リエラ3rdライブ東京公演day1

リエラ3rdライブ東京公演day1が昨日あって、武蔵の森スポーツセンターに行って、見てきた。
リエラのライブについては、1stのときに行って、それ以来ということになる。
アニメ「ラブライブスーパースター」2期については、いろいろ書いたこともあって、とりあえず、ライブを見ておこうかな、という気持ちがあった。また、いつもの感じで若い人ばっかりだったかと思うけど。
なんというかな。こういったアイドルのパフォーマンスは、結局、映像で見ても一部を切り取られるので、全体の動きが分かるのは最後は会場で見ろ、ということになるんだよね。そういった側面もあって、会場で見るのは機会があれば、やったらいいんじゃないかと最近は思っている。
曲は概ね、2期以降の新曲で全て構成されていて、アンコールで一部、1期の曲があったくらいじゃないかな(私のシンフォニーという例外がありましたね)。
スタンド席だったこともあり、ゴンドラ移動しているとき、手前がまったく見えなかったのは、席運がn悪いといったレベルの話なのかな、とはちょっと思った。
少し視点を変えて、これを「アイドル」の「コンサート」として考えたとき、まあそれはそれで、「独立」した確認のポイントがあるわけだよね。そして、それはある意味で、アニメなどの他のメディア展開とは関係なしに楽しめるし、価値があると言えなくもない。まあ、普通に楽しめる、っていうやつだ。
そして、こういった視点から、じゃあ、逆にアニメってなんなんだと考えると、

  • こういった、リエラという「アイドルグループ」のライブ活動の邪魔にならないでくれ

といった側面で考えることだって可能なのだろう、と思うわけである。つまり、こっちはこっちで、こっちの「ファン」がいるんだ、と。
少し、ラブライブシリーズの歴史をふりかえってみると、最初のミューズは舞台が「秋葉原」だったんですよね。つまり、アニオタの聖地が舞台だった。次に、アクアだけど、いきなり静岡県の沼津が舞台になった。まあ、変化球としては、都会から田舎に変えたことはいいのかもしれない。
しかし、ここから迷走が始まる。次の虹ガクが御台場、リエラは原宿となった。まあ、東京の若者文化の中心みたいな所にしてしまった。
もともとが、アキバが聖地で、アニオタをターゲットにして始まったし、実際にこの分野の新規開拓に成功したんだと思うけれど、御台場、原宿はもともと「アニオタ」と繋げるには強引な印象が強い。でも実際にファンとしてコンサートに集まっている客層は、そういったアキバを聖地であり「拠点」にしているような、アニオタが中心であるというところに、ずっとアンバランスがあるんだと思うわけである。
御台場や原宿を「舞台」にすることは、それは制作している側というか、

  • 企画、プロデュース

している、なんというか、(テレビ放映だから)テレビ関係者からすると、納得感があるのかもしれないけれど、それと、いざコンサートなったときの「客層」とのギャップが気になるわけだ。
しかし、これを逆に言うと、おそらくだけど、こういったライブに来る客層の中には、あまりそういった「アニオタ」的な人ではなく、純粋に、NHKテレビで家族でアニメを見て、家族でライブに来た、といったような「ライト層」「家族層」みたいな人も一定はいるのかもしれない。そして、実際のテレビ関係者の狙いとしては、そっちにターゲットを広げたかった、というのがあるのかもしれない。そこまで成功しているかは知らないが。
あと最後に書いておきたかったのが、あって、それについて。
少し注目していたのが、ライブ中に流される、アニメのダイジェストについてだった。私も、あれだけ、2期については批判的なことを書いたこともあって、どのように編集してくるのかな、というのが気になっていた。結果としては、最終話のラストの大どんでんがえしについては一切ふれていなかった。ただ、当然だけど、かのんの留学問題を最後のテーマとして、まとめていた。
ただ、それで思ったのが、「かのんの留学問題」という最終のテーマに入る前のテーマとしての「ウィーン・マルガレーテ問題」が、前者のテーマと、いろいろとからまって見せられているんだな、というところだった。
ウィーン・マルガレーテ問題は、そもそも、かのんがウィーン・マルガレーテをその時々で、どう見てきたのか、と深く関わっている。それでふりかえってみると、東京大会でリエラがマルガレーテちゃんに勝つところまでは、かのんのマルガレーテへの「批判的」な見方が支配的になっている。
(その前に、彼女が「中学生」であったことにショックを受けている場面がある。つまり、自分よりずっと精神年齢も下なのに、という自嘲だったわけだが。)
しかし、である。
その場合、かのんの視点は「なぜ、マルガレーテちゃんはこうなのか?」という疑問とセットになっている関係にある。
そして、次に二人が関係するのが、マルガレーテちゃんのSNSを見て、かのんが彼女に会いに行く場面だ。ここで、かのんは彼女に、彼女が姉の高校に行けなかった話題をふる。つまり、その「行きたい高校に行けなかった」という点において、かのんとマルガレーテとの「共通点」があること、その点において彼女に「共感」できる、ということを告白する場面になっている。
共感できるということは、ある意味において、かのんはマルガレーテが「なぜそのようなのか?」について、一定の理解をした、ということを意味する。つまり、彼女のああいった、大会でのエキセントリックな態度についても、一定の納得をした、と言っているわけである。
また、あまり意識していなかったけど、この話の中で、かのんはマルガレーテに自分の子どもの頃からの「夢」の話を、さらっとだけどしているんですよね。
ここって少し重要で、この話は幼馴染の千砂都は知っているわけだけど、他のリエラのメンバーは知らないわけですよね。そういう話を、マルガレーテちゃんにはしている。なぜかといえば、マルガレーテちゃんの行動は、もしかしたら自分にもあった「可能性」だったのかもしれない、と思えるからなわけでしょう。
つまり、その夢を確かに小さい頃はもっていたんだけど、

