なぜ自殺「幇助」は犯罪なのか?

漫画「天」の16、17、18巻がなぜ後味の悪い内容になっていると私が感じるのかは、ひとえに、

  • 自殺幇助

が描かれているから、と言うしかない。言うまでもないが、自殺幇助は「犯罪」であるが、それ以上に、この漫画が自殺「幇助」には

  • 正義

があるかのように描かれていることが問題であることに、むしろ作者自身が気付いていないことにあるのだろう。
つまり、この本は

  • 犯罪「推奨」本

となってしまっていることに、明確な立場の表明されていない。だから、読者に不快感だけを残してしまう。
ようするに、物語は、その全体において解釈される。例えば、クローズという漫画は不良の高校生たちがケンカをしているわけであるが、そのケンカが「問題」として描いているか、そうでないかは一つの解釈だと言えるであろう。そんなに単純ではないと言うことはできるが、基本的には「問題」だと描いていることは、例えば、主人公の坊屋が日本刀をもって襲ってくる相手に、未成年でそういった刃物を使うことによって、幼なくして人生を台無しにするリスクを語る場面などが象徴している。
他方、「天」はどうか? 非常に違和感を感じるのは、アカギがまるで数日後には、自分はアルツハイマー病で、まったく思考ができなくなるかのような「予感」がしている、と語る場面であろう。しかし、それは医者の「診断」として、どこまで確実なのだろうか? もしかしたら、質の悪い「情報」を小耳にはさんで、そのように思い込んでいるだけの場合だってあるのではないか。
いや。もっと露骨に言えば、さまざまなマインド・コントロールを受けて、私たちは日々を生きているのであって、なにが真実なのかなど、そんなに簡単な話ではないわけであろう。
この漫画がなぜ「問題」なのか。それはアカギがなぜ、自分の周辺の人たちに「自殺幇助」をさせて、

  • 平気

な顔をしているのかにあるわけである。アカギほどの頭の良い人なら、他人に一切の迷惑をかけずに「自分だけ」で自殺を行う方法を考えるであろう。というか、そもそもである。自殺幇助をさせるとしても、それは

  • 医者=専門家

の「判断」を介さないというのはありえないのではないか? なぜなら、自殺の決意が「医者による情報」を原因とするものであることを、このケースであっても、明確にアルツハイマー病という具体的な病名をだして議論しているわけで、そうであるならそれは、医者(=専門家)の「診断」と離れて議論できないはずだからだ。
逆に、アカギであり作者に聞きたいわけである。なぜ、多くのアルツハイマー病の人たちは自殺をしないのか。自殺幇助を受けないのか。それと比べて、アカギの「例」はなにか「特別」なのか。
私はむしろ、作者がこういった漫画を書くのであれば、

  • 自殺幇助の合法化

のための「社会運動」を行うべきだと思っている。そうでなければ、言っていることと、やっていることが矛盾している。作者はアルツハイマー病にかかった人が「自殺幇助」を選べないことは

  • 問題

だとこの作品で描いたのであろう。だったらなぜ、それを社会運動にしないのか? つまり、そういった「実践」を伴わないで「美学」的に、「アカギは特別」といったような作品の芸術化が、この作品の不快感を大きくしている、ということになるであろう...。