少し前に、桂島さんの本を紹介したとき、その書いた内容と、全然関係ないところで、感動していた部分があった。
国学者、鈴木雅之、についてです。
どれだけの人が彼を知っているのか知らないんですけど(ウィキでも、タイトルだけのようだ)。桂島さんの本では、第三章で紹介されていて、それが、掲題の論文。
そこを読んでいて、何度か、子安さんの名前が出てくるんで、「そういえば、
日本の名著〈24〉平田篤胤・佐藤信淵・鈴木雅之 (1972年)
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という本は、子安さんが篤胤の現代語訳やってるんだったっけ」とこの本を見てみると、鈴木雅之の主著『撞賢木』の子安さんの抄訳が、ある。
なにげに、それを読んでいくうちに、「これは、ちょっと、すごい人物を見つけてしまった」という感じに思えてきた。
明治4年に三十五歳の若さで急逝した農民出身の国学者鈴木雅之の名は、すでにはやくから国学研究のすぐれた先達である村岡典嗣、伊東多三郎教授の紹介によって知られていた。私も両教授の著書によって雅之の思想の大略を知りながらも、なかなかその著書を直接読む機会をもたなかった。しかし「やまと叢誌」と題された和綴じの小さな叢書中の一冊に彼の主著『撞賢木』が治められていることをやがて知り、しかも当時大学院の学生であった東大の図書館にその叢書を見出すことができたときは非常にうれしかった。彼の生地である成田に行かなければその著書は読めまいと思っていたのです。私はさっそくそれを借り出して読んだが、読後の印象は非常に強いものであった。「生成の道」を根幹として、非常に明晰な一つの世界を、ほとんど独学によってこの思想家は築いたのである。(子安宣邦「鈴木雅之と『撞賢木』」)
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子安さんのこの、興奮ですね。これは、なんなんだろう、となるわけです。
例えば、大国隆正を、典型例とする、明治の傾向とは、以下のようなものなんですね。
ちなみに、神々は全てアマテラスを中軸に位置付けられ、「すべて天照大神化育の神功をたすけたまふものを神といふなり」(『直毘霊補註』)とされる。従って、アマテラスこそが「主宰造物神」であり、アメノミナカヌシもアマテラスと「一神分霊」であり、「天之御中主はもとにして、天照大神は末なり」「未発之中天之御中主神の已発之中天照大神とあらはれたまへる」(『直毘霊補註』)と位置付けられる。更に「タカミムスビノカミ カムムスビノカミは、天之御中主神のサキミタマ」(『古伝通解』)であり、これを「陰陽の體」とするならば、「イザナギ イザナミノカミを陰陽の用とみる」(『学運論』)べきである。こうした解釈を要するに、存在が要請されているのは、アマテラスのみであって、他の神々は全てその「サキミタマ」「分霊」「用」で足りるということであろう。
そして興味深いのは、こうしたアマテラスへの関心の集中に応じて、「幽界」への関心が後退している点である。
大国隆正の場合は、「漢説梵説蘭説」等の知識を比較・援用しながら「合理的」な解釈を行って、神秩序の整理を試みているが、アメノミナカヌシとタカミムスビ・カミムカビ、イザナギ・イザナミの関係は一元化して説明されており、それは雅之の説くところと大差もない観もあたえるが(アメノミナカヌシの「サキミタマ」がタカミムスビ・カミムスビであり、それはイザナギ・イザナミの「本霊」であって「同神」であるというのが隆正の解釈である。従って「対極」、「天」の「大本」はアメノミナカヌシである)、これは「未発の中」として「その分霊、天照大神に天地を授けたまへるのちは寂然不動、聲もなく臭もなく潜まりおはし」、こうしてアマテラスが「已発之中」としての「上帝・天帝」として「天地を司どりおはします」と述べられているように(『古伝通解』『直毘霊補註』)、「アメノミナカヌシ=アマテラス」という言わば二重構造によって説明が組み立てられているのである。アメノミナカヌシという始原を提示しつつ、アマテラスに収斂させて神秩序を構想する隆正の苦慮の程がここに窺えるだろう。
前者が鈴木雅之に見られるように、やがてはアメノミナカヌシを中心とする比較的普遍性を有する一神教をも生み出すに至ったこと、後者ではアマテラスを中心として、これに朱子学的体用論等を結びつけた体系的思弁性が現われることに注目しておきたい。
つまり、その後の、維新政府、文部省が行なった、教育行政、ですね。伊藤博文にも通じる、典型的な、朱子学にも影響されながらの、奇妙な「日本語語呂合わせ」(山崎闇斉にも通じるんですかね)。これが、いわば、明治の常識になった、そういうことなのでしょう。
