非決定社会

特定秘密保護法案が、衆議院を通過し、参議院で審議されている今の状況において、そもそも、この法案の何が問題なのか、そのフォーカスが、まったく、議論として成立していないことに、そもそもの、

  • 民主主義の成立条件

としての、「熟議」が完全に深「まらない」ことの、この「構造」の恐しさが、方々で言われている。
それは、おそらく、今この法案を提出している、自民党議員のかなりの代議士たち自身が、そういった判断をする「能力」をもっていないのか、それとも、彼ら自身がこの問題の闇の部分を「見て見ぬふりをしている」のか、判断の分かれるところではある。
彼らは、常に話をはぐらかす。リテラルに法律の文言に合わせて、想定される危険性をイメージしない。それは、たんに頭が悪いというより、

  • 自分の役割

が、「この法案を通す」ことであると「命令」されて行動している、

  • 鉄砲玉

であることを自覚していることを意味しているのではないか。つまり、自分がまるで「頭が悪い」かのように、指摘に気付かない「馬鹿」をよそおうことで、審議をやりすごし、時間さえ先に進めれば、あとは、与党の「数」によって、法律は強行採決され、成立する。
おそらく、この法律をなんとしても成立させて、官僚の権力を拡大させたいと思っているのは、公安庁や警察であろう。つまり、この法律は、そもそも、多くの自民党議員にとって関係ないのだ。そういった官庁の「依頼」に、要望に答えて、その官庁の

  • お願い

を従順に答えられる、そのガキの使いとしての「能力」にしか、彼ら与党の政治家の関心がない。
いずれにしろ、こういった自民党のような政党に、圧倒的過半数議席数を与えた時点で、こういった暴虐は予想できた。
安倍総理は、この法案を「国民の皆さまの安全を守るための法律」と言っていたが、大事なことは、

  • これが安全と「言う」ことの意味

なのである。たとえ、「目的」が安全を与えることであったとしても、その結果、まったく「危険」と「混沌」をもたらすことが、最初から、その法案によって、証明できる行為を行うことを

  • 安全を守る行為

だと、どうして言えるであろうか。

  • なにが「秘密」になっているのかを誰も知らない。つまり、「どんなもの」でも「秘密」に決定でき、それが秘密指定として「妥当」なのかを、だれも判断できない。
  • だれでも、自分が発言した内容が「秘密保持違反」と決定され、逮捕される可能性がある。自分がその秘密を「知らない」のにもかかわらず、である。
  • さらに、そもそも自分が発言した「どの」発言が「秘密保持違反」なのかも、だれも知らない。
  • その逮捕が「不当」だと裁判に訴えても、その裁判官自体がその「秘密」の内容を「知れない」可能性がある。つまり、裁判官は、そもそも、「無罪にできない」。知れないのだから、無理して知ろうとして、その裁判官自体が「違法者」になる可能性があるのだから、それを知らずに判決をするということは、「無罪の根拠を探せない」のだから、形式的に有罪にオートメーションで流れる可能性がある。
  • つまり、なんの理由もなしに誰でも逮捕し有罪にすることが可能であり、その「不当性」を未来永劫、だれも知ることができないようにできる。

私が不思議なのは、大学にいる学者は、さまざまな国家がもっている疫学情報から論文を作っているのだと思っているのだが、そういったものを、情報公開請求していないのだろうか。
例えば、福島第一の低線量放射線被曝の影響に対して、「安全」を強調していた科学者たちは、そしもそういった福島県民にとって非常に深刻な情報が、特定秘密に指定されていたら、彼らは、福島が安全であると主張できなくなる、とは考えないのだろうか。
私がよく分からないのは、今、国家のもっている「あらゆる」情報が「秘密」にされようとしていて(そもそも、誰も、それを確認できないのだから)、なぜ、それでもアカデミズムが成立すると考えているのかが分からないのだ。さて。彼らは、これから何をするんでしょうかね orz。
私たちが、この人間が集団を作り、ルールを作り、つまり、「社会」を形成しているとき、なにが起きているのか。つまり、そういった社会を作ると、一体、何が起きるのか、なのである。
それが、予測である。私たちは、未来をこの社会の成り立ちやルールに基いて、自分の行動の結果を推測しながら生きている。それが、確率論であり、確率過程論である。
今、ある情報をもっていたとする。そうすると、未来をある「漠然」とした予測によって、選択する。そして、そこから、ある一定の時間が経過したとする。すると、どうなるか? 自分がもつ情報が増えるわけだ。つまり、その未来への「漠然」とした予測は、多少なりとも「精度」がよくなる、と言える。
ところが、その未来予測に、「トラップ」がまきちらされてるとしたら、あなたはどう思うだろうか。
アニメ「まどマギ」の巴マミのように、明日からの未来にちょっと希望をもてるかな、と思った瞬間に、あなたは犯罪者です、と言われる。そして、その不当性の訴えを、だれも聞いてくれないし、その犯罪者の理由も答えてくれない。つまり、世の中は、

  • すでに秘密保護法違反で逮捕された国民
  • まだ秘密保護法違反で逮捕されていない国民

の二種類の人間に分かれ、そして、ある日まで、後者の国民であっても、まるで、

  • ランダムに適当に「選ばれた」

かのように、「突然」、なんの理由も言われることなく、前者に変わり、前者は「どんどん」と増えていく。
まさに、カフカの小説のように、国家は「不条理」をルールの中に含有するようになる。
こうして、あらゆる行為は、なんの「未来」の予測にとって不確実になっていく。どんな行為も、「秘密保護法違反で逮捕される」潜在的な「確率」を秘めている。
つまり、どんな行為も、それが何をもたらすのかを「推測」できない、非決定社会へと導いていく...。
(早い話が、

  • その「秘密」の関係者以外による第三者機関によるチェック、「監査」が担保されていない(監査の機能により、少なくとも、「それ」があるとかなくなってないとか、の漠然さは、大きく縮小可能になるであろう)。
  • その「秘密」の管理をどのように制度的に実現するのか。いつまで、どこで漏れないように管理するのか。また、その保持期限が過ぎたら、どうやって確実に公開されることを担保するのか。
  • また、わざわざ「秘密」に指定したものを、上記の第三者機関のチェックもされないまま、何人もそれで逮捕者を出しておきながら、勝手に「破棄」可能にしている。

最後の意味では、むしろ、この法律は、日本のガバナンスを弱体化させる、国家としての意志の統一を破壊しているのではないのか、と思わなくはない。ある省庁が自分たちに都合の悪い文書を勝手に捨てた、とする。すると、その文書の内容を知らない政府の議員や、他の省庁は、全然、それと照し合わせて、トンチンカンなことを言う。
もちろん、その情報は外交文書なら、他国は知っているわけで、日本政府は自分の国が言っていたことを、時間がたつと、日本政府のだれも知らぬぞんぜぬと、「知らをきり始める」という「信用できない国」であると、他国から扱われるようになる。
また、福島の低線量被曝の情報が機密指定にされていたなら、だれもが、そんな「危険」な情報なんてないじゃないかと言っていたのに、実は、そういった情報があったのに隠されていたし、その情報を国民に知らせようとした人が次々に逮捕されていたということで、水俣病のように被害が、さらに拡大するかもしれない。そして、安全厨は、「知らなかったんだから、自分のせいじゃない」と...。)