原発と戦後日本論

言うまでもないことであるが、やはり専門家はバッファが違う。彼らには、リソースがある。我々にとって、常に専門家が必要なことは変わっていない。
たとえば、今回の福島原発についても、やっと雑誌や書籍による論文やエッセイが増えてきた。ほとんどは、似たようなものかもしれないが、やはり特徴がある。
東芝の元技術者の後藤政志さんが、今回の一連の政府の発表は、「大本営」そのものではないか、と言っている。しかし、こういうことであるなら、
学術研究
は得意なのだ。戦中の大本営の研究は、膨大にあるはずで、そのアナロジーから、多くのことが見えてくるであろう。同じようなことは、福島の子供たちの「学童疎開」が必要かどうかについても、戦中の経験が生きてくる。
そう考えると、今後も、膨大な言説が原発をめぐって行われることは間違いない。
中沢新一の以下の論文の前半の議論の特徴は、原発
他のエネルギーと本質的に異なる
性質のものであることを「定義」するところから始まる。

地震はこの生態圏の直下で起こる巨大なエネルギー現象である。大地は揺れ、いたるところに亀裂が発生する。同時に起こる津波は、おびただしい海水をすさまじい速度で陸地に流れ込ませる。こうして津波は、人間がつくりあげてきた人工的な世界や、動物や植物や鉱物の形成してきあ生態系の秩序を、まるごと飲み込んで、破壊していく。
しかし、大地の揺れがおさまり、すさまじい爪痕を残して津波が去っていくと、そのあとに生物はほとんど同じ場所で、もとどおりの生態系の秩序を回復しようとする活動を、再開することができるのである。植物はふたたび芽生えてくるだろう。人間はもういちど家を建て、家族を集め、仕事を再開して、町や村をつくり直していくだろう。じっさい日本人は、長い歴史のなかで、繰り返し地震津波に襲われては、そのたびに自分たちの世界を再建してきた。
ところが、いったん原子力発電所に深刻な事故が発生して、大量の放射性物質があたりにばらまかれてしまうと、その土地で、生物はそのさき何年もの間、生存することが困難になる。とりわけ人間は、高い放射線量を出し続けるその土地には、暮らしていけなくなる。人々は防護服を身につけなければ、高濃度の汚染地帯には入っていけない。もはやその土地は、人間にとっての生態圏ではなくなってしまうのである。
なぜか。それは原子力発電そのものが、生態圏の外部に属する物質現象から、エネルギーを取り出そうとする技術であることに、原因がある。地震津波は、生態圏の直下で起こる地殻の振動に原因しているから、それによって生態圏の受ける損傷は、生態圏みずからの力で修復していくことができる。ところが、生態圏の外部、もっと正確に言えば、地球をも包み込む「太陽圏」の物質現象が生態圏に及ぼしたものの影響を、長い時間をかけてでも癒していく能力を、私たちの生態圏はもっていないのである。

中沢新一「日本の大転換」(上)

すばる 2011年 06月号 [雑誌]

すばる 2011年 06月号 [雑誌]

大事なことは、これに同意をするかしないか、だということだろう。多くの人が思っている違和感は、原発を他の石油や石炭や水力などのエネルギーと同列に並べていること、と言えるであろう。ある指標によって「同列」に並べることによって、原発は(ある意味)「安い」と言うことに、果して、なんの意味があるのか、ということなのだ。

  • 原発を除くエネルギー ∈ 生態圏
  • 原発 ∈ 太陽圏

という形で、原発が、生態圏に含まれない「なにか」と定義することによって、本質的に原発の「扱い」を、私たちが日常、慣れ親しんでいるものとの「アナロジー」で、扱ってはならないのだ。しかし、どうだろう。人間の「慣習」として、そういった振る舞いはどこまで、徹底できていたのか(後述する)。
大塚英志の以下の論文では、原発サブカルの一昔前におけるある
関連性
について言及している。

