日本批評
以前、このブログでも紹介したことがある、石川求『カントと無限判断』であるが、 伊野連『カント哲学における影響関係』カント哲学における影響関係 ―形式論理学、観念論から量子力学、AI まで―作者:伊野 連三恵社Amazon の「第I部 無限判断論」を読んだら…
明治から大正にかけての日本の知識人の本を読んでいると、これらが単純な儒教やキリスト教の延長で書かれたものではない、ということに気づく。では、当時の日本人はどういったものを読んでいたのかだが、非常に影響を受けていると思われるのが「進化論」だ…
以前から、私が分からなかったことがある。 なぜ、日本はWW2で、アメリカとの和平を結べなかったのか、だ。それに対してよく、 国体 ということが言われる。つまり、「天皇制の護持」のことだが、しかしその「放棄」をアメリカに要求された(つまり、無条…
掲題の本はまさに、著者の「人生史」のような内容になっている。つまり、アイドルを語ることは「自分を語る」ことと同値なんだ、ということに気付かせてくれる。 で、原田美枝子クンは15歳の高校1年生、公開されたばかりの映画で佐藤祐介と共に主演を務め…
第二次世界大戦のときの当時の日本の資料を読んでいると、最初に気付くのが、 日本の「ほとんど」の予算が軍事費にあてられている ことだw これは、この事実を知らない人が見たら、びっくりすると思う。こんなことが、ありうるんだろうか、と。しかし、これ…
標準的な大学の理学部物理学科の学部生が学ぶ、大学の教科書の「量子力学」の「公理」では、シュレーディンガー方程式という「複素数iを含んだ」方程式で計算する。しかし、これが一体なんなのかは説明されない。普通に考えて、複素数iを含んで方程式が記…
「悪の凡庸さ」という言葉は、ハンナ・アーレントが『エルサレムのアイヒマン』で使った言葉で、通俗的には、ナチスドイツのアウシュビッツ収容所での大虐殺を主導した官僚であるアイヒマンを 組織の「歯車」 だったとして、 しょうがなかった と言う場合に…
私たちは、宮台真司のような社会学者によって、 日本人=愚民 と罵倒されて、どうしようもない、下等な人種だと馬鹿にされている。その場合、彼の「元ネタ」は、ルース・ベネディクトの『菊と刀』といったような 西洋人による「日本人論」 なわけだ。つまり…
日本中のどこの本屋の、日本の古代の歴史の棚に行くと『土偶を読む』という本が置いてある。置いてあるということは売れているのだろう。 確かに、私もそういった多くの人と同じように、この本を本屋で見かけて、一度は手にとってみているが、結局、買ってい…
宮台真司の「うさんくささ」が、 文系(心理学、社会学)の「うさんくささ」 だと言ったとき、なぜこの問題の深刻さが多くの人に理解されないのか、と思うわけである。 ある、「統計」という名の アンケート を行ったとする。その統計「結果」なるものから、…
ここのところ、「日本の少子化が問題だ」といった議論が、国会を中心に行われている。こういった議論にはブームがあって、吹き上がっては、誰も言わなくなって、また言い始める、ということを繰り返している。 新型コロナもあって、直近の出生率があまりに低…
小山田圭吾問題は、そもそも単純だった。それは、 東京五輪運営委員会 の問題と考えられていた。なぜ大会直前になって発表したのか? なぜ、そういった「噂」が昔からある人に特に、パラリンピックのようなデリケートな仕事に、なんのパブリックな場での事前…
柄谷行人の最新作である『力と交換様式』をどう読むのかについて、さっそく、文芸雑誌に寄稿したのが、掲題の大澤先生だが、大事なことは、この本が今のアカデミズムにどういった影響を与えうるか、といったことではなく(例えば、社会学の学会への発表とい…
少し前に上村静さんの話を書いたのだが、もう一度、その経緯をまとめておきたい。 去年のクリスマスに、IWJで2014年の対談の再放送をしていたのを聞いたのだが、まあ、とにかく「長い」w 5時間くらいあっただろうか。ただ、なかなか、その内容はお…
太古の時代の人間がどう生活していたか、を考えてみよう。まず、人々は狩猟採集で生活をしていた。つまり、ある土地で食料を食べ尽すと、別の土地に移動して、それを繰り返す。こういった生活において、今と比べて大きな特徴は 食料を貯蓄しない ことだろう…
