税金泥棒とは誰なのか?

まあ、どうでもいい話であるが、いつもの、堀江貴文さんが、

  • 納税してる額より給付されてる額の方が多い人=税金泥棒

と言ったという話で、左翼といろいろ、やりとりをしている。

ほんとそんな時間あったら働いて納税しろや。税金泥棒め。

いや〜年金デモ参加者達も暇で羨ましいっすわ笑〜(皮肉) もっともっと時間が欲しい人沢山いるのにこんなにのんびり出来る時間がたっぷりある人達ってのも珍しいっすね笑
@205_dark 2019/06/18 00:46

@takapon_jp 2019/06/18 01:33

お前相変わらず文脈とか行間読めねーんだな。親切に教えてやるよ。このデモに参加してる奴の大半は実質的に納税してる額より給付されてる額の方が多いんだよ。それを税金泥棒って言ってんだよ。

デモに参加するとなんで「税金泥棒」になるのだろうか。デモに参加するとどうやって税金を泥棒できるのだろうか。意味がわからない。香港のデモに参加した200万人は税金を泥棒しているのだろうか。
@KazuhiroSoda 2019/06/18 10:14

@takapon_jp 2019/06/18 20:43

(しかし、ひっでーチンピラだな。これが東大品質なんだろうな。東大出身であるということは、堀江と同じレベルの品の悪さということを示しているという意味で、東大出身者がこれからもっと、社会から嫌悪されていくであろうw)
(まず、゙デモに参加するという「そんな時間あったら働」けって、他人が自分の余暇を何に使おうが自由じゃねえか。それを強制するって、どこの社会主義国ですかねw 堀江は一体、どんな全体主義国家に、この日本をしたいんですかねw また、「このデモに参加してる奴の大半は実質的に納税してる額より給付されてる額の方が多いんだよ」っていうのは、どういう計算なんだw 2ちゃんじゃないけど、「ソース」はなんだよw ソースもなしに言っているんだそしたら、またしても、誹謗中傷の名誉毀損なんじゃねーか)。
しかし、そもそも堀江は

  • ライブドアの社長のときに、犯罪者として牢屋に入れられている
  • 何年か前に、自民党から立候補して、選挙を行っている

わけで、ようするに、

  • 自民党は、「納税してる額より給付されてる額の方が多い人=税金泥棒」という考えの政党だ

ということなんだよね。さて。こんな自民党に、国民の皆さんは次の選挙で投票するんですかね? 恐しいね。絶対に、堀江のような奴を国会議員にしてはならないし、少しでも早く自民党を下野させて、野党政権を作らないと、年金がどうなっているか、分かたもんじゃないでしょう。おっかねー。
まず、泥棒とは誰かを考えてみよう。
現代社会において、

  • 「ルールに従う」人は、非犯罪者
  • 「ルールに従わない」人は、犯罪者

という定義になる。ところで、

  • 泥棒ならば、犯罪者

であることは誰もが認めるだろう。ところが、

  • 納税してる額より給付されてる額の方が多い人だからといって、犯罪者とは限らない

わけであろう。つまり、

  • 納税してる額より給付されてる額の方が多い人だからといって、泥棒とは限らない

ことが分かる。
要するに、堀江は日本に住む、多くの

  • 納税してる額より給付されてる額の方が多い人

を誹謗中傷して、彼らの名誉を傷つけたのだ。そこで、日本国民は集団で彼を裁判で訴えて、多額の賠償金を払わせるべきであろう。
じゃあ、誰が泥棒なのかというわけであるが、言うまでもなく、堀江は国家が公認した「犯罪者」なわけであろう。そして、何年も牢屋に入れられた。そういう人間が、毎日を犯罪を犯さずに、ルールを守って生きている日本国民を、なんの根拠もなく、他人を「犯罪者」呼ばわりか。恥を知れ、犯罪者。二度と人前に現れるな。
さて。ではなぜ、

  • 納税してる額より給付されてる額の方が多い人

が、現代社会において許されているのか、ということになるが、簡単である。それが

  • 正義

だからである。その人の事情を鑑みれば、その人の場合は、そういった逆転が起きるのはしょうがないと考えるから、民主主義がそういう制度にしているわけである。
当たり前だが、

