アニメ「サマータイムレンダ」

去年の海外のアニメ評価サイトを見ていると、リコリコとぼざろの二大巨頭の独占と思われるが、そこにちらほらと、アニメ「サマータイムレンダ」の名前が見える。しかし、日本でこのアニメはほとんど、話題にならなかった。なぜなのだろうと考えたとき、一つの理由が

  • 公開時に、どっかのサブスクが「独占配信」とかいうのをやったために、オンタイムで見ていた人がほとんどいなかった
  • そもそも、原作の漫画がジャンプ+で連載されたこともあって、ジャンプのヘビーユーザーは内容を知っていたから、見る動機がなかった

といったところなんじゃないかと思っている。対して、私は、こういったジャンプ系コンテンツを死んでも見ないという方針を貫いているので、アニメを見て、それなりに楽しめた。
楽しめたといっても、この作品内容は、正直、鬼滅の刃と、やたらと似ているなあ、というのが最初から気になってしまって、その差異ばかり気にして見てしまったこともあって、あまり楽しめなかった印象がある(そもそも、主人公の少年の声優が同じわけでw、見ている人にどうしろっていうんだと)。
ただ、そう言うとフェアじゃないんだろうけど、たとえば、タイムリープものなど、最近はやりの、いろいろな小ネタが使われていることは確かで、ただ、そういう差異で作品批評をやっているものが読みたいなら、世の中には、そういった「同人誌」的な批評をやっているものはたくさんあるわけで、そういった、オタク批評的なものを読んでください、といった感想しかない。
ただ、そうは言いながら、幾つかよく分からなかった部分がある。まず、主人公の網代慎平(あじろしんぺい)と、死んだ小舟潮(こふねうしお)の影であるウシオは、なんか、

  • 片目

だけ、普通と違っていて、これが原因で二人はタイムリープをしているんだと思うが、どういった経緯で、その目を獲得したのかの説明が少なかったように思われる。
この作品は作品の最初から、ヒロインの小舟潮は死んでいて、彼女の葬式の場面から始まる。ところが、主人公は作品の進行と共に、彼女の影と呼ばれる、本来なら悪役であるはずの存在と、

  • 一緒に行動する

という形になって、完全な主人公とヒロインの「イチャラブ」の構造になっている、というのが特徴だ。そして、このウシオが「強い」。すでに死んでいるヒロインの「亡霊」であるはずの彼女と、主人公の少年は、二人の想いを告白する。
そして、最終話は「夢落ち」の構造となっているが、そこは、本当に覚えていないのかどうかが「曖昧」な形で作品は終わるわけで、よくあるパターンだと言ってもいいだろう。
あと一つ、違和感を覚えたのは、主人公の慎平はずっと潮が好きだったと言っているんだけど、当たり前のように、都会の学校に行って、島を離れるんだよね。この少年が、両親が早くに亡くなっていて、複雑な家庭だったからというのは分からなくはないけど、そう言っておきなかが、

  • ずっと潮が好きだった

と言っている。もう少しここと説得的に書いてくれないのかね。
結局、この作品は、小舟潮が魅力的だ。彼女の魅力が全開で作られている。そして、それと同時に、

  • 方言

で全編作られていて、それがより潮の魅力を引き立てている。おそらく、そこの部分は海外の人には伝わっていないんだと思うけど、逆にそのことが、海外の人に、この作品にアプローチしやすさを与えていて、日本の視聴者に敷居になっているのだろう。
結局、日本のサブカルチャー

  • 東京人

によって「植民地化」されていて、彼らは徹底して、こういった「方言アニメ」を

  • 排除

してきた、という歴史がある。奴らの「ナルシシズム」は、彼らが「自明でない」と考える方言を、業界から排除しようと動いてきたわけであって、そういった

  • 中央の文化的「統制」

に対抗しているという意味でも、本当に魅力的に、潮を描いてくれたなあ、と思うわけだ...。