原発と青春

私は今回の福島原発の「責任」の第一に、40代後半から60代くらいの、つまり、「全共闘世代」と呼ばれる、つまりは、田中角栄の、日本改造論を実際のこの国の主導的な言論を先導してきた
世代
に大きなものを感じている。
彼らが今まで、どのように振る舞ってきたのか。そこに、今回の事故のかなりの「責任」があると思っている。
私は、まず、この世代が若者たちに、今回の事故に至ってしまったことを「謝罪」し、彼らの残りの人生を賭けて、贖罪にとりくむことなしには、次の日本の再建はないのではないかと思っている。
ところが、どういうわけか、この世代が「エラそう」なのだ。まるで、逆ギレしているかのように、自らの謝罪もない。身銭をきってご奉公するわけでもない。なのに、若者へのぶち切れ爆走で、説教に忙しい。
どうも、彼ら。「自分のこと」と思ってないようだ。
なぜ、東京が日本において、特別な場所であったのかは、多分に明治以降の歴史に依存している。

一九二三年の関東大震災以前の東京は、政治や文化の中心ではあったが、経済や商業に関しては、大阪の実力は、東京とほぼ肩を並べていたのである。しかし、震災復興の過程で、東京の都市機能が格段に整備されたために、復興後の東京は、文字どおり日本における政治・経済・文化の中枢として発展することになった。この経緯の背後には、大東京という社会的システムの卓越した活力もさることながら、一極集中を国策として推し進めた、当時の日本政府の思惑が働いていたことは言うまでもない。

人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学 (集英社新書)

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つまり、東京を「国策」として、日本の中心としてきた、今までの日本の方針があったから、関東大震災東京大空襲終戦という区切りごとに、膨大なお金を、この東京に投資し、都市設計を行い、さらなる、全ての
一極集中
が、その度ごとに、より効率的に拡大され復興されてきた。つまり、

  • 東京 = 日本

こうであるなら、日本の税金は、「全て」東京に注がれることになり、東京は世界に出して恥かしくない都市であり続けることが「目指されるもの」となる。
(つまり気になるのは、今回の東北の災害被害にどこまで、真剣に国家が取り組むのか、なわけだが...。)
前回、戦中軍人が戦後、原子力に引き付けられてきたのではないか、という推測を書いたが、そのパワーへの憧憬は、戦後復興期における、原子力の「平和利用」への

として、描かれていくことになる。手塚治虫の「鉄腕アトム」は、原子の力によって十万馬力だというのだから、多くのその頃の子供たちは、停電などの当時のエネルギー供給の貧弱さを思っても、こういったものに未来を投影させたのだろう。万博があり、東大原子力工学科に、日本の多くの秀才たちが結集した時代。
言わば、この世代が、今の日本の政治の中枢を構成し、日本の言論を先導してきたわけで、つまり、彼らが日本の原発御神体として崇めてきた。
この延長に、田中角栄の「日本列島改造論」がある。多くの人は、これが、日本の地方ばらまきをまねき、バブル以降の日本の衰退を象徴していると考える。しかし、そういった言い方は正しいのだろうか。

電源三法とは、一、電源開発促進税法、二、電源開発促進対策特別会計法、三、発電用施設周辺地域整備法の三つのことだ。一によって電力会社が電気料金に上乗せして税金を徴収することを認め、二で特別会計に繰り入れ、三で発電所立地都市町村およびその周辺地域の公共地域の公共施設の整備に充当させる。そのカネが地方振興に生かされ、その地域は過疎からの脱却を果たすと考えられていたとすれば、矛盾はなさそうだが、それは田中に好意的過ぎる見方だ。というのも「東京に作れない」原発は実は過疎地にしか作れないものだった。その立地が、過疎地であることを持続的に必要とするのだ。田中が過疎の地方を振興しようと本当に思っていたかどうかは、そこで極めて怪しくなる。
では、なぜ原発は過疎地にしか作れないのか。

