2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』

日本の歴史において、応仁の乱ほど、決定的に日本を変えたものはないと、たとえば歴史学者の内藤湖南は言う。この時代が100年近く続いたのだろうか。100年といえば、2、3世代をまたがって、続いたというのだから、なんとも、すごい時代だ。いろいろ…

専門家の専門化の時代

いったい、世の中に専門化なるものは、いるのだろうか? 私はそれは、非常に疑わしいと思っている。つまり、自分を「専門化」だと、自称している連中の、ばけの皮を剥がしてやりたいと思っている。 まず、専門家だというなら、どんな論文を書いたのかを提出…

嫌悪し合う人々

近年、よく言われるのが嫌韓であるが、それ以上に、今、日本中を席巻しているのが、「嫌悪しあう人々」だろう。 それは、ネットを見ていれば、よく分かる。たとえば、ツイッターにおいて、彼らは、「自分」というアバターを登場させ、次々と、 今ここ で思っ…

東京の「中心」

東京の「中心」とはどこだろうか? つまり、東京の中で「ここ」だけは押さえていないと、まったく東京の雰囲気が分からない、今の東京で暮らす人たちの感情を、皮膚感覚で感じられない、といった場所は。 私は間違いなく、「電車の中」だと思う。 東京は、目…

神野直彦『「分かち合い」の経済学』

いつものように、videonews.com の紹介だが、近年、さかんに、大マスコミ様による増税論議がかまびすしい中、こういった利権まみれの、全然中立じゃない大マスコミという大本営連中の言うことを、へーこら、と聞いていたら大変なことになると、と。今、なに…

大澤真幸『不可能性の時代』

この前紹介した、リトルピープル論という本があったが、あの本も、基本的には、この大澤真幸さんの 戦後日本論 の延長で記述されていたように思う。 反現実とは何か? 見田宗介によれば、「現実」という語は、三つの反対語をもつ。「(現実と)理想」「(現…

鈴木貴博『「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱』

私はそもそも、ワンピースもガンダムもあまりいい「消費者」ではない。ガンダムも、まともに見たのは、初代ガンダムくらいで、それも、子供の頃だから、ちゃんと見ていたとは今では言えないくらいの記憶しかない。 ワンピースはさらにひどくて、昔は、間違い…

古川和男『原発安全革命』

私は基本的に、たいていのことは「構造化」できるという考えの方が、しっくりくることは確かだと思っている。 たとえば、インターネット上における、匿名と実名(顔出し)で言えば、この関係も一つの「構造」の問題だと考えている。 国家 ⊃ 実名(顔出し) …

小林正嗣『マルティン・ハイデガーの哲学と政治』

私は一般に哲学における、ニーチェ人気の歴史には、ある種の倒錯があると考えている。 ニーチェほど、二〇世紀の思想に広範な影響を残した十九世紀の思想家はいない。ファシズムに影響を与え、またハイデガーの徹底的な読解の対象となった。ニーチェは、実存…

ジョン・グレイ『自由主義論』

あれほど、ジャスミン革命について話していた論者が、アメリカのウォール街デモに言及、取材しないのは、なんなのだろう。きっとこれは彼らの考える、 ソーシャルネット の「悪い」使い方だからなのだろう。もちろん、こういった動きは日本にも波及するだろ…

普通のデモ=政治

私たちは、よく国会や官僚がやっていることが 政治 だと思っている。というか、思い込まされてきた。つまり、私たち以外にこの国にはこの国を、だれに頼まれるでもなく進んで、この国を良くしようとしてくれている人たちというものがいるらしく、彼らの日々…

非非日常の中の「非非友達」

私は日常という言葉に、いい印象を受けない。この言葉は、言うまでもなく、宮台さんが90年代にその「世紀末」を意識して、形式化された命題だったわけだが、その「終わりなき日常」の特徴は、言わば逆説的に定義されるものであった。 大塚英志がいみじくも…