2017-01-01から1年間の記事一覧

日本国家に今何が起きているのか?

今の安倍政権というのは、完全の安倍総理を「中心」とした人脈(そこには、日本会議的な人たちも含む)によって、 クーデター が起きているのだろうと思われる。そこにはもはや、自民党、野党、官僚の垣根もない。 安倍周辺 その他一般 という区別しかない。…

アニメ「バンドリ」をどう評価するのか?

アニメ「バンドリ」も、ゲームから始まっているからなのか知らないが、どうもストーリーが、なんとも言えない「てざわり」であることが、どうしても気になってしまう。 「かすみ」はその学校の中等部に通っている妹の影響で、地元とは別の学校に通うようにな…

田原彰太郎「カント的行為者を文脈に位置付ける」

よく、道徳と 倫理 は「違う」ものなのではないか、といった議論がされることがある。それは、柄谷行人の『探究』において、一般的なものと単独的なものが区別されていたように、後者にはどこか 個人的関係 とでも言ったらいいと思われるような、その人個人…

功利主義とカント哲学の違い

言うまでもなく、功利主義は一般の(カントなどの)道徳理論とは違っているわけだが、そういった場合、どこにその違いの 中心 を置くのか、というところにポイントがあるように思われる。 功利主義は、カントの道徳理論のような「規範的」なものを基本的には…

カンタン・メイヤスーの語るカント

さて、鳴り物入りで紹介された、カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』は、その後、一体、どれだけの人に読まれたのだろうか? 私はその「反響」をまったく知らない。というか、私にはこの本は、根本的になにか、壮絶な勘違いしているとしか思えないわけだ…

<同情>は道徳の基礎になりうるか?

人ならだれもが「同情」する、と言うとき、この「同情」という人間の機能さえ なんとかすれば 理想の「ユートピア」社会が実現できるのではないか、といった空想を行う人たちが現れてくる。 しかし、こういった主張は古くは、ルソーから、ショーペンハウワー…

ISと武器

3・11の福島原発の低線量被曝について、当時言われたことは、その「放射性物質」についての「特徴」であった。確かに事件は「悲惨」ではあるが、一つだけ救われることは、放射性物質が放つ「放射線」は、測定器があれば測定できるというところであって、…

競争社会の成れの果て

よく「競争」は「正義」との関連で言われる。大学受験は、ペーパーテスト一本の勝負の方がいい。なぜなら、それが「公平」だから、というわけである。むしろ、これ以外の「正義」はありえない、と。 しかし、統計的によく言われるように、実際の大学入学の分…

韓国戦

先日の、サッカー日本代表の韓国戦は、そのあまりにもの「負けっぷり」のひどさに、いい加減、日本ブランドの崩壊を思わせる印象を受けたわけだがw、そして、ここぞとばかりに、フリーのサッカージャーナリストたちが、監督辞めろ、の気炎を吐くという、な…

柄谷行人は結局なにをやっているのか?

山川賢一さんが、以下のブログの記事で、いかに柄谷行人が「おかし」いか、といったことについてまとめられているわけだが、私なりに気になった点を以下ではまとめておきたい。 この方については、何度かこのブログでとりあげたが、基本的に東浩紀先生の問題…

藤本忠『時間の思想史』

カントの純粋理性批判が、空間・時間の、ニュートン力学的なベースの上に構築されたものと解釈されることには、一定の正当性があると言わざるをえないわけだが、だとするなら、特殊相対性理論や量子力学が一定の正当性を獲得したこの現代において、こういっ…

城戸淳『理性の深淵』

結局のところ、カントの何が新しかったのだろう、と問いなおしてみると、なかなか難しくて、というのはカントの議論のなにが「成功」しているのか、という問いそのものが難しかったりする、という状況もあるわけで、まあ、なんと言ったらいいのかな、といっ…

千葉清史「「物自体は存在するか」という伝統的な問題の解決によせて」

カントが物自体ということを言ったことについて、同時代からさまざまに批判があって今に至っているわけだが、アリソンの『カントの自由論』というのが翻訳で読んでいて、その物自体そのものの「解釈」が幾つかあるというところから始まっている、ということ…

八木雄二『カントが中世から学んだ直観認識』

カントの純粋理性批判は、まあ、いろいろと書いてあるのだが、その 中心 は最初にある、空間・時間の、アプリオリな純粋直観形式の議論と、第一アンチノミーにおける、空間・時間の無限性の「矛盾」の議論にあると思われる。 しかし、このことはよく考えてみ…

映画「否定と肯定」から考えるいろいろなこと

昨日、日比谷でこの映画を見たのだが、そもそもなぜ23区ではここでしかやっていないのだろう? まあ、どうでもいいのだが。 ホロコースト研究者である、ユダヤ人の女性の歴史学者であるデボラ・E・リップシュタットは、イギリスの歴史家デイヴィッド・ア…

