『安倍晋三の本性』

安倍は、強行採決の連続を行って、選挙で大敗して、姿勢方針演説をした後「逃げた」(今ごろになって、地元で、支援者周りをしているそうですが)。
安倍は、自分の実現したい政策をもつ人であった。そして彼は行った。安倍は、ことあるごとに、そのことを、「実行力」、と自画自賛していたが、国民は、ドン引きだった。まさに、KYだ。
安倍が、強行採決の連続を行えたのは、小泉の「郵政のみ二者択一」選挙で大勝した政局によってであった。そのことは、安倍の政権が、「郵政以外のことをしては、いけない」政権だったことを意味していた。では、なぜ、信を問うために、安倍は、自分の内閣と政策で選挙をして、大勝をしてから、政策を実行しようとしなかったのか。これをしていれば、少しは理解されただろうに(小泉が人気があったのは、選挙で大勝した政策を実行したからであって、国民に理解されたのだ。安倍が人気があった時期とは、その小泉の仕事の参謀をしていると見られているときまでにすぎない)。
それは、安倍の実現したい政策が、民主主義的な支持の、大勢をしめるものではないと、安倍自身が理解していたからだ。そのことを彼は、「自分の考えの政治を10年くらい続ければ、国民の方が自分の考えに変わるだろう」、と言っている。だから、彼は国民のほとんどすべてに反対されてもやるつもりだった。確信犯なのだ。ようするに、安倍はクーデターを行ったのだ。日本政治を完全にジャックしていた。彼はそのクーデター政権の間に、なんとか、国民をマインド・コントロールして、自分の思うように変えればいいんだというふうに楽観視していた。自分の考える方向を支持する勢力は援助して、自分の考えに反する勢力は、徹底的に弾圧する。そうすれば、マジョリティの分布は自分の支持する方に変わる。そこで、教育を一番重視した。教育さえ、手にしてしまえば、なんでもできる。
一つはっきり言えることは、彼は、選挙で勝つことを、重要視していなかった。あんなに選挙のやる気のない、総理大臣というのもめずらしいだろう。それは結局、安倍は、選挙をやりながら、なんで自分が政権をとったのに、こんな民主主義的な手続きを、やっているんだと思っていたと思う。
安倍のやりたかったこととは、なんなのだろう。それは、一言で言えば、戦前に、大日本帝国憲法にすべてを戻す、ということに尽きる。安倍は、フランス革命でいえば、国王復興派の、極右反動勢力なのだ。だから、当然、民主主義など、ハナから認めない。戦前の日本は、天皇教の国である。国民はだれもかれも天皇にいかれ狂っていた。だれもかれもが、だれもかれもに、天皇への不遜な態度を疑い捏造し告発する、非国民・逆賊呼ばわりをしていた。相手を逆賊呼ばわりする行為は、真っ先に天皇に額突く行為となり、だれよりも天皇に近付けるというわけだ。まさに、今の北朝鮮ですが、こういうところからも、彼の北朝鮮に対する偏執的な対抗心に、近親相姦的なものを見てしまうわけです。安倍にとって北朝鮮ほどうらやましい国はない。歴史的な経緯を見ても、北朝鮮ほど、戦前の日本の鬼子はないですからね。
人によっては、「アベサン、そこまでひどくないんじゃない?少なくとも、民主主義の否定はしないでしょう」などとナマっちょろいことを言う人もいるかもしれないが、彼の周りを固めた文化人たちの発言を集めれば、むしろもっと過激な思想に塗り固められていたって不思議じゃない。もちろん、総理大臣としての、パブリックな場面で、それほど、あからさまに言えないですよ。でも、ときどき、ホンネをポロリしてますが。
さて、安倍は復活するか、これから、選挙に出て、当選することがあるのか。安倍個人になんの関心もないが、安倍と考えを同じくする政治家・学者・文筆家は、まだまだ、日本にはごちゃごちゃいて、いつでも、さまざまな場面で、さらなるクーデターの場面を狙っている、ということだ。

安倍晋三の本性

安倍晋三の本性