  • 正義は、<累進性>税率にある

わけである。お金持ちや、多くお金を稼いだ人は、それに対して、累進的に税金を払わなければ

  • 不公平

なわけである。例えば、ピーター・シンガーは、功利主義の立場から、世界中の人々は、アフリカの飢えて死にそうな人に、収入の一定割合(例えば、一割とか)を寄付すべきだ、と言いました。しかしこれは

  • 不平等

と言わざるをえません。マルクス主義を否定する、いかにもシンガーらしい

  • 詐欺(さぎ)

だと言わざるをえないでしょう(よく考えてみてください。同じ理由で、功利主義の「最大多数の幸福」は、この「累進的」な補正がされていません。そういう意味で、そもそも、功利主義は「不平等」なわけですw)。
皆さん。悪魔に騙されてはいけません...。

協調行動と「アイデンティティ」

アニメ「八月のシンデレラナイン」は結局、大会が始まる前に、放送が終わるんだろうか? 毎回、おもしろく見ていたのだが。
ただ、おそらく脚本の問題なのだろうが、2点、理解できない点がある。一つは、練習試合で相手チームの内野と外野が入れ替わっていた件で、こんなことをやる意味が分からないってこと。もう一つが、野崎夕姫がチームスポーツが苦手という設定で、そう言いながら、小学校の頃は、かなりドッチボールをやっていたと言っているわけで、チームスポーツやってんじゃん、ってこと。
まあ、そんなことはどうでもいいのだが、これを見ていると、つまりは野球って、チームスポーツなんだよな、と。もっと言えば、

  • 体育系

なんだよな、っていうのを思い知らされる(そのことは、ガルパン劇場版第2話を見ても感じたが、これもチームプレーであり、「体育系」なんだよな)。前回、大学出が本質的にチームプレーができない。というか、それを評価されて大学に入っていない、ということを書いたわけだが、その代替的な機能を「体育会系」が与えていたんじゃないのか、と思っている。実際に、体育会系は就職に強かった。
まあ、考えてみれば、当たり前だとも言えるわけである。大学とは研究機関なのだから、大学が欲しいのは、

  • 発明・発見

をしてくれる人ということになる。そう考えれば、少し人格がおかしかろうが、研究成果を出してくれるような人が求められているわけで、そもそも、彼らに「協調」行動を求めるのが、どうかしているのだろう。
大学教授は人格的に問題のある人が多いのはそういうことなわけで、普通に生きている人たちは、できるだけ、こういう人たちと関わらない方がいい、ということになるw
しかし、そうは言っても、私たちはきっと大学の研究者の人たちというのは

  • 私たちのためになること

をやってくれている、と思っている。つまり、私たちはみんな、今も、大学では、マルクス主義が教えられていて、 学生もマルクスを学び、先生もマルクスを研究して、

  • どうすれば貧乏な人々がなくなる社会になるのか?

を研究してくれているんだろうな、と思っていて、そうであるなら、と考えて、彼ら大学関係者に一定のリスペクトをもっているものだ。
ところが、である。
前回、マーク・リラの本を紹介した。そこで、考えさせられたのは、今の大学はマルクスなんて読まない、ってことなのだ。つまり、彼らはプチブルジョアで、自分の小金を守ることにしか興味がなく、お金がなくて大学に入れなかった同級生になんの感情移入もしない。じゃあ、彼らは大学で何をしているのか?