さて、ここで率直に述べられているのは以下のような感情のあり方と正確に対応する、とぼくは感じる。

80年代が終わりそーなころ、”世界の終わりブーム”っていうのがあった。「危険な話」が広まって、いちばん人気にあったバンドがチェルノブイリの歌を歌って、子どものウワサはどれも死の匂いがして、前世少女たちがハルマゲドンにそなえて仲間を捜しはじめた。僕たちが「デカイのがくるぞ!」「明日世界が終わるかもしれない!」ってワクワクした。
だけど世界は終わらなかった。原発はいつまでたっても爆発しないし、全面核戦争の夢もどこかに行ってしまった。アンポトウソウで学生が味わったみたいに、傍観してるだけの80年代の革命家は勝手に挫折感に味わった。
これでやっと分かった。もう”デカイ一発”はこない、22世紀はちゃんとくる(もちろん21世紀はくる。ハルマゲドンなんてないんだから)。
鶴見済完全自殺マニュアル太田出版、一九九三年)

言うまでもないことだが、鶴見済の『完全自殺マニュアル』の冒頭の一文であり、彼はここでチェルノブイリ原発事故が象徴する終末を待望する束の間の「ワクワク感」について身も蓋もないほどに実直に語っている。確かにそうだった。広瀬隆の本はWEBのなかった時代、口コミであっというまに「拡散」し、パスタの小麦には放射能が入っている、と皆「ワクワク」語った。そして宮台真司は鶴見の「もう”デカイ一発”はこない」ことへの諦念をこそ受け止め思想の基幹とし、「終わりなき日常」をまったりと生きなくてはならないと語ったのだった。

大塚英志「「戦後」文学論」

atプラス 08

atプラス 08

世紀末は、一つの若者の「青春」において、
ワクワク感
という形で受けとられたことを忘れてはならない。これを「アンポトウソウ」のワクワク感とどこまで違っていたと言えるのか。
若者の「青春」は、若者の
弱さ
に非常に関係がある。彼らは、ハルマゲドンに「ワクワク」し、日常に「ひきこもり」、そして、
自殺
する。しかし、大塚英志に言わせれば、それは、むしろ、戦中から戦後文学の
テーマ
そのものなのだ。

やはり人々は戦争に今でいえば「リア充」していたのであり、今回の震災後、人々を貫いたのはこのような安吾が繰り返し描いてみせた感情と恐らく同一のものだ。若い時のぼくが父親やその上の世代が繰り言のように語る戦争体験を生理的に嫌っていたのも、そこに戦争の「リア充」を懐かしむ感情がしばしばあったからだと今は思う。
しかし注意すべきは同じような高揚と喪失を坂口安吾だけでなく例えば太宰治三島由紀夫島尾敏雄が書いていた、ということだ。そもそも戦後の文学とは戦時下のリアルの喪失を出発点としている作品が少なからずある。そのことは戦後文学論として書いたつもりの『初心者のための「文学」』で述べたことだが、改めて記せば、ぼくにとって戦後文学とは「戦争のあとの日常が嫌で生きづらい」という感情に支えられた文学ということになる。それは恐らく戦後という時代の基調にあり、鶴見のかつての「終末」待望と対となった感情でもある。『完全自殺マニュアル』はそのような「戦後文学」的なあり方が、九〇年代末まで継続していたことの確実な証左になり、宮台の主張もつまりはある種の「戦後文学」であったのか、と皮肉ではなく思う。

大塚英志「「戦後」文学論」
atプラス 08

私たちは、むしろ、ラノベのような形態によって、戦中文学を
反復
していると考えるべきなのであって、今こそ、ラノベ作家によって、戦中文学と自分たちのやっていることとの
平行性
を再「発見」されるべき、ということなのだろう...。
大澤真幸は、自らの震災論を、ウィリアム・ジェイムズプラグマティズムの「定義」から始める。

(ジェイムズの)プラグマティズムの特徴は、その真理観にある。普通は、ある主張は、ある主張の真/偽は、それが真実に対応しているかどうかで決まると考えられている。それに対して、プラグマティストは、ある主張の真理性、正しさは、その主張がどのような実践的な帰結を生むかで決まると考える。たとえば、一般には、「神が存在する」という命題が真であることを証明するためには、神が事実としてどこかに存在しているという証拠(誰かが神の声を聞いたとか、神が存在していると仮定しないと説明できない経験的事象があるとか......)を提示する。しかし、プラグマティストはそうは考えない。「神が存在する」と仮定して行動するときと、「存在しない」と仮定して行動するときでは、どのような違いが出るのかを問題にするのだ。もし神が存在していると見なそうが、存在していないと見なそうが、その人の行動に何の違いも出ないのであれば、プラグマティズムの観点からは、「神が存在する」という命題は、真/偽に関係のない命題である。

