「据え置き型コンソールゲーム機」という概念は矛盾している

ビデオゲーム業界が「いびつ」な構造をしていると思わされる最大の理由は、ファーストとサードの構造だと思っている。つまり、ファーストは

  • ハードの販売

とセットになって、ビデオゲームの開発を行っているが、サードはこのハードに関して、一切関知しない。まったくのブラックボックスで、ソフトウェアだけを開発するので、

  • まったく市場原理に適合しない「いびつ」な製品

が作られる。サードの製品は「芸術」かもしれないが「商品」なのかが疑わしいのだ。サードの製品はハードの性能に

  • 寄生

して作られるので、ファースト側が提示する「条件」の範囲で、好き勝手に開発をするので、ファースト側が、合理的な条件を設定できないと、どこまでもサードは暴走する。
なぜ、据え置き型のコンソールゲーム機という概念は矛盾しているのか? それは、当たり前だが、性能を上げるとコンソールゲーム機の値段が上がるからだ。値段が上がると、ユーザーは各社のコンソールゲーム機を全部買うことができない。というか、どうせ数年したら、コンソールゲーム機は

  • 買い換え

をしないと駄目なことが分かっているのに、こんな高価な買い物をできない。だったら、

  • (組み立て式の)ゲーミングPC

を一台買って、パソコンでビデオゲームをやった方がいい。
このコンソールゲーム機の矛盾の理由は、ハードの高性能化が、ハードの高価格化を結果していることに理由がある。値段が高いハードを数年で廃棄するのは不合理だ。しかも、各社で発売している据え置き型のコンソールゲーム機をすべて買うのは、値段という制約がある。
そう考えると、なんで「高性能」化を推進しているんだ、という疑問がわいてくる。
ゲーミングPCは、たとえ古くなったとしても、すべてを買い換える必要がない。今、買い換えたいと思ったCPUやGPUやメモリを替えればいいのであって、それ一つの値段だけですむ。ところが、コンソールゲーム機を次世代機が発売されたとなると、ゲーム機そのものを買い換える必要がある。よって、以前使っていたゲーム機は押し入れにしまわれるか、中古で売ることになる。
そもそもの話である。
ゲーミングPCは、人それぞれが、買うパーツによって、性能を決定する。そしてその性能に合わせて、ユーザーは遊ぶゲームを決定する。低スペックなら、モンハンワイルズを遊べない。でも、多くのインディゲームが遊べるから、それでいいや、と考える人はいる。
この話は特に今、DRAMメモリが高騰している状況においては深刻である。つまり、PS5やXBOXは久しく次世代機を発売できないでいる。すでにビジネスモデルが崩壊している。もう、高価格のコンソールゲーム機という概念が矛盾し、崩壊しているのだ。
これに対して、SWITCH2はどうだろうか? このハードは、前世代機のSWITCH1に対して、NVIDIAのDLSSという機能を使って、アップスケーリングによる4K対応を実装したことによって、高性能を実現した。しかし、ベースはSWITCH1と同じく

  • 携帯機

である。そもそもハードのパーツがそうだ。この関係はスマホやタブレットのハイスペック型に近い。つまり、スマホやタブレットにおいては、一部に高性能製品は存在するが、そもそもが携帯端末用なので、たかだか知れた性能である。
つまり、SWITCH2は「思想」としては、別に高性能に全振りしていない。そもそも4Kに、ネイティブで対応していない。そんな

  • 無駄

なことをやらないかわりに、アップスケーリングという

  • ソフトウェア

の技術で、4K対応してある、にすぎない。
つまり、SWITCH2は「低性能」という意味では、一貫してSWITCH1の思想をひきついでいる。だとしても、アップスケーリングの技術がすごいので、サード各社は次々とSWITCH2向けにゲームを発売している。
ようするに、SWITCH2は完全に、PS5やXBOXの