原子炉敷地は、仮想事故の場合、全身被爆線量の積算値が、二万人Sv以下になる程度、人口密集地帯から離れていることが必要とされている。二万人Svは決して大げさな数字ではない。人口一〇〇〇万人の都市であれば、住民は二ミリSv以下の被爆しか許されないことになる。しかし二ミリSvは日本で生活する人の自然放射線による年間被爆量にほぼ等しい。その程度の被爆すら許さないほど事故の際の安全性は重視されている。しかし皮肉なことにこの規定がある以上、原発は人口密集地からかなり遠くに作らざるを得ないこと、つまり僻地にしか作れないことが運命づけられることになる。人Svの値を下げるために「人」数を減らすしかないからだ。こうして立地場所を限定することで原子力事故の賠償が天上知らずになることを防ごうとした。
これは、しかし、原子力発電所の運転継続を国が望む場合、その地域は過疎であり続けなければならないことにもなる。そうでないと立地指針によれば原発立地には相応しくなくなる。逆に言えば過疎化を前提とせずには、事故の際に現実的な範囲で賠償可能の域に留めることは出来ない。これが原子力賠償法の裏側にあるリアリズムだった。
となると電源三法交付金は地域振興を本当に目的にすることは出来ない。では、それは何を目的としていたのかということになる。電源三法交付金は永遠に過疎の運命を強いる事への迷惑料、慰謝料的な性格が実は強かった。通産省資源エネルギー庁の委託で作られた立地促進宣伝パンフレットにも次のように書かれている。「原子力発電は国の経済活動や国民生活に不可欠であるとはいっても、原子力発電所のできる地元の人たちにとっては、他の工業立地などと比べると、地元に対する雇用効果が少ない等あまりメリットをもたらすものではありません。そこで電源立地法によって得られた国民経済的利益を地元に還元しなければなりません。この主旨で、いわゆる電源三法が作られました」(日本立地センター『原子力みんなの質問箱』)。
私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)

田中角栄日本列島改造論が(どんなに箱モノを作ろうが)、とりわけ、結果として、現在の彼の地元であった、新潟県を振興させる形になっていない現実を考えるとき、彼が本気で地方を考えていたのかは疑問と言わざるをえない。
大事なことは、原爆は戦争時に使う兵器ですから、その「被害」の賠償を国家は、ある程度、コントロールできる(戦争なんだから、被害を忍従しろ、と)としても、原発の被害は、平和時の民事の紛争ですので、必ず、だれかの責任によって、賠償されなければならない、民事的な事案になってしまう、というところにあるだろう。
ということは、どういうことか。
上記において、重要なことは、原発立地を認めた都道府県が未来永劫、原発を捨てるまで、過疎地であり続けなければならない、という厳然たる事実である。
その都道府県は、絶対に、大きくなってはならないのだ。東京と肩を並べるような発展をしてはならない。
しかし、もっと重要なことは、このことが既に、1961年の原子力損害賠償法ができた時点で決定していた、という事実なわけだ。この時から、日本において、東京以外の都市は発展してはならなかったのだ(なぜ、日本にシリコンバレーができないのかも、こういうところにあるのかもしれない...)。
しかし、どうでしょうか。たしかに、こういった東京一極集中が、一つの頂点に達した、バブル以降、日本の衰退は目に見えて顕著となる。東京の空気の汚れや、ヒートアイランド化が、東京の生活のしづらさを結果していきながら、しかし、人々は地方を発展させてはならないのだ。なぜなら、そこには原発があるから。
東京もダメ、地方もダメとなったら、そりゃー、少子化は必然でしょう。
いや。それだけじゃない。今回の福島原発は、あまりに東京に近かった。燃料は、今やダダ漏れを通り越して、一体どこにあるのやら。爆発して、上空の雲まで乗って東京まで漂うような可能性は小さいのかもしれないけど(まったくないとも思えないけど)、少なくとも、海や地下水、原発周辺の地域の土壌への拡散は間違いなく進んでいるわけで、こういった放射性物質の東京への、さまざまな影響は
あまりにも近い
わけで、考えない方がどうかしている。あまりにも東京のブランド力は地に落ちたと言わざるをえないだろう。
しかし、これだけの事故を起こしても、あいかわらず、日本の原発推進政策の後退に抵抗する人々の反応には、どこか彼らの
アイデンティティ
に関わるような根深いものを感じなくもない。
もちろん、3・11まで、世界中は原発立地ラッシュだった。わざわざエネルギーのオプションの一つを手放すことは、日本の技術立国の一歩後退と考えるのだろう。
しかし、たとえそうだったとしても、中国などの BRICs が、今までの日本並みのエネルギー消費を行い、文明を謳歌したとき、どういった地球的な状況が起こるだろうか。だれもが、車をもち、ガソリンを消費し。水や食料は、どこまで確保されるか。
原発推進を叫んでいる人たちも、どっちみち、原発のエネルギーであるウランの資源が枯渇することに疑問をもっているわけではない。かといって、プルトニウムの再利用サイクルがそんな簡単に実現するとも思っていない。つまり、ここにはある種の
競争ロマンティシズム
がある。日本が世界とのエネルギー競争において、一度でも、従属的な地位に置かれることが、将来の日本の(産業的な)衰退と平行していると考える。
ここには、非常に重要な視点がある。
日本は、まがりなりにも、世界に比肩する、先進国である、という自負がある。
しかし、ある種の、「妥協」が、日本の国際的な地位の低下をもたらし、将来の日本が「貧しい」国へ向かうことになるのではないか、と。
こういった感情が、「鉄腕アトム」世代の原子力の夢という、脅迫観念とつながるときに、どこか、この世代の人たちの、
青春
と平行して考えざるをえない。
ここのところ、ラノベの「電波女と青春男」という、高校生が主人公のしょーもない小説を読んでいるのだが(今は、7巻の途中)、この小説も以前紹介した漫画の「それでも街は廻っている」と似たような形で、たしかに、都会なんだけど、その都会は、新宿や渋谷といった感じではなく、それなりに
商店街
を中心とした地域コミュニティが存在している形で描かれている。大人、とくに老人と子供たちが地域を通した、それなりの繋がりを描こうとしている。
たとえば、その地域で育った子供たちが、もし、その地域に留まって、年齢を重ねていったとき、どういった未来の「楽しさ」を思い描けるだろうか。自分が60歳を超えて、その地域にいて楽しいだろうか。もし楽しいとするなら、そこには、なんらかの子供世代や孫世代との交流が必要ではないか。
なぜ、人々は長く生きようとするのか。なにがそうさせるのか。なにか楽しいことがあるのか。
そんな中、第7巻内の短編「Ending No.2 宇宙人の見守る町、の地球人」は、ちょっと変わったエンディングになっている。ここにおいて、エリオと結婚した丹羽真は、すでに、晩年を迎え、駄菓子屋の田村おばちゃんも、叔母の女々さんも、リュウシさんも、前川さんも、すでに死んで、この世にはもういない。
二人は、子供、孫、曾孫にもめぐまれ、二人の死期も近いことを感じている。
この世界は不思議な世界だ。
ここには、彼らを主人公とした、本編における、高校生のストーリーに描かれていた、愛すべきキャラクターは、みんな死んでいる。もう、丹羽真と藤和エリオしかいない。あとは、子供世代、孫世代、曾孫世代の
セカイ
となっている。そこに、とり残された二人...。