大澤真幸「可能なる革命 第二回」
atプラス 08

この定義のおもしろいところは、ある言説が「意味がある」と考えるかどうかに、実際にそれ以降において、具体的な「影響」が生まれるかどうかに、こだわっているところであろう。抽象的に議論することは、一見大きな差のように思うが、問題は、具体的な生活、つまり、
日常
にどこまで「差異」が現れるか。たいして、大きな差にならないのなら、どっちでもいいわけだ。
たとえば、戦争における、坂口安吾が指摘する国民の
ワクワク感
には、上記にあるような、若者の世紀末ハルマゲドンに対する
ワクワク感
が平行すると考えたとき、こういったものを受け入れられないと考えることは、プラグマティズム的には、どのような
オールタナティブ
が想定できるのか、を考えることになるだろう。それに対し、ウィリアム・ジェイムズが見出し、大澤さんがその可能性を見出すものが、
災害ユートピア
となる。
先ほど、中沢新一による、原発「特殊」論を紹介したが、これは、社会学の文脈では、
リスク論
において考えられてきたことと平行していると捉えるべきなのだろう。

どういうことか? リスク社会のリスクには、二つの背反的な特徴がある。第一に、それは、いったん生起すると、物的にも精神的にもきわめて深く広範な損害をもたらす、非常に大きな破局である。それ、極端な場合には、一つの国民とか、あるいは人類とかを、全体として危機に陥れるほどの破局である。今回の津波原発事故もそれにあたる。第二に、それが生起する確率は、非常に小さく、ときに小さ過ぎて計算不能である。今回の地震とそれによって引き起こされた事故が、一〇〇〇年に一度のものであったとすると、まさにこの性質をもっていることになる。こうした二つの特徴をもったリスクに対しては、確率論が教えるような合理的な行動が成り立たない。
確率論によれば、われわれは、リスクに対しては、いわゆる「期待値」に応じたコストをかけるのが合理的である。期待値とは、「損害×確率」という積である。たとえば、自動車事故は一定の確率で起きる。このとき、事故のための安全対策にどのくらいの費用をかければよいのだろうか。事故は、いつも起きるわけではないのだから、一台あたり何億もの巨費を投じて装甲車のような車を造るのは、得策ではない。かといって、シートベルトも、エアバックも何もない、まったく安全対策を講じていない車は危険すぎる。予想される事故がもたらす損害額と、その事故の生起確率を掛け合わせて得られる金額が、ちょうど適当な安全対策の費用である。それは、慎重過ぎでもなければ、無防備に過ぎてもいない、中庸を教えてくれる。
リスク社会のリスムにも、これと同じ論理で対抗すればよいではないか、と思うかもしれない。しかし、そうはいかないのだ。先ほど挙げた、リスクの二つの性質は、「期待値」の計算において、互いに相殺し合うような効果をもつ。損害額は、きわめて大きい。何兆円にも上り、国家予算並みである。しかし、その損害が出る確率は、たとえば一〇〇〇年に一度程度だとしよう。一〇〇〇年に一度ということは、キリストが生まれてから今日までに、せいぜい二度くらいしか起きない、ということである。両者の積をとると、自動車事故の場合と同じように、「そこそこ」の中庸な対策の費用を導き出すことができる。損害額は莫大でも、確率が非常に小さいので、積をとれば、中庸になる。
しかし、リスク社会のリスクに対しては、中庸な選択は、最も価値がない方法なのである。リスクとして予想されてう破局は、あまりに激しく、大きいので、中くらいの費用をかけた対策、中途半端な対策など、いざ問題が生じたときには、何の役にも立たないからだ。長い間------アリストテレス以来と言っておこう------「徳」を規定する最も重要な態度は「中庸」であった。だが、リスク社会では、そのような倫理の中心が無効化する。

