ぼっち・ざ・ろっくをいろいろな人が見る

先期のアニメ「ぼっち・ざ・ろっく」は一つの社会現象となって、話題になったわけだが、とりあえず、アニメオタクはこういうものを見るわけで、それはいいんだけど、あまりに人口に膾炙してしまったからなのかw、いろいろな人が見始めるわけね。それは、リコリコも変わらないわけで、なんかこういった人々の感情を突き動かすようなものをもっている作品は、結果として多くの人に見られるようになる。
ただ、ここで少し、冷静にその内容の分析をしていきたいわけだ。
この作品を表すアイコンはなにかと考えれば、標準的な整理としては、

  • けいおん」の後継作品
  • バンドアニメ
  • ギャグアニメ

ということになるだろう。言うまでもなく、きらら作品として、過去に「けいおん」という作品があって、それはバンド高校生が舞台だったわけで、その変化球的な後継作品だ、ということになる。きらら作品ということは、4コマ漫画ですから、言うまでもなく、ギャグ漫画になるわけで、ここまでで上記の構造を表現している。
ただ、「けいおん」と比べて、そもそも笑いのポイントが違う。けいおんは高校の部活だった。だから、ゆるふわで、放課後、みんなで部室で紅茶を飲んでいるようなものだった。だから、必然的に、彼女たちが楽器を演奏するようになる

  • ファースト・インプレッション

が描かれ、それを巡って笑いの「つぼ」が描かれる。
対して、ぼざろは、最初からそこを描こうとしていない。主人公は3年練習して、すでに、かなりの演奏の実力があることが、動画配信の評価によって証明されている。つまり、

  • こんな<立派>な人に(ギャク的に)笑う要素なんてあるのか?

というところから始まっている。
そういう意味では、もしもこれを「けいおん」のライバル的な競争相手として登場したと考えるなら、かなりチャレンジングな所で勝負してきた、と受け取ることができる。
まず、オタク的な動機から、なにが、その作品がその人を魅き付けるのか、と考えてみよう。まず、ギャクとは、それ単体で見るなら、なんらかの

  • 差異

を突いて現れる。つまり、その観点が突然で、予想していないギャップを表現するから笑いとなる。つまり、ある程度、抽象的な、メタな側面がある。しかし、作品を魅き付ける要素はそれだけじゃない。考えてもみてほしい。人々はギャグに引き寄せられる。しかし、そのギャグの「意味」は自明ではない。
そのギャグが「分かる」ためには、そこでの文脈が大事だ。じゃあ、ここでの文脈ってなんだ?
言うまでもない、バンド演奏だ。つまり、この作品を(ある意味で)「理解」するには、そういった知識が必要なのだろう、ということを予想させる。
ただ、ここは程度問題だと言うこともできる。あまりに専門的すぎることに、ごちゃごちゃこだわっていると、ほとんどの人には通じなくて、単純な直感的な笑いの拡散力を失う。しかし、分かりにくかったとしても、その辺りの深い関係性を描かないと、作品の深みがなくなってしまう。
もともとオタクとは、そういったアニメで描かれる

  • やたらとマニアックな設定

に詳しくなる人たちのことを言っていたわけだ。つまり、そういった偏執的に細かいところにこだわる、そもそもの「モチベーション」がオタクにはある、ことが強調されてきた。
そんな流れで、ここのところ、ボザロの、ユーチューブで配信されている「同時試聴」の動画をいろいろと見ていた。
ホロライブも何人かやっているけど、なんか「わざとらしい」笑いみたいに見えて、まったく、おもしろくなかった(無理矢理、共感しているとか言わなくていいのにね)。
昨日は以下の人のを見ていて、なるほどと思ったわけだ。

m.youtube.com
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おそらく、この作品をもっとも楽しんでいるのは、バンド経験者だろう。そこが「けいおん」の発展形の所以で、「けいおん」は

  • ファースト・インプレッション

を描いた作品で、そこに対しても当然、バンドのプロも、いろんな感情をもっているわけで、多くを語れるわけだけど、やっぱり、そうやって続けていった先の、熟練クラスになった段階の、「あるある」も、いろいろあるわけだよね。そっちのネタも、当然、いっぱいある。
このぼざろは、「けいおん」の発展形として、そっちにチャレンジしてきたということでは、バンド経験者こそ、彼らが共感できるポイントが描かれている。
上記の同時試聴の人は普通の人なんだろうけど、一方でこういったマニアックな視点で見れる人でいえば、バンド経験者は誰でも、語れるわけだ。つまり、この作品の同時試聴の配信が「おもしろい」のは、そういった、キャリアをもった人口層の人たち、といった、まれにみる変わった作品だったのかもしれない。
例えば、上記の配信者は、バンド経験者として、リードギターをやってたということで、作品内の、ぼっちちゃんの演奏シーンが現れると、まず、

  • 使っている機材の「特定」

から入るのが笑えるw あ、まずそこなんだ、って。そう考えると、こういったアニメは、ガルパンの戦車から、なにから、みんな同じなんだな、って。
あと、最終話直前で、当たり前のように、ボトルネック奏法を「予言」してしまうのが、おもしろかった。
あと、どうだろう。配信者の彼女の言及が多い個所はライブ演奏のシーンなんだけど、流れの中で、あえて神回と言っているのが、6話の廣井きくり回と、4話の山田リョウ回だったのが印象的かな。この二人は作品中、ずっと、ギャグ的なぼけ担当みたいに扱われるけど、あくまでこの二つの回で見ると、

  • 理想的な<立派>な大人

なんだよね。なんというか、人間として尊敬できる、というか。つまり、

  • 彼女が目指すべき、自律した「かっこいい」女性

として、当たり前のようにいつも、自分の近くに彼女たちがいてくれることの「幸福」が描かれていく作品だと言ってもいい...。

追記:
細かいところはいいんだけど、第4話の山田リョウの、「個性をなくしたら、死んだ方がましだ」と言うところでちゃんと反応してくれているんで、そういった、ちゃんと作品を見てくれている感が伝わってくるのが共感味があるんだよね。

追記(2023/01/17):
えっと。ぼざろに登場する、バンド機材については、いろいろ考察があるみたいで、

m.youtube.com
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この辺りが、その調査のきっかけになりますかね。