2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧

他者の<不透過>論

私が3・11以降の原発の議論を聞いていて、特に、違和感を覚えたのは、ようするに、今だに一度たりとも、「製造物責任」といったような議論があらわれないことではないか、と思っている。 一体、原発を作ったのは誰なのか。人に迷惑をかけるものを作ってお…

市民宗教?

安倍政権のほとんどの閣僚が、日本会議に所属していることから、「日本会議クーデター」内閣と呼んでみたわけだが、私によく分からないのは、政教分離はどうなっているのか、ということであった。政教分離は、日本の憲法で「禁止」されているのであって、そ…

ジョージ・サイモン『他人を支配したがる人たち』

よく、認知的不協和という心理学の言葉があり、他方において、この言葉への批判もある。というのは、結局のところ何が認知的不協和なのかを厳密に分類する 立場 とはなんなのか、という問題にとらわれるからである。 しかし、こういった批判をする人が誤解を…

坂野潤治『<階級>の日本近代史』

日本の明治における、いわゆる「明治維新」と呼ばれる「革命」が、まあ、形式上において、「武士」という支配階級「自身」によって行われたことは、多くの人たちに、この日本の変革への「違和感」を与えている。というのは、支配階級がなぜ、自分たちの「支…

山内廣隆『ヘーゲルから考える私たちの居場所』

この前紹介した、小泉義之さんの『「負け組」の哲学』という本の特徴として、後半の議論において、 今の日本は、ある意味において「社会主義国」だ と言っているところにある。その意味は、いわゆる野口悠紀雄さんの「1940年体制論」から考察されていて…

リチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』

多くの人は、そもそも、リチャード・ローティという人が、どういうことを言っていた人なのかを知らない。 例えば、掲題の本にしても、最初の方から、さかんにアラン・ブルームについての言及がある。私はこれがなんなのかが最初は分からなかった。しかし、考…

負け組?

以前、このブログでも紹介した小泉義之さんの『「負け組」の哲学』という本は、薄い本だが、その「動機」はよく分かるような内容であった。以前書いたときは、あまり深められなかった論点を、ここで再度考えてみたい。 下記は、この本の「まえがき」にある、…

牧野英二『カントを読む』

カントの三批判書をどのように考えればいいのか、といった問題は結局のところ今にまで続く問題として存在しているように思われる。そうした場合に、私たちの今の世界の「見方」は、ある時期から、ある「変化」があったのではないか、と問うことができるよう…

ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』

マイケル・サンデルを始めとして、多くの哲学者が、近年、あらためてコミュニタリアニズムであったり、徳倫理といったものに言及を始めていることは、一つの哲学の転換点を示しているように思われる。 例えば、ルソーの社会契約にしても、ロールズの正義論に…

菊池誠『不完全性定理』

世の中には、人それぞれ、生きて行為していることの「動機」が違う。つまり、人それぞれ「事情」がある。そのことが、人それぞれの行動を、ある意味、決定しているとも言える。例えば、こんなふうに考えてみよう。子どもの頃の学力競争社会において「勝ち組…

R・ハーストハウス『徳倫理学について』

ある人の「徳」というものを考えることには、どういった意味があるのだろうか。 例えば、ある人がある行為をしたとする。その場合、その「行為」と、その人の「徳」について、なんらかの関係を考えることは可能であろうか。もちろん、常識的には、これが可能…