「グラン・トリノ」

今回の映画は、少し複雑な感じがしましたね。
人生、の晩年、最後に、自分が、何、をやるのか。
それは、案外、ちょっとしたことなのかもしれない。
クリント・イーストウッド演じる主人公は、ちょっとしたいきがかりで、隣りに住む、アジアのタイの方の一部族、のトラブルにまきこまれ、自ら、死、を選ぶ。
もちろん、長年、つきそってきた、妻の死、もあったのだろう。子供たちの家族も、自分をけむたがり続けてきた。自分の態度が悪いことは分かりきってる。自分の病気、も決断の一つ、だったのだろう。
しかし、なぜ、彼が、これほど、このトラブルに首をつっこむのか、それは、あまり、理屈とは関係ないのかもしれない。
彼は、ずっと、死ねなかった。苦しみ続けたわけだ。
朝鮮戦争、に従軍し、勲章をもらうが、たんに、多くの、殺さずにすんだはずの、人々を、捕虜にして、虐殺した、だけ。なにが、勲章だ。
彼は、いつか、自分が死ねる時を「待って」いたわけだ。
私たちはなにか勘違いをしているのだろう。生を捨てるのではない。でも、死は、最後まで生きた後、「選ぶ」。
しかし、ここに、なんらの希望も、描かれなったわけじゃない。
彼は、妻が亡くなった後、一人、その家で住むのだが、子供たちに、老人ホーム、のような場所にぶちこまされそうになる。子供たちは、それを、なにかの親切のつもりでいるわけだ。
それとあまりに対照的に描かれるのが、隣の家の、そのアジアの人たちであろう。彼は、そのアジアの人間たちと、関係する中で、彼らの習俗、習慣、親切に、ふれる。
これこそ、自国の文化への、ちょっとした、アンチテーゼ、なのだろう(あまり、この辺りは、主題化されてませんけどね)。でも、最近の、アメリカ文明の、危機、を十分に意識してるんじゃないですかね。
アメリカは、儒教文化とは、あまりに、遠いですからね。もっと、長幼の序、に厚い親族関係が、精神的安定のためにも、この不況の時代こそ、必要なんじゃないですかね。
どこか、西部劇に描かれた、インディアン文化との比較もしてみたくなりますね。