妖怪の孫を見て

ところで、月曜の仕事終わりに、新宿ピカデリーで、映画「妖怪の孫」を見た。そういえば、これと似たような映画を安倍が生きていたときにも見たなと思い出したけど、あれはいつの、どこで見たんだったっけな。おそらく、同じ監督なのだろう。
見ていた人は、高齢者が多かった印象がある。
つまり、「安倍晋三」問題というのは、

  • 戦前回帰

の問題だったわけだけれど、これが深刻だと考えていた「戦中世代」がどんどんいなくなって、あまりこういった危機感を感じなくなっている、ということなんだと思う。
今の日本の、明らかな

  • 異常

を一つだけ挙げるとしたら、「自民党改憲草案」だろう。そして、これをまともに読んでいる人が、ほとんどいない。さらに、なぜか自民党自体が、これがいかに「トンデモ」であることを分かっていながら、絶対に撤回しない。
そんな明らかに「狂った」ものを大事に保持している自民党であるにも関わらず、今までの選挙では圧勝してきた(自民党自体の基礎票は増えていないという分析もあるが)。
ようするに、自民党改憲草案は、

なのだ。安倍晋三が心頭した、おじいちゃんの岸信介は、明治憲法復活論者だったことが知られている。そして、当時の自民党内で、そういった活動をやっていた。
じゃあ、明治憲法と今の憲法との違いはなんなのかとなるけれど、ようするに、この「自民党改憲草案」を意地でも作り、撤回させない勢力というのは、

  • 親やおじいちゃんが、明治時代に、「貴族」相当の「特権」を与えられながら、戦後にその特権を剥奪された

勢力なのだ。彼らの「怨恨」がここに記されている。もう一度、俺を

  • 貴族

として扱え、という訴えなわけだ。じゃあ、こういった「貴族」として、特権階級として扱われた人たちとは誰かといえば、長州藩出身で、明治政府という、長州藩の「クーデター」で作られた政権の中で、出身が長州藩だというだけで、政府の重要なポストにつくことのできた人たち、ということになる。
ではその場合に、元長州藩の、自分たちが「優遇」されることの正当化として、

の深さが、他の藩と比べものにならないくらいに強かったから、ということになる。
ようするに、あらゆる「差別」の正当化は、この「天皇への態度」という、

  • 主観的なものさし

のよって「正当化」される構造になっていた。だから、「勝てば官軍」の思想なわけで、勝者にとっては都合のいい考えだ、と言えるだろう。
日本はWW2で戦争に負けて、アメリカの占領軍によって占領されて、日本の戦前の貴族階級はその地位を剥奪されて、大日本帝国陸軍大日本帝国海軍

  • 解散

させられた。つまり、これに関連して、上官などの地位にあった、多くの「上位の身分」の階級の人たちが、

  • 平民

に落とされ、戦前にもっていた特権的な地位を失った。
これに対して、

  • なんで今までの特権が剥奪されなければならないのか

と、それを「理不尽」だと訴えてきた勢力が、自民党のコアを、ずっと形成してきた。
もともと、「保守派」とは、こういう意味だったのだ。フランス革命で、貴族は全員、その特権を奪われた。これを、

  • なんで今までは、自分を特権をもった存在として扱っていたのに、その特権を剥奪したんだ

と「理不尽」だと主張する勢力を

  • 保守派

と「定義」していたのだ! もともとが、そうなのだ。そう考えると、通俗的に、ちまたで言われる「リベラル」などの概念が、完全に、陳腐化していることが分かる。
安倍晋三問題は、彼の「おじいちゃん」である、岸信介の問題として考えられてきた。この人は、戦前の日本の官僚であったわけだが、もともとは、

に深く関わって動き続けた、日本政治の暗部でありフィクサーのような存在だ。そして、戦後の日本は、こういった、元満州組が当時考えていた、

  • 政策

を、そのまま、日本に適用した。日本の莫大な規模になる、特殊法人など、当時の満州国に似たシステムが多く存在する。
そうした場合、岸信介が、北一輝が一方でウルトラ天皇主義者であったのにも関わらず、他方では、ほとんど「社会主義」と変わらない主張をしていたことから分かるように、この二つを分ける分水嶺はずっと、曖昧だったわけだ。
そもそも、統一教会との「付き合い」も、岸信介から始まっている。
私は今も自民党に「おもねり」続けている、日本の学者などが、この「自民党改憲草案」に対して、

  • あいまい

な態度を続けているのを見るにつけて、彼らの「堕落」を糾弾していきたいし、この戦いは終わらないようにも思っている...。