BUMP OF CHICKEN「虹を待つ人」

もしも人間が「簡単に壊れる」ということの意味を考えるとするなら、多くの自明とされている「健康人の哲学」は徹底した再考を必要する、と考える。
しかし、それはどういった形において実現するのだろうか。
このことを BUMP の二つの曲「虹を待つ人」と「ray」で考えてみようと思っているが。
「虹を待つ人」は私たちの「不完全な行為」について示唆をする。

うまく手は繋げない それでも笑う

「簡単に壊れる」人間の行動の特徴は、あらゆる行為が「完全」に行われない、というところにある。たとえその行為を行う意志においては言語的な明確さがあったとしても、結果としてその行為が「完了」することを保証しない。常に行為は「断片」へと拡散して、届かないまま発散する。しかし、それは「健康人」にとっては悲劇でも、「簡単に壊れる」人間においては日常であり、むしろそこにこそ「倫理」があると解釈される。だから

  • うまく手は繋げない

ということと

  • 笑う

ということが両立する。

生きようとする体を 音は隅まで知っている
目を開けたって同じ 自分で作る色
見えない壁が見えた時には その先にいる人が見える

始めから鍵のないドアのある壁。つまり最初から「自由」であったのに私たちはそうとは考えずに、壁に閉じ込もる。しかし、

  • 生きようとする体

があることには変わらない。つまり、次第に人はその壁の先を目指し、その先にいる「人」に出会う...。