  • アンチテーゼ

になっている。高性能ハードって、いらないんじゃないか? その答えを、SWITCH2は提示している。事実、今、次世代機を発売できているのは任天堂だけだ...。

追記:
SWITCH2のテレビモードは、携帯機をHDMI出力して、外部ディスプレイに表示しているだけだ。確かに、テレビモードでは、携帯モードで抑えていた性能を解放して、ある程度の高性能化は実現しているが、その実体は携帯機自体の性能の範囲で、フルに性能を発揮しているというもので、あくまで、携帯機であることには変わりがない。
そういう意味では、これは、ノートPCやタブレットの性能の話と変わらない。ノートPCやタブレットを使う人は、カバンに入れて持ち運べることを重要視しているのであって、性能が劣ることなど分かってて使っている。問題は、たとえ性能が低くても、ソフトウェアの力で、必要十分に自分がやりたい作業ができているかどうか、なわけだろう...。

宮本のインタビューから見えるSWITCH2とPS5の違い

SWITCH2とPS5の違いについて話題にするとき、よく、SWITCH2はPS5の下位互換じゃないか、と言われることがある。その意味は、ハードのスペックがPS5の方が高いんだから、SWITCH2を買う必要がない、と。原理的には、SWITCH2のゲームはすべて、PS5で動くはずだから、PS5だけ買えばいいじゃん、と。
この指摘は一見すると合理的に聞こえるかもしれない。確かに、SWITCH2のファーストゲーム(任天堂が作ったゲーム)は、PS5で発売されないからPS5だけじゃ十分じゃない、という反論はありうるが、逆に言えば、もし発売されたら、

  • きれいな画面

でPS5だったら見れることになるんだろうから、売る側の都合をひとまず考えなければ、それでいいんだろうな、って。
つまり、この二つの差異はそんな簡単な話じゃないんだろう、というのが想像できる。
両社は、どういった考えで、それぞれのコンソール機を発売しているのか? ここを見極めないと、両社がなにをやっていることになるのかが分からない。
まあ、そうは言っても、PS5については、そもそも他社と差がない。XBOXやsteamとほとんど同じことをやっているし、ソニー独自のなにかがあるかって言われるとよく分からない。つまり、よく言われるように、PS5とXBOXはお互いが、お互いのやることを

  • 真似(まね)

し続けて今に至っているところがあって、お互いのビジネスモデルを違ったものと考える理由がないわけだ。
対して、SWITCH2は上記とはまったく違った、戦略で戦っている。
たとえば、宮本茂のファミ通でのインタビューが話題になっているが、ここで、そもそも任天堂から発売されるビデオゲームが、どういうものなのかについて彼が説明している。

宮本 社外のゲームセミナーでしゃべるのもそういうことで、だいたい皆さん何かしら大好きなゲームがあって、そのゲームを「こうしたらもっとおもしろくなる」っていう発想から新しいゲームを考えるんですけど、いつも「それはやめたほうがいい」という話をしています。“自分だけが気付いた遊びの原理”みたいなものからスタートしたらいいのにって。
これは任天堂では当たり前のことで、特別なことをしているとは思っていないんです。独自のおもしろい体験とセットで記憶されて、それが個性的であればあるほど刷り込まれる。マリオがなぜとくにグローバルで知られるようになったかというと、きっと身体機能中心のゲームで、国や文化関係なく誰でもわかるゲームだからです。
www.famitsu.com

けっきょく、個人の趣味みたいないちばんローカルなものが、グローバルにも通じる。逆にうっすら通じているように思えるものを参考にすると、誰が作ったのかわからないものができあがって、じつはそれってグローバルに弱いんだと。だから会社では「あなたが作ったと言えるものをいちばん活かせる形を商品にしたらいいんですよ」っていうくらいしか僕は答えを持ち合わせていないんです。
www.famitsu.com

