継続高校の謎

劇場版ガルパンは、ネット上では大反響で、池袋では、来年の一月前半まで公開が決定している。客の入りもいいようで、何回も見に行っている人もいるのかもしれない。
ガルパンを特徴づけているのは、その多くの戦車道に関わる女子高生たちの多さなのであろう。一人一人に個性があり、つまり、キャラがある。ある意味において、こういった作品の構成は、近年では、艦コレに始まり、多くの日本のアニメにおいて、見られるようになった。
まさに、ドストエフスキーの小説や、成田良吾のバッカーノシリーズのように、次々と登場人物が現れ、まるで、それぞれが主人公のように、その作品世界における、ある様相を示す。
しかし、戦車道とはそういうもので、それは、なんらかの多様なものの「束」を意味しているものに過ぎず、なんらかのイデオロギーで一色にするものとは違っている。
しかし、他方において、この高校生の戦車道の全国大会の参加チームには、ある特色が見られる。つまり、各高校がなんらかの「各国の戦車の特徴」を代表したものとして示唆されている。そういう意味においては、ガルパンにはあるノスタルジーが漂っている。過去の戦争は悲惨なものだが、時の流れとともに、それはノスタルジーに変わる。そういう意味では、戦車というスタイルそのものが、今では、ある意味において、過去のものなのかもしれない。
ところが、この全国大会トーナメントの組み合わせは、テレビ版の第何話だったか忘れたで、すべて、示されている。その中で、今回の劇場版で登場した、知波単学園も、継続高校も字づら上は登場していた。
今回初登場の、継続高校は、非常に興味深い登場の仕方で、ある意味、この作品の構成上、重要な役割だったんじゃないのか、と思わなくもない。
その辺り、西住まほ役の声優が、パンフレットでのインタビューで次のように語っている。

----新キャラクターも多いですが、特に印象的なキャラクターはいますか?
渕上 継続高校の隊長ミカです! すごく謎なんですよね。謎の上にすごく楽器を弾いてるのに、その楽器の意味とかも物語の中で全然触れられないし。言ってることも、ちょっとよく分からないし(笑)。いったい何だったんだろうって感じで終わるんですよ。何か雰囲気がジ〇リっぽくて、1人だけ違う作品から来たみたいな空気感がすごく面白い(笑)。出てくると、笑いをこらえるのに必死でした(笑)。

いや。謎じゃなくて、継続高校のミカとアキは、もろ「ムーミン」のスナフキンムーミンだろ。
この劇場版を構成しているのは、継続高校のこの二人の、どこか哲学的な会話にある。むしろ、この二人の、この会話の「かけあい」こそ、この作品の本質だと言っていい。
継続高校の名前も、継続戦争からの想起だと言っていいし、ミカの帽子はスナフキンの帽子を想起させ、ミカの演奏する、あの謎の楽器はスナフキンのハーモニカの演奏を想起させる。継続高校のジャージ姿やそのジャージの色が、どこかしら、ムーミン谷の住人を思わせる。
日本の戦後のアニメ史において、ムーミンは非常に重要な作品でありながら、なかなか分かりにくい地味な印象を残してきた。とにかく、そのメッセージがよく分からない。
ムーミンという作品の全体を通して伝わってくるのは、スナフキンという世捨て人と、そんな彼を慕って、近づいてくるムーミンの不思議な関係であろう。
スナフキンは人間社会のしがらみや、人間関係のわずらわしさを嫌い、一人で生きることを選んだ、いわば、仙人のような存在であるが、他方のおいて、非常に博学で、人間社会の出来事に、非常に興味をもっている。他方、ムーミンはまだ子どもで、そんなスナフキンの達観を理解できない幼さを残しているが、スナフキンはそんなムーミンを、その穢れのない純粋さのゆえに、近くにいることを遠ざけようとしない。
そんな二人が並んで会話をしている姿は、アニメ「ムーミン」において、不思議な磁場を形成する。
私たちはムーミン世代である。私たちはそんなムーミンを子どもの頃に見て、地味ながら、訳も分からず、そのアニメの光景を見て、無意識に大きな影響を受けてきた。
今回の劇場版ガルパンにおける継続高校は、そういった意味で、スナフキンムーミンの「オマージュ」になっていると言うこともできる。あのとき、スナフキンは何が言いたかったのか、ムーミンはそれをどんな気持ちで聞いたのか。私たちは

  • それ

をもう一度、この劇場版ガルパンで「想起」させられることが、嬉しい。私たちはもう一度、スナフキンに会えたこと、継続高校のミカとなって、彼があのときに言いたかったことを、もう一度ここで語ってくれていることが、嬉しいのであろう...。