韓国語の考察

昔漢字を使っていた国として、中国、日本、韓国、ベトナムが挙げられているが、韓国とベトナムは今は漢字を使っていない。このことから、漢字を廃止した韓国を、今も漢字を廃止していない日本がどのように考えるのかは興味深い問題と捉えられる場合がある。
普通に考えて、もしも韓国が漢字を廃止したことに「合理的な理由」があるなら、

  • いずれ日本も漢字を廃止することになる

と考えられることは自然だ、ということになるだろう。つまり、「歴史法則」というわけである(もちろんそうなると、中国も漢字を廃止しなければならなくなるわけでw、どういった「法則」なのかが気になってくるわけだが)。
なぜ韓国が漢字を廃止したのかということで、よく言われるのが、「漢字が難しい」から、というのがある。漢字は画数も多く、そこまで学習する合理的な理由はない、と言いたいのだろう。
ところが、である。これについては、日本も中国も「同じ」わけだ。つまり、この二つの国は、ずっと、

  • 簡略字

を国策として積極的に導入してきた。そして、両国の簡略字については、そもそも、なんの関係もない。完全に、それぞれの国で勝手に行っている。韓国の人が「漢字は面倒だ」と言って考えるときのその「漢字」とは、もともと、韓国で昔に書かれていた漢字をイメージしていて、それに対して「面倒だ」と考える感覚は、日本も中国も同じで、だから、簡略字が今では使われているわけで、そういう意味では、あまり韓国側の主張には「なぜ無くさなければならなかったのか」の説明になっていないところがある。
もう一つ考えられるのが、当時の韓国の識字率の問題があるだろう。日本でもそうだが、識字率を考えると、「ひらがな」をとにかく学ばせるという戦略は合理的ではある。日本の識字率の高さも、おそらく、「ひらがな」を先に学ばせたことをもって、

  • 読める・書ける

の「定義」にしているわけで、識字率の「統計値」を高めるという意味では、てっとり早い対策だと言えなくもないわけである。
ただ、よく言われるように、韓国は漢字を廃止してハングルのみにしたことによって、同音異義語が文字からは区別しにくくなったことは明らかだ。そして、それは「文脈」で区別するしかなくなったというわけだが、このことをどう考えるのかには、幾つかの論点がある。
まず、だとして、日本語が同音異義語を区別できているのかはまた別の話だ、ということだ。そもそも、漢字とは、いろいろな言語を話す人たちが「共通」に意志疎通をするために発展してきた、ということがある。つまり、そもそもの「目的」が、

  • 外国人と意思疎通をする

という目的の使用だ、ということだ。ここから、現代においては「専門用語」を表現する手段として、漢字は日本でも中国でも、独自に発展してきた。
これに対して、韓国では大学でも、各分野での専門書を韓国語で出版することにはあまり成功していないと聞く。むしろ、ここまで専門のことを議論するのなら、もう、

  • 英語

でやった方が「早い」というわけである。
この事態を聞いたとき、私はむしろ、これは

を意味していたんじゃないのか、と思ったわけである。例えば、日本でいえば、「縄文時代への回帰」である。縄文時代の日本では、書き言葉はなかった。ということは、人びとは口承で伝えるしかなかった。しかし、そうであるからこそ、独自の文化が発生した。であるなら、より「伝統」を大事にするなら、

ということと「同値」の意味で、「ハングルだけにする」という選択をしたんじゃないか、と思ったわけである。保守派が「日本回帰」を主張するなら、なぜ

  • 漢字の「廃止」

を主張しないのかは、よく考えてみると、そこまで自明じゃない。あれだけ、本居宣長が「漢心批判」をしたんだから、だったら、なぜその「勢い」で漢字の廃止まで主張しなかったのかは、そもそも、本居宣長が、「太古の日本」をイメージするとき、なぜか

  • 縄文日本

を、まったくイメージしていないことの「異常さ」が、まったく、ほとんどの日本人に理解されていないことの「異常さ」と大きく関係している、と思うわけだ...。