ユビキタス的な話はどうなったのか?

少し前、ユビキタスと言って、つまりは、私が服を着てどこへでも出掛けるのと同じように、IT製品を身に付けて日常を送るようになるだろう、といった意味で語られていたわけだが、それはどうなったのだろう?
確かに、ポケモンGOで、少しVRが注目されたわけだが、あまりそういった方向でVR的なメガネが爆発的に普及しているわけでもない。
例えば、SAOのヴァーチャルゲームの世界でも、なにかを行おうとするとき、目の前にパネルが現れて、そのパネルを指で操作しているというのは、普通にスマホの画面を操作しているのと変わらないわけで、あんな程度のVRだったら、スマホで十分なんですよね。
ようするにVRが「本格化」するのは、おそらく、脳での「思考」と、電気端末の「操作」が一つに結ばれるようなテクノロジーの発展があったときのような気がする。
つまり、この問題はそういったテクノロジーの発展が「遅い」ことが問題なのではなくて、今でもさまざまに便利になっているのに、多くの人がその利便性を享受していない、そういったユーザーの消極性が本当は問われなければならないのではないか、と思っているわけである。
例えば、電子書籍であるが、確かに新刊については、かなり購入しやすくなっているが、そもそも読む本とは「以前に買った本」なわけであろう。それらは、一体どうしろというのだろうか?
私は少し前から、「自炊」と呼ばれる pdf 化を少しずつではあるが行って、タブレット端末で読むようにしてきたが(それによって、重い本を持ち運ぶ苦役から開放されてきたし、付箋を付ける作業が簡単だ)、そもそも自炊作業は楽な作業じゃないし、時間もとられる。つまり、誰もこの「問題」について深く考えていないんだよね。
あと不思議なのは、有線イヤホンだろうか。確かに、スマホにケーブルを差して音楽を聞くというのは、比較的簡単な音楽の聞き方ではあるが、例えば、満員電車の中など、他人のカバンにケーブルがひっかかったりと、だまができたりと、いろいろストレスがあったりする。
そう考えるなら、もっと多くの人がワイアレス機能(bluetooth)を使えばいいと思うのだが、あまり普及していない。
私のお勧めは、ネックハンド型で、その理由は

  • ネックの部分に大容量のバッテリーが入るので充電量を大きくできる
  • イヤホンを耳から外しても、ネック部分が首にかかっているので無くなりにくい

という感じなんだけど、おそらくそういって「外に見えている」部分を、他人に見られることが恥ずかしい、というのが最も大きな抵抗なんだろうな、とは思わなくもない。
そう考えると、VRの普及もそういった、社会からの視線からの「違和感」にひきづられるのかな、と考えるとその普及はまだまだ先なのかもしれない...。