2014-10-01から1ヶ月間の記事一覧

角忍『カント哲学と最高善』

一般にカントの道徳哲学は「義務論」として知られている。こうした場合、掲題の著者は、第二批判、つまり、実践理性批判の前と後の間に、「コペルニクス的転回」があったと考える(つまり、さまざまな混乱の原因は、以前におけるさまざまな主張を、以後にお…

國分功一郎『スピノザの方法』

掲題の本のタイトルにある「方法」という言葉は、どこか「不思議」な様相を帯びている。なぜか。 言うまでもなく、ここで言う「方法」とは、デカルトにおいてすでに問われていた命題で、つまり、真実に辿りつくための「方法」ということである。しかし、それ…

神野慧一郎『我々はなぜ道徳的か』

安倍首相が以前、従軍慰安婦問題の番組の改変をさせるために、NHKを脅したことについては、今では多くの人が覚えていないようであるが、しかし、今週の videonews.com で、あらためて、神保さんが、この問題をとりあげている。というのは、つい最近、安倍…

渡邉浩一『『純粋理性批判』の方法と原理』

カントが純粋理性批判において行おうとしたことを、簡単に整理することは比較的、難しくはないのではないか、とは思っている。 まず、この本で、どんな事象の解明に取り組みたかったのかということでは、コペルニクスやニュートンが、なんらかの「つじつまを…

福谷茂『カント哲学試論』

言うまでもないが、私は、月も太陽も引っ張っているし、月や太陽も私を引っ張っている(まさに、コペルニクス的関係)。これが、物質なるものの間に起きる「重力」に関する法則なわけであるが、ということは何を意味しているかというと、 この関係を逃れられ…

福谷茂「近世哲学とはなにか」

私は昔から、なぜ「哲学」という言葉を使うのだろうか、ということが不思議であった。というのは、哲学という言葉を使う人は、大抵、ソクラテスから話し始めるからである。しかし、それはずるくないだろうか。 どういう意味か。 つまり、なぜ「形而上学」と…

チャットモンチー「少年のジャンプ」

内省的な記述は、読む人に、ある種の「いらだち」をもたらす。というのは、結局、お前の「快楽」は他人には関係ないからだ。 早い話が、人間は「幸せ自慢」が好きなのだ。そして、ニーチェが言ったように、人間が最も好きなのは、他人の不幸を「笑う」ことだ…

ポール・ヴァレリー『精神の危機』

今さらポール・ヴァレリーの重要さを強調する必要はないと思うが、前回、在特会のような「造反有理」運動であり、「錦の御旗」運動の、その「主観的」に幻想される何かについて考えていたとき、このヴァレリーのエッセイにおいて、すでに、 ドイツ脅威論 つ…

安田浩一ほか『ヘイトスピーチとネット右翼』

在特会の運動は、どこか、文化大革命における、紅衛兵に似ている。または、小泉元首相が首相のときに、靖国参拝を行ったとき、中国で起きた、反日デモに。または、2・26事件の青年将校たちが天皇に「裏切られた」と語ったことに。 それは、ようするに、時…