今、PS5やXBOXの主力タイトルを一言で言うと

  • AAAゲーム

ということになる。ようするに、金も人も時間もたっぷりかけて作る「大作」である。そして、この大作を動かすことができるハードを各社がスペック競走して売り出している。
対して、任天堂についていうと、実は過去に、任天堂はこの「スペック競走」をやってたことがある。それが、nintendo 64である。この頃のゲームは、3Dゲームが作られ始めた黎明期で、この頃に3Dゲームの基礎が、ビデオゲーム業界で作られた。そして、それを率先してひっぱったのが任天堂だった。ゼルダの伝説時のオカリナが、カリスマ的な評価を受けたのも、ほとんど3Dゲームの基礎をこのゲームが確立して、今の、たとえばゲームエンジンのほとんどが、そのテクニックを流用していることからも分かるし、その他にも、star foxなど、多くのゲームが作られた。
ところが、任天堂はこの「スペック競走」から撤退する。つまり、

  • 卒業

した。つまり、3Dについての実験的な取り組みについては一定の成果をあげたので、この側面にだけ特化したゲーム作成を目指さなくなった。
その代わりに任天堂が作ってきたゲームは、ようするに、

  • 原理原則にたちかえって、おもしろさ、新規性があるゲーム

だけを会社として選んで、商品化してきた。そのため、必然的に各ゲームは

  • シンプル

になっている。
完全に、AAAゲーム路線と真っ向から対立している。
なぜ、ソニーはAAAゲームに傾注したのか? その一つの理由は、自社の4Kテレビの販促だった。当時、4Kテレビは非常に高価だった。しかし、デジタルテレビへの移行などと一緒に、これからは4Kの時代だと言われていた頃で、4K放送が当たり前になるだろうと考えられていた。
しかし、である。
今、4K専用放送局はすべてサ終した。テレビはもう半分、4Kを捨てている。そうなった理由は、ユーザーがわざわざ、単価の高い4K番組を買おうと選ばなかったからだ。
ソニーのAAAゲームは、ようするに

  • ハリウッド映画

だった。実際に映画関係者が制作陣に入って、映画の「まねっこ」をやった。そう考えると、映画の真似をできること自体は、

  • すごい

ことなのだが、問題はそれと「ゲーム」が、なんの関係があるのかを誰も説明しなかったわけだw
やれることはやれたとしても、やったことでゲームデータが巨大化して、パケで発売できなくなって、その

  • ゴミ

はなんなのかが誰にも分からない。まるで映画のように、鮮明な3D映像で、登場人物の皺(しわ)の数が数えられたからって、それが

  • ゲームとして

なんなのかは誰も答えない。PS5はSWITCH2の「10倍以上」の電気を消費するのだが、そんなに電気を使って、だからなんなのかが、誰も分からない。
対して、任天堂がやっていることは昔ながらのゲームの「原点」「本質」を今も追求している、というだけの話だ。
アイデアがおもしろければ商品化するし、個性的であれば商品化する。それを原理原則から考えるから、必然的にシンプルなものしか商品化していない。これが、SWITCH1/SWITCH2で、一時期話題になったインディゲームのパケ版が、次々と発売される理由なんだろうな、と考えてもいいだろう。つまり、インディゲームがやっていることと、任天堂が作っているゲームは

  • 同じ思想

なんだろう、と考えることができる...。

追記:
なぜゲームが巨大化するのか? それはなぜAAAゲームが作られるのかと同値である。以前は、それは、パケの容量との関係にあった。ディスク3枚組で発売するなら、それだけの部材費がかかるのだから、そこから値段は推測された。
しかしゲームの巨大化はゲームの死でもある。そもそもゲームとはアイデアなのだから、純粋にシンプルなものだ。それが巨大化しているということは、なにか無駄なことをしているか、繰り返しが発生している。
そしてこういったゲームの特性は、以前はジャンルとしてカテゴライズされていた。たとえば、アドベンチャーゲームと呼ばれる、ノベルゲーはクリアまで長くてもそれは、シンプルな挿絵とセットになった小説の一種として、ゲーム業界に居場所を与えられていた。
なぜAAAゲームがダメなのかの最大の理由は、製造コストがかかりすぎているため、つまんなくても売れないと困るから、必然的に、ステマが増えることだ。
それによって、世の中に、その作品をつまらないと言ってはいけない雰囲気が形成されて、地獄のような言論統制社会になる...。