  • 人前で歌えなくなった

頃から、それもあって考えなくなっていた。そんなことできるはずもない、と考えたから。だから、ここでかのんが言いたかったことは、マルガレーテが世界最高峰の姉のいる音楽学校に行こうとしていることに対して、それとの比較で語っているわけだ。
自分は「ある時期」から、そういった「夢」について考えなくなった。それに対して、マルガレーテちゃんは、言わば、かのんのような特殊な挫折はなかったけど、結果としては、学校に入れなかった。そnのことは逆に言えば、もしかしたら、私も順調に音楽に邁進できていたら、もっと上の学校への興味も湧いていたのかもしれない、と。
こういった話のいきさつから、マルガレーテちゃんはかのんに自分の特殊な事情を話し始める。自分が音楽一家であり、受験は失敗したけど、家族の口添えがあれば、今からでも編入できるかもしれない、など。
かのんからしてみれば、マルガレーテちゃんは同じ、音楽についての「夢」に挫折した存在ということになる。かのんはそれに対して、一度は「あきらめ」たために、考えなくなっていたが、これに対して、マルガレーテちゃんは、ちゃんとその「夢」に今でも向き合っている。つまり、マルガレーテちゃんは、たとえ受験失敗しても、今も必死でその先を目指そうとしている。
こうやって比較すると、かのんがマルガレーテちゃんが気になる理由が分かってくる。つまり、マルガレーテちゃんの今の「有り様」は、どこまでも、かのんの「子どもの頃からの夢」を再び、かりたててくる存在となっている。かのんは挫折して、もういいやと放り投げた。マルガレーテちゃんは受験に失敗しても、今でも夢を棄てないで、大事にして目指している。このことは、かのんに

  • 自分が子どもの頃にもっていた夢を「あきらめ」ちゃいけないんじゃないか?

という「内省」をかりたてるわけである。
こういった話の流れから、次に二人が出会うのが、かのんの留学問題が問題となっていたときに、かのんが母親に、その苦しい胸の内を、自宅の喫茶店で話しているところに、マルガレーテちゃんが来店して、二人で店の中で話す場面だ。
ここの話の展開は、上記の場面と対応させると、興味深い。
前回の場面で、マルガレーテちゃんはかのんに「あなた(程度の人間)と私を一緒にしないで」と言っていた。つまり、自分が目指している高校は世界最高峰だけど、あなたが受験した音楽科は、日本の片田舎の二流じゃない、と。
しかし、今回では少し事情が変わってきている。マルガレーテの家族は、ラブライブに優勝した、かのんを高く評価している。そして、マルガレーテに、かのんのもとで音楽を学べ、とまで言っている。さらに、そのために、かのんの留学を条件にして、マルガレーテのヴィーンの音楽学校への入学を許可する、とまで言っている。
これを受けて、マルガレーテは、かのんの決断に依存することは、しゃくだけど、自分の夢のためなら、受け入れる、と告白する。
これに対して、かのんの話す内容は、自分は「怖い」という話だ。つまり、自分がリエラのメンバーでなくなり、自分が学校を止めることが。それだけ、「自分の中」で、リエラや学校が

  • 大事な存在

になっている、と告白する。
これに対する、マルガレーテの話は、これ以降の展開を大きく左右していく。まず、かのんが留学することは学校にとって大きなメリットだ、と説得する。なぜなら、かのんが、その世界一流の学校に入ることは、学校にとって

  • 大きな宣伝

になるから、と。つまり、ここで突然、「廃校問題」がむしかえされている、と考えることもできる。
かのん留学問題は、千砂都がかのんに留学を勧めたことから始まっている。しかし、千砂都がそういう性格なのは一期の頃から分かっている。もしもダンス大会で優勝できなくて、かのんの隣に並べる資格がないなら、海外にダンス修行に行ってもいい、と話していたような奴なので。
しかし、かのんがみんなの前で、留学の決断をしたという場面の説明では、必ずしも、千砂都に全面的に賛成だから、といった説明をしていない。かのんは、ひかえめに、

  • 自分が留学したら、学校にメリットがあると思うから

といったことを言っている。この主張はまんま、マルガレーテの説得の内容になっていることが興味深い。
(ちなみに、かのんは「条件」として、リエラの来年以降の存続を求めている。これにみんなが「同意」してくれたから、留学をする、という形になっている。)
ようするに言いたかったことは、この一連の流れで、かのんのマルガレーテちゃんへの見方が大きく変わっている、ということだ。最初は(彼女が中学生だったということあったのかもしれないけど)大会で、彼女の態度に対して、「それはおかしい」と彼女を少し、精神的に幼稚に見下す態度となる。それから、でもそうはいっても、だったら「なぜ彼女はああなのか」の点で気になり、いろいろと調べるようになって、少しずつ彼女のことを知るようになって、彼女を少しずつ

  • 見直して

いく場面が描かれる。そして、最後でいろいろあるけど、彼女の「アドバイス」を素直に聞くところにまで行っている...。

追記:
少し補足しておくと、3期へのフラグとして、マルガレーテがかのんの語る音楽の意味を理解する、というのがあるだろう。これは、彼女の親が、彼女に、かのんのもとで音楽を学べと言っていることからも、その意味が詳らかになる必要がある。
前も書いたけど、ラブライブシリーズに悪人は出ないという法則がある。
つまり、マルガレーテちゃんはまだ、だれもから支持される存在とまでにはなっていないけど、ということは3期で、ツンデレのデレを描かなければならないという関係になっている。
とはいっても、それがどのように描かれるのかは、さっぱり分からないが。