大澤真幸「可能なる革命 第二回」
atプラス 08

確率とは、一つの
「数学的」モデル化
である。しかし、どうであろうか。現実社会はむしろ、トリビアルなものの方が多いのではないだろうか。数学的に「おもしろい」ような、
歯応え
のある結果に出会うことの方が少なくないだろうか。原発もその一つと考えていいだろう。原発は、どんなに悲惨な事故になる確率が小さくできても、それが起きたときの、被害が甚大になる、その大きさが、まともに計測できるような範囲にない、と考えざるをえない、ということなのだろう。そんなものの、
期待値
をとることに、なんの意味があるのか。つまり、このことを言いかえるなら、原発は(中沢新一的な意味で)生態圏にとどまらないから、人間がはるか太古から、海や山川と繰り返してきた、ゆえに、その相互の影響も
予測
できる「外」にある、と言いたいわけであろう。
そのように考えてきたとき、むしろ、なぜ日本において、今まで、原発のここまでの
普及
が起きたのか、がどうしても気にならざるをえない。なぜ、原発は日本にこれだけ作られたのか。

原子力予算を通過させた中曽根は、それにしてもなぜ原子力に興味を抱いたのだろうか。予算案自体は中曽根のイニシアティブで作られたものではなく、当時、中曽根と同じく改進党の議員を務め、後にTDKを創業することになる斎藤憲三が、予算案上程の約二週間前に改進党の秋田大会からの帰路、後に法相となる稲葉修らと語らううちに生まれてきたものだとされている。中曽根はたまたまその時に予算委員だったために上程を担当したに過ぎないとも言われる。
ただし、このタイミングでの上程は後述するようにあまりに出来すぎていた。そこには伏線があっただろうと、佐野真一は『巨怪伝』(文藝春秋、一九九四年)の中で推測している。中曽根は一九五三年七月から一一月までハーバードの助教授だったヘンリー・キッシンジャーだった。中曽根はキッシンジャーの講義を聴いてかねてよりの持説だった再軍備論へと一段と傾倒を強めた。そして日本から元海軍大佐の大井篤を招き、アメリカでの軍関係施設視察の便宜を諮ってもらう。大井はGHQ参謀第二部(通称G二)部長で反共主義者として知られるウィロビーと通じていた。
再軍備への意志を持って活発に動き回る若き日本人をアメリカ政府は、来たるべき世界秩序を作る上で利用できると考えたのではないか----。それが佐野の推理だ。
「元内務官僚で、日米同盟の早期締結と日本防衛論を早くから提唱していた中曽根は、冷戦に向かう世界情勢をにらみつつあったアメリカにとって、最高の利用価値をもつ日本人政治家として映ったことは想像に難くない」(『巨怪伝』)

今週の videonews.com で神保さんも素朴に憶測しているが、日本において、二つだけ、国民の生活と関係なく、膨大な予算がつき、
爆走
してきたものがある。原発と宇宙開発で、つまり、ロケット。そもそも、テクノロジーにおいて、平和利用と軍事利用を分けることには、意味がない。なぜなら、どちらにしろ、テクノロジーのあるかないかだけが問題だからで、つまり、(実際に可能かどうかは別にして)原発によって生まれるプルトニウムが、原爆の
材料
となり、ロケットという
ミサイル
が核爆弾の筐体となる。終戦直後の平和憲法によって、軍隊を奪われた、この国において、戦前最もその勢力を拡大した、陸軍と海軍の元軍人たちが、ずっと考えてきたことはなんであろうか。当然、
軍隊を持てないこの国における「武器」
とは何か、であったであろう。そこで、だれだって考えつくものが、原爆であることは言うまでもないだろう。だって、それによって、日本は負けたのだから。つまり、軍隊は持てなくても、原爆を持てる「可能性」を、維持し続けること「だけ」が、唯一のこの国の
防衛
と考えられたのだろう。そして、たまたま日本がその間、地震の鎮静期だったことが、こういった問題のリスク感覚の
期待値
を下げてきたことが、民主党政権が、つい最近まで、何十基も増設する予定だったくらいの
平和ボケ
を生んだのだろう。しかし、いつの間にか、日本列島(世界中も)は、未曾有の地震活動期に入っていたようで、さて。つくづくも、この戦中から戦後を通しての、(文学を含めた)本格的な

  • 核論

を読んでみたいものだ...。