見ても、統一教会関係者しかいなくなった、みたいな醜態をさらしているわけだ。
じゃあなんで、東浩紀先生はゲンロンの最新刊で、そんなシンギュラリティみたいな話をしているのか、そんなビジネスマンたちの戯言にふりまわされているのかっていうと、それが、上記の記事に関係してくるわけで、そういったアメリカのIT系の経営者に、アイン・ランドの信仰者が多い、ということが関係している。つまり、リバタリアニズム。当然、東浩紀先生も自ら、自著で、自分がリバタリアン(に著しく共感する者)と自称しているわけで、つまりは、リバタリアンとは反共と同一視される概念なわけねw IT長者たちが、自分が稼いだお金を、税金でとられるのが嫌という理由で、アイン・ランドの極端な自由主義を利用して、まんまと、国民をだまくらかそうとしているわけだけど、東浩紀先生は、そういった連中に媚を売って、パトロンとして生き残っていこうとしているわけ。
でもさ。
結局、こういった連中って、ようするに、

  • 学生時代に成績が優秀で東大に入った

ような連中ばっかりなんだよね。つまり、学校じゃ「勝者」だった子ども。つまり、さ。俺は頭がいいんだから、この世界を支配していいにきまっている。俺は頭がいいんだから、俺以外の世界中の人間を俺の奴隷にしていいにきまっている。こういった「思想」を語っているのと変わらないわけw
こういった連中にとって、自由とは、

  • 俺の自由

のことであって、自分以外の他の人が「奴隷」であることに、なんとも思っていないんだよねw ほんと、気持ち悪い。こいつらの言うことは、いつも同じで

  • 俺を自由にしろ(=俺を自由な存在として扱え)

だけ。だって、

  • 俺は頭がいい

から、だってさ。
結局、なんなのかな。例えば、今回のW杯を見ると分かると思うけど、明らかに、森保さんは、選手を選ぶときに、「仲間の和を乱さない」というのを、かなり重視して、問題児を排除しているんだよね。その一番手が、鹿島の鈴木選手だけど、おそらくこの傾向を決定的にしたのは、中田英寿だと思うわけ。
彼は例えば、以下の動画にくわしいけど、

m.youtube.com

もう、大会に他の選手と一緒に食事も雑談もしていないわけね。そしてなぜか、そういう中田を、ジーコ監督は特別扱いした。まあ、外国人だったから、そのニュアンスが分からなかったからなのだろうけど、ちょっと異常だったわけだ。
じゃあ、なんで中田はこんな奴になってしまったのか? おそらく、アイン・ランドのような「自由主義」の思想に影響されてたんじゃないか?
リバタリアンって、結局、「成功した経営者」の思想なわけね。つまり、「お金持ち」が自分が稼いだお金を税金として奪われたくないっていう話なんだけど、つまり、自分が稼いだお金を奪われて、他の貧乏人に使われたくない、っていう。でもこれって、なんでお前がお金持ちになれたのかと考えれば、お前が裕福だったから、なわけだよね。つまり、学校に通って、高いお金を親が払って塾に行かせてくれて、って。いや、そこまで親が、お前のために、お金を注ぎこんだら、そりゃあ、優秀な成績で学校を卒業して、優秀なビジネスマンくらいになるんじゃねえの、としか思えないわけだ。じゃあ、そういった連中が、

  • 絶対に自分が稼いだお金を奪われて、貧乏人に使われたくない

って、その「動機」はなんなのかと考えたときに思いつくのって、

  • 子どもの頃の「いじめ」

くらいしか考えられないんだよね。つまり、お金持ちの子どもは、なんらかの形で貧乏な家の子どもに「いじめ」を受けているわけ。なぜなら、そういった貧乏な家の子どもは、自分が親から、大学に行くお金を出してもらえないことを知っているから。だから、そういったお金を当たり前のようにもらって、塾に行っているお金持ちの子どもに、いろんな意味で「不快な感情」をずっと抱えているんだよね。でも、

  • 東大に行くような連中

って、それがどれだけ「非倫理的」な行動かが分かってないわけw つまり、さ。それくらい「鈍感」じゃないと、東大なんか行かないわけだw 東大に行くのは、頭がいいから、じゃない。

  • 東大に行くことが、どれだけ「非倫理的」な行為なのかを、一生かかっても理解できない

くらいに、自分の富裕な環境を「当然」だと思っている

だから、なわけだw
そういえば今回のポケモンについて、スター団の話が評判がいいわけだけど、これも「いじめ」に関係した話になっている。ホロライブのVTuberのさくらみこが、ポケモン配信のスター団の回のあたりで、自らの高校時代の「いじめ」体験について語っている。

