ドラクエ3リメイクは、ネット上では、いろいろと賛否がでている。しかし、いずれにしろ、売れたわけでw、その上でなにを言っても、説得力はないわな。
ただ、そんなことはどうでもいいとして、批判は批判として真摯に受け取るべきだろう。その中で、よく見かけるものとして、HD−2Dという、スクエニが採用しているGUIだが、これが「ものたりない」というものだ。そして、その批判の比較元としてよく言及されるのが、同じスクエニがリメイクした「ロマサガ2」だ。これについては、ホロライブの博衣こよりが日曜に実況配信をしていたが、ようするに「3D」だ。
まあ、3Dが直感的に「いい」のは当たり前で、こういったゲームをやったことがない人が、そっちをやりたいと思うのは当たり前で、実際にドラクエ11は成功したわけだろう。ただ、ドラクエ3が3Dにしなかったことは正解で、ようするに
- 3Dにするための様々なことで、膨大な時間がとられて、今以上に発売が遅れて「よかった」と考える人はいない
というわけだ。ドラクエのおもしろさは「ドラクは人生」と呼ばれるように、ここには「世界」があることだ。もっと言えば、どう考えても、ここまでは必要ないだろうというような、あまりにも数が多すぎるアイテムや呪文などがあることだろう。この一つ一つに、やたら細かい3Dの演出なんて求めていないわけ。そんなことより、それらの装備の戦闘での攻撃力の差異などを、ちゃんと「設計」してほしい、といった方がずっと重要だったわけだろう。
まあ、そんなこんなと、いろいろなことを考えていたわけだが、やはり気になるのは、SWITCHの「パッケージ版」と「ダウンロード版」という二つの販売形態があるという、奇妙な状況なんだよねw もちろんそこには、歴史的な経緯がある。なぜ、ほとんどの人はパッケージ版で買うのだろう? そこには、そもそも、まだ、インターネットがなかった1980年代のファミコン時代から続く伝統が関係している。つまり、
- オフライン・ゲーム
だ。
アサクリ・シャドウズが弥助を登場させるという話で、IGNの開発者がインタビューで語っていることを随分と読んだわけだが、彼らは
- 私たちは、世界中のゲーマーに「体験」を提供する
みたいな言い方をしているわけなんだよね。なんなのこの「気持ち悪い」言い方は、と思ったわけだけど、その理由は、ようするに、「IGNはゲーマーにソフトというモノを売っているんじゃなく、ゲームをプレイしたことによる<経験>を提供しているだけなんだ」という意味なわけね。
ようするに、IGNはユーザーにソフトウェアを売ってないわけ。その意味は、
- いつでも、好きなタイミングでIGNは「サ終」をする
と言っているわけ。IGNが、アサクリ・シャドウズというオンライン・ゲームの「提供」を止めたら、それ以降、このゲームをプレイすることはできない。つまり、ユーザーはゲームという「ソフトウェア」を買っていないわけ。ソフトウェアの「所有権」は、ユーザーにない。ユーザーはあくまでも、プレイをして「体験」しているだけ。
もちろん、IGNのユーザーの中には、これに不満な人も多くいるだろう。しかしいずれにしろ、その意味は「オンライン」にある。マイクロソフトのwindows OSは、数年でサポートを止めるという形で使えなくなる。なぜ使えないかというと、ネットにつなげた場合のセキュリティがサポートなしでは保てないからだ。このことを敷衍したとき、SWITCHも当然、今後、同じ問題に直面することが分かるだろう。ダウンロード版は、インターネットから落としてくることが前提だ。よって、必然的にネットとの接続を行わなければならない。しかし、端末が古くなるにしたがって、任天堂はこの古いSWITCHのネットのつながた場合のセキュリティを保証できなくなる。つまり、ここにおいて、任天堂はその古いSWITCHのサポートを止めることになる。
そうするとどうなるか? そのゲームがオフラインでやるものなら、、すでにソフトウェアをアウンロードしてあれば、今後もそのゲームを遊べる。しかし、なんらかの理由で、もう一度、ダウンロードをやらなければならない事情が発生したとき、すでに、ダウンロードはできない。つまり、ここで、そのゲームはその端末で
- 遊べない
という「最後」を迎えることになる。