「嘘じゃないぞー、ひい祖父(じい)ちゃんたちは自転車で空を飛んだことがあるんだ」
「すげー! どんくらい飛んだの?」
「二秒くらい」
「わー海だー」
俺たちの武勇伝はひ孫のお気に召さなかったようだ。聞かなかったことにされてしまった。
せっかく息切れしながら昔のヤンチャを語ったのに。今でも時々、あの日が夢に見るよ。
「潮の香りがすると、鼻の中がむず痒(がゆ)くなるな」
「イトコの匂いフェチが本領発揮?」
「お前、死ぬまでそのネタ引きずりそうだな」
女々(めめ)さんの意志でも継ぐように人を苛めやがって。懐かしく、感慨深く、そして苦いものを口いっぱいに感じながら、砂浜の手前で自転車を停める。ブレーキが悲鳴をあげて、車輪を停止させる。光に目を眩ませながら見上げると、俺たちが滑走路とした道路は健在だった。

電波女と青春男(7) (電撃文庫)

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しかし、こうやって見ると、二人は実に残されるに、ふさわしい。老年とはニーチェによれば、子供になることであった。エリオの幼さは、どこか、おばあちゃんを思わせるところがある。
なんというか、私が言いたかったのは、原発をたんに否定することが、原発世代の

を無碍に扱うことになるとするなら、たんなる否定は感情的な反発を招くだけなのかもしれない、ということである(アトム世代が原子の力に未来を夢見て、熱く語るのは、当然のようにさえ思えてくる...)。そこにはどこかしら彼らの
青春
を残すような、別のオールタナティブを感じさせるものがなければ、前には進まないのかもしれない...。