なんでも、すべてを、アマテラス、だと。しかしー。記紀神話篇をみて、なにもかも、アマテラスから始まってたなんて、こんなつまんねーオチって、なんなの?、って感じでしょ。多神教的なところが、日本の神話のおもしろさであり特徴だと思ってたら、実は、裏で、全部、アマテラスでした、って。
いずれにしろ、国の憲法、教育政策が、これ一色になっていた、一神教的なものが、祭政教一致政策にとって、必要とされていたわけだから、もう、これが、常識なんですね。
ちょっと一般論ですが、幕末の思想家について考えるとき、戦争論といいますかね、そこが、大きなウェートをしめているんじゃないか、というのは感じる。後期水戸学、『新論』にしても、当時のロシアの日本近海への接近の経験から、そういった世界の情勢分析としては、レベルが高くないか、こんなふうな評価になる。
戦争ということになると、人殺しなど、日常、罰せられるような行為が、逆に、義務にさせられる。このとき、これを、なんとか理由のあるものにしないと、ソ連の崩壊のときのように、自国の軍隊が、自国のそういう反乱分子に(といっても、ほとんどの国民ですが)、大砲を向けるのを拒否する、なんてことになる。
では結局、戦争の勝ち負けとは、半分はこの、最初の国民のモチベーションを、なんでもいいから、説得することに成功するかどうか、にかかっている、なんて言えないだろうか。
そういう視点で、天皇制をみたとき、よく、「市民社会の価値観を超越した存在」「我々の想像の範疇を越えた身分」とか、こういった放言が飛びかう。
日本の神話をみていると、たしかに、アマテラスを、やたら、えらい存在にしようとした跡はみえる。しかし、もともとパッチワークですから、「始めに、アマテラスあり」となっていない。もちろん、天武天皇の頃も、太陽信仰ですから、実際は、朝廷内部では、一番に近いくらい重要なんでしょうけど。もちろん、それだから、ここから、天皇家が始まった、なんて物語になってる。
アマテラスが、完全な唯一神として、神々の体系の中で、他と並ぶべくもない、特権的な地位にあるとなるなら、これは、まさに、キリスト教を典型例とした、一神教の体系ですよね。
そして、単純に、アマテラス-天皇のラインだけしかない、となると、そのラインの特権性、「超越性」があらわれる。
このラインだけは、我々庶民の想像を越えた、エリアなんだ、と。なんのことはない、ここは「一般庶民の倫理の外」なんだ、と。ここでなら、あらゆる鬼畜、非人道的行為は、一言、「天皇の名のもとに」、勇気ある名誉の行為と、呼称の変換が、行われる。
まあ、こんな構造なんですかね。
ちょっと無駄話がすぎましたが、まあ、そういう視点でみたとき、鈴木雅之『撞賢木』というのは、そうやって、大国隆正的なもの一色になる少し前に、彼が農業をやりながら、特に、師匠をもつことなく、独自で自律的に考えたものだった、ということなんですかね。
『撞賢木』で、まず、気づくのは、いきなり、「道」の話から始まっていることだ。
もちろん、宣長以前の「神道」ということでは、それは完全に儒教ですから、「道」から語り始めるなんて普通なんですが、宣長、篤胤、の継承者として、こういう方向から、書かれると、ちょっと異様に思う。
雅之が篤胤を経由していることの思想史的な意味はなんであろうか。それは産霊の神、あるいは幽冥界を主宰する大国主命が、人間との関係でより積極的な意味をになって登場してきたことである。それらの神は、もはや儒教の合理的世界観をカッコに入れるような消極的な意味をもつのではなくして、それらの神との関係をとおして人間世界は新たにとらえ直されるものとして、積極的な意味を帯びてきたことである。雅之が根元性をいう道とはこの神を経由していることを考えなければならない。この神とは、万物の創造とその生育発展をもたらすような産霊の神である。雅之のいう根元の道とは、この物をつくり成す天つ神の生成の道である。物をつくり成すという活動が根本的な世界のあり方としてとらえられようとするのである。
(子安宣邦「鈴木雅之と『撞賢木』」)日本の名著〈24〉平田篤胤・佐藤信淵・鈴木雅之 (1972年)
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まるで、高位の儒者の説教のよう。「道」を、国学の常套句の「生成」で根拠付けて、理論をくみたてていく。
しかし、一度、そうやって、このコスモスを説明する、世界に通底している普遍的で倫理的なものの自己展開のようなイメージを提示すると、アマテラスだろうと、天皇だろうと、この力の外には、存在しえなくなる。
アメノミナカヌシの創造主宰神としての性格が一段と明確になっている雅之にあっては、アマテラスの位置は一段下げられて捉えられているのは言うまでもない。すなわち、雅之は『古事記伝』『霊能真柱』がアマテラスを「天上の君」として捉えていることに対して、「攷のくはしく及ばざりしにて理にあたらず」と反論し、(中略)見る如く、アマテラスが「天の君」であることが明確に否定され、一切は「生成」へと、従ってアメノミナカヌシの主宰の下に整序されているのである。