ガルパンについて語ること

さっそく、劇場版最終章第一話を映画館で見たが、これは以前にも同じようなことを書いた記憶があるが、ようするに 戦車が動いているところ 戦車が大砲を撃つところ を描く<ため>の作品なんだよね。つまり、こんなアニメは今までなかったんだ。こんなに戦車…

新潟のJ2降格

新潟という、ここ何年か、J1の最下位周辺をうろうろしていたチームが、今年はJ2に落ちたといっても、だれも驚きもしないし、関心もないのだろう。それは「弱いから負けたんだ」と言われればそうなのだろうし、別にそれを否定したいとも思わない。サッカ…

進化論と「叡知界」

生物の複雑性を説明するロジックとして、「進化論」は今では誰もが認める学説になったわけだが、これがどのように生物の複雑さを説明しているのかを考えることは、多くの示唆に富んでいる。 カントの純粋理性批判をもちだすまでもなく、この自然界は「物理法…

日馬富士と「観光客の哲学」

今日のニュースでは、大相撲のモンゴル出身の横綱である日馬富士が自ら引退を申し出たということで、もちきりになっている。昼間には、その記者会見を開いたらしい。 ちまたでは、さまざまな噂がとびかっている。元横綱の貴ノ花親方が、モンゴル出身力士たち…

すべての現実は「政治」である:はじめに

私にはどうも昔から、繰り返し繰り返し、反復して現れる「ある言説」に対する いらだち がどうしても、耐えられない印象を受けてきた。それは、なにか 本質的 な問題を語っているかのような表向きで現れるわけだが、本当にそうなのか、が疑わしい。しかし、…

すべての現実は「政治」である:第1章「唯物論」

少し前にこのブログでも紹介したが、『カント入門講義』という、ドイツの方による一般向けに純粋理性批判の解説をしている本があるのだが、この最終章に、他のカントの本との関連の解説と共に、このカント哲学に対する 批判 が書かれている。これを読むと、…

すべての現実は「政治」である:第2章「ヘーゲルのカント批判」

さて。もう一方のカントへの批判なのだが、こちらはよりカントの主張への「不満」を表しているわけで、そこで何を批判者たちがストレスに思っているのかを、よく見極める必要があるが、それがよりにもよって、非常に 似ている わけである! カント自身は、原…

すべての現実は「政治」である:第3章「旅」

今期放送されている、テレビアニメ「キノの旅」の第6話は、このラノベのシリーズの一つのシリーズものである「フォト」という少女を主人公とした物語の最初にあたる。 ある行商人の集団の中で「奴隷」として働かされていた少女「フォト」は、彼らから毎日、…

すべての現実は「政治」である:第4章「エリート」

さて。前の第3章でのフォトの物語にはもう一つの興味深い視点がある。この行商人たちが毒草の入った食卓をかこんで、おいしそうに食事をしている最中に、この行商人の頭領の息子は父親にある提案を行う。 「お父様。お話があります」 食べていた頭領が、そ…

すべての現実は「政治」である:第5章「エロマンガ」

さて。東浩紀先生の「観光客の哲学」は、最初の章で突然、「二次創作」というタイトルで始まる。そして、これについては、前の第3章で引用したように、なぜか観光と二次創作の相似性を、「ふまじめ」「無責任さ」に見出そうとしている。 これは、どういう意…

すべての現実は「政治」である:第6章「政治」

さて。東浩紀先生の「観光客の哲学」には、次のような言葉がのっている。 ルソーは人間が嫌いだった。社会も嫌いだった。 ゲンロン0 観光客の哲学 しかし、そうだろうか? ルソーが「嫌い」だったのは、人間でも社会でもない。 政治 なわけであろう。これを…

すべての現実は「政治」である:おわりに

現代日本の法律において、結婚した男女は一緒の名字にそろえなければならないとなっているわけであるが、現代においても、九割以上は、男性の名字にそろえるのだという。おそらく、法律論議においては、そのどちらを選択するのかについては、 自由 なのだか…

浅野拓磨のサッカー

浅野拓磨については今さら言うまでもない、サッカー日本代表の選手であるが、DAZNでの「シュトゥットガルトVSハノーファー」の試合を見ていて、彼が久しぶりにワントップでプレーをしているのを見て、少し書いておこうかと思った。 この選手ほど、おそらく、…

カント哲学に言及することに意味はあるのか?

今さら語ることの意味もよく分からないことだが、伊藤計劃の遺作となった小説「ハーモニー」における主題は 意識 だったわけだが、結局のところこれが「何なのか?」といった命題について改めて問うことには、なんとも言えない苦々しい感覚に襲われる。とい…

VARの奇妙さ

昨日のサッカー日本代表とブラジルの練習試合は、その試合内容がどうのこうのよりも、 VAR なる、ビデオ判定システムがなぜ、今回、ここで導入されたのかへの違和感が強く感じさられた。 また、日本代表戦で初のVAR制度が導入された理由について、田嶋会長は…