私たちは、そのソフトウェアを「買った」と思っている。ところが、ある日突然、そのゲームが「遊べなくなる」と知ったとき、あなたはどう思うだろうか? 私にはこのゲームの「私的所有権」があるはずだ。なのになぜ、このような理不尽な仕打ちを受けなければならないのか。この事情は、上記のIGNとまったく同様なわけだ。
ようするに、「パッケージ版」を買えばよかった、と思うかもしれない。もちろん、パッケージ版だって、スロットにさしこむ、そのカードが接続不良になるなどして、使えなくなるリスクは大きい。しかし、とにもかくにも、その「モノ」を所有していることは明らかなわけだ。
もちろん、ここまで書いてきて、あることに気づかれたんじゃないか。そう。これは、「オフライン・ゲーム」だから、成立している話にすぎない。そして、ドラクエ3リメイクは基本的にオフラインだ。しかし、近年の流行のゲームはどれも、オンラインだ。友達とネットえつながって、対戦ゲームをやったりと、そもそもネット空間で「みんあ」とつながることが楽しいんだ、という話もあるわけで、そう考えるなら、ネットにつながることは前提になっているんだから、ここまでの話は、意味がない、ということになる。
よくネット上で議論になっているのは、このドラクエ3リメイクをSWITCHで遊ぶのは前提として(実際、ほとんどの人がSWITCHでやっている)、パッケージ版でやるか、ダウンロード版にするか、といった議論をしている。しかし、そもそも発売そうそうに、パッケージ版はどこでも売り切れになっていたわけで、ダウンロード版しか買えなかったわけだ。
ここのところ、店頭でときどき売っているのを見かけるけど、このことが意味しているのは、ようするに、スクエニはパッケージ版で売りたくないのだ。そりゃそうだろう。パッケージ版は売れば売るほど、少ししたら、中古市場に出回る。ところが、中古はどんなに売れても、スクエニは儲からない。そう考えれば、スクエニはなんとかして、パッケージ版の出荷数を少なくして、ユーザーにダウンロード版を買わせようと「誘導」していることは明らかなわけだろう。
ただ、ここまで議論をしてきて、私にはどうしても「ある視点」が欠けているように、どうしても思えてしょうがないわけだ。
今回のドラクエ3リメイクは、一部では「値段が高い」という批判がある。それは、いわゆる「リメイク」ものの相場として語られているわけだが、このことが言おうとしているのは、いわゆる40代以上の、スーファミ版を体験した世代が、この程度の「はしたお金」が出せない、と言っているわけではないわけ。つまり、
- 世の中の多くの子どもが、この値段では買えない
と言っているわけ。そして、そのことが含意していることは、より根深い問題があるわけ。
80年代のドラクエ3の大ブームのとき、なにが起きていたか? お金持ちの家庭のボンボンは、熱狂して、ドラクエ3を発売日に買って、遊んだ。そして、クラスの人気者になった。しかし、当たり前だが、学校のクラスの全員が、お金持ちなわけじゃない。ドラクエ3が買えない貧しい子どもも多くいたわけ。そこでなにが起きたか? そのドラクエ3をもっている子どもは、そういった貧しい家庭の子どもに
- カセットを貸した
わけ。そう考えると、ドラクエってよくできているんだよね。つまり、数日熱狂すると、ちゃんと「クリア」できるんだよねw つまり、数日、狂ったようにやれば、ちゃんとゲームが終わる。そうすると、ちゃんと次の日からは、また、勉強に戻れるんだよねw
ドラクエ3をやれなかった子どもは、たんに家が貧乏だった人だけじゃない。その家の親の方針で、ビデオゲームをやらせない人だっていただろう。そもそも、アニメとか見させない家庭だってある。つまり、そういった人を含めて、ドラクエ3を買った子どもはみんな、そういった「やったことがない」子どもに貸したんだよ。
いや。それだけじゃないよ。そもそも、こういったゲームに興味がない子どもも、クラスのみんなと仲良くなりたい一心でドラクエ3を買って、みんなに貸したの。貸して、喜んでくれて、友達になれたら、嬉しいじゃない。そうやって、特に、すきじゃなかった子どももみんな買った。まあ、ようするに、「ブーム」だったってわけ。
ドラクエはそういった「過渡期」に現れた、特異なビデオゲームだったわけね。ファミコンをやるということは、そういった「倫理的」な意味があった。そう。昭和の子どもたちは、みんな「優しかった」んだよ...。