都知事選を終えて

今回の都知事選は、鳥越さんは落選であった。その結果においては、ただただ残念としか言いようがないが、しかし鳥越さんがこのように戦ってくれたことは、今後に繋がることは間違いない。彼の勇姿はただこれだけの「無駄」としてはならない。次を引き継いでいく継続性が求められている。
言うまでもなく、選挙が終わっても、私たちの日常は続く。ゴジラが東京中を破壊して去って行ったとしても、私たちはまた、この東京に戻ってきて生き続けなければならない。日本の政治が、長い間、極右勢力に支配されてきたことは、変わっていないどころか、ずっと続いてきたことであって、つまりは、今回の結果は「現状維持」を意味するに過ぎない。むしろ、野党が百万票以上を久しぶりに獲得できたことは、間違いなく、次への展望が見えた。
今回の選挙を特異にしたのは、間違いなく、小池百合子の小泉郵政選挙ばりの「劇場型」選挙が「波を呼んだ」というところにあるであろう。しかし、そういった視点で眺めてみると、鳥越と増田は、ある意味、「いい勝負」をしている。もしも、小池が立候補しなかったら、十分勝機が見えたと考えるなら、この結果は、保守磐石の暗黒時代の東京が変わるかもしれない一筋の光明が見えた、と考えることもできるのではないか。
今回の選挙を眺めて、全般的に思ったことは、野党共闘側は、一体誰が、

  • 選挙「戦略」の責任者

だったのだろうか、ということであろう。つまり、この選挙が「勝利を目指す」なにかであるなら、さまざまな状況に応じた戦略が必要だったはずだが、それが欠けていたのではないか。明らかに、小池は選挙のプロであり、ネット工作のプロだった。もしも今後も、自民党との「対決」を野党共闘が目指すなら、例えば、野党版の

  • ネット工作

のような、かなりの「動員」を最初から想定した選挙準備をしなければ、当分は、歯が立たない状況が続くのかもしれない。
あと、宇都宮氏についてであるが、彼が選挙後に「言い訳」をしたことは、見苦しいと言うことは簡単だが、あまり、そういった視点で整理してはいけないんじゃないのか、と思っている。彼は最初から、野党共闘やシールズといった「ちゃらちゃらしたもの」から

  • 距離をとってきた

わけであろう。そういう意味では、彼と野党共闘は考えていることが、あまりに違いすぎた。宇都宮さんは自らの政策を、実務作業者たちに「伝える」こと、そして、それを参考にしてもらえることを、重要視している。そういう意味では、彼は選挙の間も、選挙が終わって日常に戻った間も「やること」は同じなのだ。彼ははっきりと、自分の政策を実行してくれるなら、自民党だろうと誰だろうとウェルカムだ、と言った。まあ、それも一つの見識なのだろう。しかし、私たちが考えていた「戦略」とは違った、というだけで。
しかし、宇都宮氏の言うことも分かるわけである。政治とは所詮は、一つ一つの「手続き」なのであって、それらには、個々具体的に賛否を表明していくしかない。どんなファシズム的な政策が実行されたとしても、それに対抗して

  • 人民戦線

を作っていくしかない。どんなに形勢が不利だろうがなんだろうが、そうするしかないわけである。
しかし、である。だとするなら、こういったことを「俯瞰的」に考えられる人とは誰なのだろう? 政治家は日々の目の前のことに追われて、党内の権力闘争に追われ、毎日を追われるだけだとするなら、それは一体誰なのだろう...。