菊池英博『消費税は0%にできる』

平和、とは何であろう。
もちろん、こういう、形容詞は、うさんくさい。
相対的でしかありえない、こういう表現を、やたらと強調することには、なんらかの意図を疑いたくなる。
日本は、島国で、江戸時代から、おおむね、「平和」であった。しかし、なにも起きないということは、「なにもない」ということではない。
権力を甘くみるな。
平和であるとは、イコール、権力の堕落、国家による国民の支配が進むことと、同値なのだ。平和により、弛緩した国民ほど、隙の多く、てなづけやすい、奴隷もいないだろう。
外からの恐怖を感じなくなるときこそ、権力は、「内」への野望をたくましくする。
今、日本の大手マスコミは、消費税増税で、がまびすしい。
私は、そのことに、恐怖する。
これだけ、不況が叫ばれ、フリーターのような社会現象が、放置されながら、なぜ、消費税増税
お前らは、自分が、何をのたまっているのか、分かってるのか?

日本の消費税のうち、国税となるのは四%である。しかし、国税収入全般に占める比率は二二%にのぼる。イギリス、イタリア、ドイツ、スウェーデンなどの消費税(付加価値税)は一七〜二五%であるのに、国税収入全体に占める比率は二二〜二七%であり、日本のこの比率二二%はイギリスやスウェーデン並みだ。国税収入全体から見て、日本の消費税率は、スウェーデンの税率二五%に相当するといえよう。

日本の財政健全化は、喫緊の課題なんだ、と。しかし、おかしいだろう。不要なものは、削除以外ない(官僚の天下りに、一円でも金を使うな)。しかし、国民にとって、必要なら、どうしてそれを出しおしみする。だったら、お前たちは、なんのために、国民が汗水たらして収めた、なけなしのお金を、税金として、まきあげているんだ。

なぜこれほど違うのかといえば、日本ほど政府が多額の金融資産を保有している国はないからだ。欧米諸国ではGDPの一五〜二〇%程度であるのに対し、日本はなんとGDP(約五〇〇兆円)を超える「金融資産」(約五四九兆円)を持っているのだ。

大手マスコミは、多くの、広告収入のみこめる、政府や経団連と戦うつもりは、最初からない。彼らの、サービスを買うのが、実際は、多くの国民であることを、忘れているようだ。地デジとかなんとか言うアホな散財を国民に要求するなら、いい機会ではないか、テレビを見るのをやめよう(YouTube で十分だ)。国民のマインド・コントロールにしか興味のない、大手マスコミに対し、徹底した、不買運動を、仕掛けるしかないだろう。
私は、衆議院の、二世議員たちを、戦前の「貴族院」きどりの連中と、揶揄する。しかし、私は、けっこう真面目に本人たちが、思っているんじゃないかと考えている。彼らは、なぜ、自分が、「貴族院」に入れないのかを、不思議に思ってるのではないだろうか。子々孫々、自分たちの身分を保証する、「貴族院」がなぜ、「復活」しないのかを、不思議に思っていることであろう。
国家が貴族的様相を示せば示すほど、国家にとって、大衆は、「搾取」の対象でしかなくなる。
生かさず、殺さず。
いや、彼らにとっては、しぼれるだけ、しぼれ、自分たちの「利益」を最大化できるなら、大衆の死は、なんら、避けなければならない、問題ではない。
官僚や、二世議員経団連を中心とした大企業カルテル、が、天皇を、ことさら礼賛するとき、彼らの叙勲が、そのまま、「階級」社会、の待望を意味していることに、気づく。百済新羅に滅ぼされ、全員奴隷になったように、天皇に刃を向け抵抗した、抗日志士は、身分の低い被差別部落、となる。
皇国史観の仮想敵が、マルクス主義であったことは、だてではない。フランス革命を否定し、その近代の理念を最大限継承しようとする、マルクス主義、その、歴史哲学を最後まで、否定する、皇国史観の、歴史意識は、まさに、マルクスの言う、「アジア的段階」、そのものであろう。本人たちが、どこまでも、大まじめに、主張してみせればみせるほど、臣民という奴隷、この中での、微妙な差異を延々と競ってみせる、アジア的、始皇帝政治、こそ、唯一、この日本のかたち、であるという主張が「負けた」のが、あの戦争だったわけですね。
戦後の世界が、いかに、こういった、日本やドイツのような、暴走国家、と立ち向かうレジームを構築できるか、で始まり、現在に至っているのかを、忘れてみせる、健忘症的振る舞い、だということでしょう。六カ国協議、などと言っているが、ことこの点に関しては、北朝鮮を含めて、日本を除く五カ国は、一糸乱れぬ足並みなわけですね。国連を脱退して、六カ国協議、を脱退して、あとは、どこから、脱退しますかね。
彼らにとって、逆進性の、限りなく高い、消費税を、「なぜ税率アップしていけないのか」理解できない。彼らにとって、大衆とは、しょせん、「身分の賤しい、もともと、奴隷、の身分を出自とする、連中」にすぎないわけで、彼らに対して、国家によって、さまざまなサービスを与えなければいけないという思考が理解できない。奴隷を奴隷として、こき使うのは、当然ではないか。こき使うからこそ、我等、やんごとない身分の、おそれ多さは、いや増すというものであろう。こういった連中にとって、いきおい、民主主義批判こそ、我が意を得たり、となるわけで、民選議員ほど、不要なものはない、となる。まあ、政治家が、この本音を言ってる限りは、最近の意識の高い国民が、当選させることはないであろう。
しかし、官僚、と、経団連を中心とした、大企業カルテル、にとっては、政治家の人気など、なんの関係もない。だれもが思うことは、消費税、増税によって、日本人の多くは、トヨタの高性能の、車を買えなくなるであろう。しかし、トヨタにとっては、そんなことは、どーでもいい。日本の国民に、少しでも、自分たちの、丹精を込めた、商品を、一人でも多くの日本人に、使ってもらって、日本人の日々の生活を、よりよい、暮しに、してもらいたい、のでは「ない」のである。彼らは、金を持っていない、日本人など、お客さん(つまり、人間)だと思っていないわけで、ようするに、どこまでも、むしりとれる、金持ちこそ、彼らの、大事なお客なのだ。そういった金持ちは、平等社会、日本にいないのだから、海外のお客さんしか、最初から、相手にする考えなどないわけで、だとするなら、日本人など、政府に、できるだけむしりとってもらって、この日本に会社を置いてやっていることを脅しに、法人税所得税、をできるだけ安くしろと、「脅す」。国民の義務である、税金を意地でも払おうとしない、こういった大企業に、公僕としての、公器を任せられるわけがない。
私たちは、よくよく、この国の人間を眺めてみるといい。今、「誰が」消費税アップをのたまっているか。具体的に、「誰が」消費税アップが必要と言ったか。これらの人間の顔を絶対忘れてはならない。彼らこそ、シャンタル・ムフ、の言う、「敵」である。

消費税は0%にできる―負担を減らして社会保障を充実させる経済学

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