キャンパス内のリベラルが個人のアイデンティティだけに固執するようになると、彼らは理詰めの政治的議論をしたがらなくなる。過去一〇年くらいの間に、断定的で反論を認めないような話し方をする人が増えてきている。「Xの立場で言えば、〜」という言い回しははじめのうちは大学の中だけだったが、やがて主流のマスメディアにもそういした話し方が入り込んだ。Xとして意見を述べるというのは、一見、謙虚なようだが、実はそうではない。Xとして発言すると言えば、聞き手に対し、「私は特権的な立場から発言する」と告げたことになるのだ(たとえば、「ゲイのアジア系の立場で言うと、私はこの問題について判断するには不適任なんじゃないかな」という発言はありえない)。自分の意見に対する疑義を跳ね返す壁を築いているのである。自分の意見に疑義があるのは、すなわち、その人はXという立場にいないということなのだから、聞く必要はないというわけだ。どの立場で話すかは、議論での力関係を決める。道徳的に上であると思われるアイデンティティを使い、また疑問を呈された際に最も激しく怒った者が議論の勝者となるのだ。たとえば教室での議論なら、過去には誰かがまず「私はAだと思う」と言い、その後、互いに自分の意見を言い合う、という流れになったはずである。今はそうではない。Xの立場で意見を言った人は、たとえば誰かがBという意見を言っただけで、それを自分への攻撃だと受け取り、怒り出す。アイデンティティがすべてを決めていると信じているのだとしたら、意見に反論されて怒るのは当然である。アイデンティティを否定されたのと同じだからだ。これでは偏りのない公平な対話の余地はどこにもないことになる。白人の男性には白人の男性の認識があり、それは黒人の女性とは違っている。それに対して何を言えばいいというのか。
他人の意見を変えさせようとするのはタブーにすらなっている。誰もが特権的な立場で話をし、誰も人の話を聞かないキャンパスにいると、宗教に支配された古代世界にいるような気分にもなる。どの問題についても、それについて話すのは、話すのにふさわしいと皆が認めるアイデンティティを持っている必要がある。適切なアイデンティティを持つ者だけがシャーマンのように言葉を発することができる。アイデンティティは古代社会の「トーテム」にも似ているだろう。重要性を持つトーテムはその時々で変わる----現在ならたとえば「トランスジェンダー」かもしれない。保守の人が議論の場にいれば。即座に見つけ出され、「生贄」のように扱われる。そして排除の儀式を受け、キャンパスから逃げ去ることになるのだ。意見が正しいか誤りかではなく、純粋か不純かが問題にされる。それは意見の内容のみならず、意見を伝える言葉についても同じだ。自分たちが過激であること知っている左派のアイデンティタリアンたちは、反論を受けた時、それに打ち勝つために。あえて堅物のプロテスタンティストの女性教師のように振る舞う。相手の発言の中に下品で不穏当な言葉がないかを探し、もし、うっかりそういう言葉が使われていることを発見すれば、ここぞとばかりに叩くのだ。
(マーク・リラ『リベラル再生宣言』)
リベラル再生宣言

結局さ。アメリカの大学って、お金持ちしか入れないわけでしょ。そして、彼らはマルクス主義者にはならない。マルクスの勉強もしない。じゃあ、なにをやっているかというと、ひたすら

  • 自分語り

なんだよね。つまり、アイデンティティ。それは、女性だったり、黒人だったり、なんでもいいんだけど、ようするに

  • そればっかり

研究するんだよねw だって、自分ほどの「専門家」はいないのだからw
まあ。上記の引用を読んでみてよ。典型的な、大学の文系の連中の、虫酸が走るような、気持ち悪さを象徴しているでしょ。
文系で、大学に入って、こういった「アイデンティティ」哲学を学んで、そうなると、普通の大衆の人とは、そのことで議論しようなんて思わないんだよねw だって、自分が大学で「専門」を学んだんだから、一番分かっているんだからw
なんか、上記の引用を読んでいたら、典型的な、東浩紀先生だよな、って思いませんかね。まるで、ハイデガーみたいに自分語りばっかりしたがるし、自分という

  • おたく

を論じた、『動物化するポストモダン』って、典型的な「アイデンティティ・アカデミズム」だったわけじゃないw こういう学問に、なんの恥ずかしさもないんだよね。
ようするにさ。大学って、いつの間にか、典型的なプチブルジョアの巣窟みたいになってしまったわだ。みんあ自分語りにしか興味がないし、自分の意見に文句を言ってくる人は

  • クレーマー

とレッテルをはって、自分のアイデンティティを否定された、と「ヒステリー」になって、絶対に自分の意見を変えようとしない。自分の書いた本を、絶対に否定させないし、自分という

  • ブランド

を維持することにしか興味がないし。
でもさ。
考えてみると、マルクス主義を「止めた」文系学問って、まあ、そのことの必然的な帰結って、こういうことなんじゃないのかな、と思わなくもないよね。だって、自分の周りの貧しい人に興味ないんでしょ? そんな人に、なにを勉強することがあるんだろうね。あとは、死ぬまで、さんざん、散財して、遊んで暮らすしか、やることなんてないわけだよね。まあ、好きなだけ、贅沢三昧をすればいいんじゃないんですかね。まあ、私はこういった連中とは関わり合いたくはないですけど...。