新型コロナが日本で流行し始めた頃、京大の准教授の宮澤孝幸がツイッターで騒いで、少し後に、同じく京大の藤井聡と、政府批判を始めたときに、私の違和感は彼らのレトリックにあった。 彼らのレトリックは「理想はスウェーデンの集団免疫政策」にあった。彼…
本居宣長については、1960年代くらいから、一つの「ブーム」があった、それは、古事記伝を中心としたものだったわけだが、結局、戦前の皇国史観の一つのバックラッシュとして現れた。 一九六〇年代とはたしかに戦後日本の転換点であった。政治的にも、経…
ここのところ、ノーベル物理学賞で、「量子もつれ」が受賞したことに関連して、量子力学が人口に膾炙してきている。まあ、いろいろと大衆向けの特集が雑誌で組まれたり、という話だ。 ただ、「量子もつれ」の話は、量子コンピュータや、量子テレポーテーショ…
遺伝子と聞くと、なにか、物騒な胸騒ぎに襲われる。それは、もしも国家が、私の遺伝子を調べ、 お前の遺伝子は「生きる」資格がない遺伝子だ と言って、私を殺そうとしてきたときを考えればいい。遺伝子は「情報」である。よって、その情報には必然的に、「…
日本の新型コロナ対策は、一言で言えば、 世界の医学界のグローバルスタンダードを無視した ことに特徴がある。 新型コロナウイルスのような新病原体が発生したときに、厚生労働省で窓口になるのが結核感染症課です。検疫法と感染症法を所管しています。日本…
あなたは、民主主義に反対でしょうか? ちなみに、東浩紀先生は一貫して民主主義に反対しています。 もしも民主主義に反対であるなら、では、 誰 に政治的な決定をしてもらえばいいと思いますか? 言うまでもないですが、「あなた」はその決定ができません。…
稲葉先生の議論はおそらく、その分野の専門家には、あまり価値のある議論として受けとられていないんじゃないか、という印象を受ける。例えば、掲題の本は、 倫理学 となっているが、別に、稲葉先生はメタ倫理学の専門家じゃない。どちらかというと、社会学…
カント倫理学についてネットで検索をしていると、やたらとひっかかるのが、カントの「嘘問題」の議論を トンデモ と言って馬鹿にする、功利主義者の議論だ。 (その典型として、以下を挙げておこう。ただ、これ以外にも「たくさん」あり、この主張が完全に、…
ピーター・シンガーの『実践の倫理』は、「パーソン論」という考えで書かれている、と言われる。 そこで私の提案は、<理性、自己意識、感知、感覚能力などの点で同じレベルにあるならば、胎児の生命に人間以外の生命と同じだけの価値しか認めないようにしよ…
ネットで調べてたら見つけた1993年の論文。 例えば、リチャード・ローティは、分析哲学は、A・J・エイヤーの『言語・真理・論理』から始まった、と言っている。 それはつまり、クワインによる、論理実証主義への批判だ、と。ヴィーン学団。もっと言え…
掲題の本は、そのタイトルから分かるように、デイヴィッド・ベネターの『生まれてこないほうが良かった』の反論文である。つまり、掲題の著者はベネターは 間違っている という立場をとる。そして、それを掲題の著者自身の言葉で「生命の哲学」と呼ぶ。「生…
掲題の本は、次のカントの問題に「答える」という形で、一見すると、議論が始まっているように思われる。 たとえばカントは『実践理性批判』のある箇所で、カント独自の「超越的哲学」を採用しない限り、決定論と道徳的責任との間に深刻な対立が生じる、とい…
まず、普通に考えてみよう。ある人がいる。その人には、ある「遺伝子=DNA」をもっている。そして、その連鎖は、まず、「一定」と考えていい。そこから、私たちは 「その人」性 を「定義」できるのか? と考えてみよう。つまり、 「その人」は「実在」す…
ナチス・ドイツのホロコースト、つまり、ユダヤ人の大量虐殺、民族抹殺が、どのように行われたのかの経緯を観察してみると、それ以前に、かなりさかんに 安楽死 が行われていたことが分かる。そのことは、ナチスのこういった「安楽死政策」に大きな影響を与…
言語分析哲学については、リチャード・ローティに関連して、さまざまに論じさせてもらったわけだが、そこにおける「言語論的転回」をもう一度振り返ってみるなら、 経験論 の立場からは、「心は存在しない」。なぜなら、心とは結局、最後は 言葉で記述された…