さくらみこ:みこも、高校生のとき、一年生のときはね、すごい複数人のグループに属していたんだけど、入学そうそうはね。でも、なんか、うざくない、って、ひとりずつね、順番にはぶられていく、という、恐しいことがあったのよ。その中に、中学校の頃に一緒だった子がいて、その子が好きだったから、さすがに違くない、みたいに言って、公園でね。一回、話したんよ。なんか、無視したりとか、すんのは違うと思う、そしたらね。(みこが)次の標的に選ばれたっていう、悲しい想い出がある。そういう時って、どうすればいいのかわかんないしね。いったいなんとかになったりするじゃん。それはそれで、大変よな。怖いで。怖いのよ。クラスとかが変わったら、なんだろう、高三のときに、そんなこともあったよね、みたいな感じで、悪びれもなく、普通にせっせられて、せっするけど。いじめられてる側は、結局、ショックで、はあってなってるのに。
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この今回のポケモンのスター団の回は、結果として、校長が陰からヒアリングをして、その事件の実体を知ることによって、スター団の汚名が回復され、彼らの退学危機が回避されるという話だけど、そもそも、スター団の全員が、過去に「いじめ」を受けたことがある子どもが集まって作った団だった、ということも分かってくる。
「いじめ」という言葉は言うまでもなく、「いじめる」という動詞が名詞化したものだが、だからこそ、この「いじめ」という名詞が具体的には何を指示しているのかが分かりにくくなっている。
動詞の「いじめる」というのは、なんらかの情況における、主体と客体の関係における、主体の「行動」を言っているわけだが、これがなんなのかは、そもそも主体にしか分からない。つまり、そもそもこの言葉が

  • (本人が自覚する意味で)悪い行動

をしたときに感じる感情と関係した行動であって、それを「いじめられた」側が、「悪い行動をされた」という形で被害感情を受ける、という形になっている。
普段はフレンドリーに接してくれた子どもが、ある日、突然、口も聞いてくれなくなったらショックを受けるだろう。
しかし、である。
考えてみてほしい。それが「自由主義」だったんじゃないか、ってw 自由主義は、誰かが誰と話すかを強制するものだじゃない。誰だって、話したくない人と話さない「自由」がある。つまり、

わけだw そもそも「いじめ」とは、いじめる側にとっての「娯楽」であって、

  • 快楽

のために行うものだ。快楽を肯定する「自由主義」は、本質的に「いじめ」を否定できない。
このことが、なぜ義務教育という場で、いつまでも「いじめ」の問題が解決しないのかの理由となっている。いじめは

  • 相対的

だ。いじめっ子は、ある日、突然「気付く」わけである。「自分はずっと、いじめられてきたんだ」と。だから、次の日から、突然、「いじめ」を始める。もちろん、こうされた「いじめられっ子」の側にしてみれば、理不尽、きわまりないだろう。しかし、

  • いじめられる子どもの側は、そもそも「親が裕福」という形で、ずっと、貧乏な家の家庭を馬鹿にし続けてきた

わけだw もちろん、そんな素振りは間違っても表に出さなかったとしても、構造的に親の資産によって「そうなっている」わけだからw、まずは、その事実に真剣に向き合ったら、とは思うわけだ。
そういう意味では、リバタリアニズムとは、

  • いじめられっ子の「復讐」の思想

と言ってもいい。リバタリアニズムによって、なんとかして、子どもの頃に「いじめ」られた「復讐」を行うのが、リバタリアニズムなわけで、それによって「貧乏人をもっと貧乏につき落とす」という

  • 快楽

を与えることが「目的」となっている。そうであるがために「なんとしても、お金持ちは、さらにもっと、お金持ちにならなければならない(これを絶対に否定してはならない)」という思考にとりつかれている。
彼ら「復讐者」の特徴は、とにかく、自分の回りの人間を憎んでいる。東大に入った、彼らが嫌いなのは、日本人なのだ。なぜなら、自分の子どもの頃の体験は、まだ、外国人がいる場所に行ったことがないから、外国人から受けてないから。ということは、貧乏人といっても、比較的に、外国人には優しいわけであるw 彼らはナショナリズムを嫌う。そうじゃなくて、地球の裏側の「貧乏人」には涙を流して、悲しんで寄付とかする。しかし、間違っても、自分の回りの人、近所の人には見向きもしない。必死になって、地球の裏側を探して、「貧乏な人はないないか?」と、意地でも助けようとするのに、自分の「近所」は絶対、死んでも関わろうとしない。なぜなら、近所であればあるほど、過去に自分を「いじめ」た人間の可能性があるからだw
例えば、今回のポケモンの「スター団」では、さかんに

  • 掟(おきて)

という言葉が飛びかう。彼ら、過去に「いじめ」られた経験のある子どもたちが、一緒に行動していくときに、そこには「ルール」があるのだ! しかし、この「ルール」ほど、アイン・ランドのような、自由主義者が憎んだものはない。彼ら

  • リベラル=インテリ

が最も憎むものが、この「ルール」だ。しかし、ね。考えてみてよ。ルールがないと、どうなるか? ルールがないと、

  • お金持ちの子ども

が、すぐに、クラスで一番に優秀な成績になるんだよねw だって、莫大なお金を注ぎこんで、教育を受けられるから。そして、そうやって

  • 高学歴

な連中ほど、自由主義という「哲学」にかぶれて、リバタリアンになる。他方、「いじめ」られた子どもたちは、自主的に「掟(おきて)」を作って、その掟を守って生きようとする。なぜなら、掟は、そういった仲間たちとの

  • 約束

だから、だ。仲間となる代わりに結んだ約束だから、これを破ったときが、自分がこの仲間たちから離れる時だ、ということを分かっているからだ...。