結局、オンラインゲームとはなんなのか?

最近のゲームを分類する言葉として、たとえば、PvPがあるが、これは、人間と人間が闘うゲームだ。たとえば、スト6のような、リアルな人間二人が闘う。このほかに、協力ゲームは、複数人で協力して、相手と闘うもので、その相手がMPCの場合もあれば、同じ複数人が協力している場合もあるし、中には、複数人のうちの数人がMPCの場合もある。
こういった概念が広く使われるようになったわけだが、では、その「相手の人」というのはなんなんだ、という話になる。任天堂のパーティゲームであれば、一つのテレビの回りに、家族や親族や知り合いが集まって、複数のコントローラーを一台につなげて遊ぶわけだが、この場合は、あくまで、ローカル通信ということで、極論すれば、長いUSBケーブルを複数つなげれば、通信なしでも遊べるのかもしれないタイプだ。
それに対して、近年、急速に当たり前になっているのが「オンラインゲーム」で、たとえば、任天堂が、あつ森のテレビコマーシャルで使っていたケースは、女子高生のお友達が進学、就職して住む場所も別々になった友だちは、オンライン機能を使って、一緒に遊んで、会話はチャット機能を使う、というものだった。
確かに、こういう使い方であるなら、問題はないかもれない。
しかし、である。
今、一般的に使われているオンライン機能はもっと

  • 野蛮

だ。いわゆる、「野良」というもので、まったく、なんの関係もない他人が、「マッチング」して、一緒にゲームを遊ぶ、というスタイルが普及している。
たとえば、あつ森には夢の中の話として、オンライン上に保存されている、別の人の島に訪問できるという機能がある。そして、訪問するとそこの住人と会話できるのだが、この会話内容を、実はテキストベースで書いて、保存できるゲームシステムになっている。
私も何度かは使ったことがあるのだが、この会話内容が、とにかく、ひどい。差別語は伏せ字にして、罵詈雑言が並べられあるものが散見され、二度とこんな機能を使うか、って気持ちにさせられるw
似たような話で、スト6というゲームが流行しているが、このランキング制度は「オンライン対戦」の成績によって決定されるようになっている。しかし、当たり前だが、他人がなにを考えてゲームをやっているのか分からない人と勝手にマッチングをされるわけで、正直、ストレスがたまる仕組みだ。
まず、ツイッターを見るとすぐにヒットするのが、クラシック中級者による、モダンの人に対する罵倒だ。モダンと対戦するとゲームがつまらない。だから、モダンが現れたら、即切りする、と公言している。
そもそもストリートファイターシリーズは、スト2でのブームの後、ずっと、低迷していた。誰もストリートファイターをやっていなかった。というのは、今でもスト6以外の対戦型ゲームは、どこも、過疎ってるのだw 自分がスト6がはやっているから、ゲームを始めておきながら、モダンは悪だから、なにをやってもいいという態度を当たり前のように、ツイッターで公言している連中を見ていると、いや、モダンがいなくなったらまた以前のように、過疎るんじゃねーの、という感想しかないわけだ。
スト6はよく、ユーチューバーが遊んでいるゲームの一つだが、非常によく性格が反映される。企業ユーチューバーは比較的にましだが、個人勢は千差万別で、なかにはスト6をやりながら、ずっと、対戦相手の特徴を見下した、罵倒を繰り返している人がいる。もしもこんなのを、相手に見られたら、裁判で訴えられるんじゃないかと思うような、人格をけなした発言を繰り返している。
こういった状況は、たとえば、APEXなんかのゲームでも同じで、しかも、いつまでもチーターの問題が解決しない。
よく考えてみると、そもそも、なんでオンラインでゲームをやらされているんだろう、といった素朴な疑問があるわけである。「野良(のら)」と呼ばれる赤の他人と関係させられて、そいつが行った反人間的な行動に対して、どうして、ゲームを作った会社が責任をまぬがれるんだろう、と考えると、私はどんどん、オンライン対戦やオンライン協力のタイプのゲームを遊びたいと思わなくなった。
どうせゲーム会社が責任をとれないんだったら、ゲームを遊ぶ側は、その機能を使わない方がいいんじゃないかとすら言いたくなるわけだが、たとえばスプラ3のようなゲームはそもそも、DLCを除いて、オンライン対戦でしか遊べないし、それをやることによってしか、キャラの育成ができない。
どっちにしろ、あんまりストレスをためない範囲で、いい距離をとって、つきあうしかないわけだが...。

昔のビデオゲームのビジネスモデルはどうなっていたのか?

プレステが2028年1月にディスク廃止をすることになって大きな反発が起きているが、なぜそうなのかというと、特に昔からのゲーマーであればあるほど、物理版がないなら、プレステでゲームを買う理由がないからだ。つまり、PS5でゲームを買っていた理由は、パケ(ディスク)があったからだ。それがなくなって、DL版しかなくなると、今度はsteamとの比較になるが、そうすると

  • 圧倒的にsteamの方がサービスが上

ということに気付いてしまう。
もうこれで話は尽きてしまうのだが、では、そもそもファミコンの頃の、ビデオゲームはどういった

  • エコシステム

になっていたのかを考えてみよう。
まず、おもちゃは、子どもが雑に扱って、壊れる。
すると、新しいのを買うんだけど、そのとき、そのお金で、親は子どもと相談して、今まで遊んでいたものではなく、新作を買うことが多い。
その理由は、子どもが少し大人になっているから、以前のゲームは「卒業」して、少し大人の趣味に変わっているから。
ところが、そうでない場合がある。つまり、「やっぱり前のがいい」と言う子どもは当然いて、しかしそうは言っても、発売日からかなり経過しているから、なかなか手に入らない。でも、なんとか親は、いろいろと探して、同じものを買ってあげる。
これが、以前までの「エコシステム」で、このサイクルが社会全体で成立してる。
これはよくできたシステムで、ずっと古いゲームを遊ばれ続けて、新作が売れないということも(ごく一部の人だけで、基本的に)なく、かといって、ユーザーが壊れたから、もう遊べないと「あきらめる」必要もない。もしかしたら、探せば見るかるかも、といった希望がある。
ところが、である。
現在の、DL版とかキーカードは、こういった

  • エコシステム

になっていない。そうじゃなく、

  • どっかに「すべてのゲームを遊べなくさせられる」管理者がいる

システムだから、全部が維持されるか全部ダメになるかの

  • チキンレース

をずっとやってる、みたいなシステムになっているわけで、

  • ゲームのエコシステムが脆弱

であるように、ユーザーからは見えているわけだ...。

追記:
たとえば、3DSのゲームに「ファイアーエンブレムif」というのがあるが、これは、3作に分かれていて、そのうちの2作はそれぞれ、物理カードで買える。ところが、3作目はDLCとなっていた。そして、その「購入」が2023年で終了した。つまり今、3作目を遊ぶ手段がない。
まあ、「購入していない」んだから、しょうがないんじゃね、と思うかもしれない。しかし、この「ファイアーエンブレムif」には

  • special edition

という「豪華パッケージ版」があって、ここに入っている物理カードには、その2作が入っていて、3作目のDLCは「無料」でダウンロードできる仕組みになっていた。しかしこれも「無料の購入」という手続きをやっていないと2023年以降は、ダウンロードができなくなっている。
(ちなみに、このspecial editionは、海外版はなんと、物理カードの中に3作目が入っているw まあ、3DS自体がリージョン設定があって、日本で発売している3DSでは海外版は動かないのだがw)
まあ、いずれ任天堂もDSや3DSのゲームも、nintendo switch classicで遊べるようにすると思いますが。