雅之が、天皇の存在説明にナオビノカミを持ち出した背景には、こうした「生成」=善事の完遂という視座が横たわっているのである。そして、それは天皇を含む「君」に、倫理的責務を課す構造になっているのは記述したとおりである。かくて、君臣関係を「もはら種によれる事」として「かはるあたはざれば萬々年の末までも......動くことなく厳然たり」(『くず花』)とした宣長の理解とは異なって、「生成」の哲学は、他の国学者がついに構想しえなかった、血統とは区別された地平に「君」や天皇を位置付けることを哲理上は可能にしたと評し得るのではなかろうか。
もちろん、雅之がどこまで、自覚的にそういう主張をしていたのか、という視点でみるなら、かなり疑わしいところでしょう。
鈴木雅之と大国隆正は、その方法や神秩序においては好対照を成しているにも関わらず、その教化論等は明治維新期には驚くほどに共通した結論となっている。
もちろん、教化論であっても、桂島さんも、それなりに、微妙な差異があることを指摘しているので、一緒というのは言いすぎなんでしょうけど、まあ、そんなに違いがないってことですね。
そして、さらに、悲劇的なのは、雅之死後、彼の仕事が、まったく違うものに、「改竄」されていたことだ。
あまりに早いその死を悼んだ伊能穎則は、明治5年にその主著『撞賢木』の「處々改めて......上木を為」し、『本教要略』を版行した。ところで、その「處々改め」た箇所に注意すると、重要なことに気づかされる。まず、アメノミナカヌシに収斂していた神秩序が解体していることである。
すなわち、アメノミナカヌシ等は「天ニ隠レ」ており、「顕界」ではアマテラスが「天地ノ大主宰」となっていると説かれているのである。従って「人モ亦大御神(文脈と語法からこれはアマテラスである--引用者)ノ大御心ヲ心トシテ生成ノ功ヲ遂高天原ニ至ラン事を冀フヘキ事ナリ」と、「生成ノ功ヲ遂」げる生き方もアマテラスと関連して説かれ、死後安心の問題もアマテラスの主宰する高天原へ行くことに引きつけて説明されている。
この『本教要略』は、長い間鈴木雅之の思想を伝えるものと考えられてきた経緯を考えると、以上の「変質」のもたらした影響は余りに大きいと言わなければならない。一体、伊能は如何なる意図でこうした「改竄」を加えたのか
とにかく、あんまり人様の著作を、書き換えることはやらない方がいいと思いますけどね。今でも、いろいろ、出版社ともめてる、作家って、多いんじゃないですかね。
ちょっと話を変えて、たとえば、国王主権の王政の時代から、ブルジョア革命をへて、王政の廃止、ではなく、立憲君主制になった国、たとえば、イギリス、のような国を考えてみる。
その、立憲君主制は、限りなく、王政の廃止と同値の部分がある。なぜなら、そもそも、この時点で、国王には、政に対して、積極的には、ほとんど何もできなくなっているからである。もちろん、なにもやれないわけではないとも言える。例えば、官僚職の承認のハンコを押すかどうか、のような話だが(しかし、こういう話にすると、江戸時代における、天皇の位置付けも、ある程度、立憲君主的だった、ということになるのであろうか)。
だから、二律背反の側面があるわけですね。なぜ、立憲君主制における、国王の位置にこだわるのか。なぜなら、なにもやれないことが条件の国王なのですから、なぜそんな不自由を受け入れるのか。
いずれにしろ、立憲君主制が、普遍的な制度なのか、歴史段階的なものなのかというのは、今を生きている人々にとっては、どうでもいいところがある。それは、歴史が審判をすればいいので、どっちにしろ、制度的に、大差はないと考えられるからですね。だから、ブルジョア革命において、王政の廃止を選ぶ国が一方にありながら、立憲君主制のまま、今まで来ている国がある。
しかし、そういったレベルの話と別のところで、ヨーロッパ啓蒙思想(カントから、マルクスにつながるような)こういったレベルで考えたとき、あらゆる、非人道的存在としてあらしめられている存在を絶対にそのままにしておかないわけですから、天皇制にしたって、この弁証法のたたきこまれる対象なのだ。どのように、これから、歴史が流れていくにしても、だれもこの(共産党宣言でいう)「亡霊」から逃れることはできない。
そういった歴史の中で、鈴木雅之の『撞賢木』が、まるで、宣長、篤胤の流れの中で現れ、歴史の中に隠蔽され、よくあるはやりの理論のように、忘れられていったものを、こうやって、あらためて、子安さんや、桂島さんが注目する。
子安さんいわく、「篤胤の原理のもっとも高い展開」、だそうだ。まさに、平田国学の進化の最終形。評価しすぎですかね(全文を原文で読んでるわけでもないですし)。
- 作者: 桂島宣弘
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