なぜ松本人志はビートたけしのように「会見」ができないのか?

それにしても、この事件だが、驚くべきような状況になってきましたよね。つまり、松本も吉本も、ほとんどなにも言えなくなってしまった。
なぜパブリックに見解を発表できないのか?
それは、次の二つの意味の間で「ダブルバインド」になってしまっているから、だろう。

  • スポンサーが再び吉本の芸人を採用する「条件」を満たす会見
  • 自分が訴える名誉毀損の裁判で勝つ「条件」を満たす会見

つまり、この二つは

  • 両立しない

のだw 前者の含意は「お茶の間」が<ほっこり>するメッセージでなければ、もう、そういったものを見せてはいけない、ということになるだろうw 他方、後者は「裁判で勝つ」条件を説明したい、ということになるだろう。とにかく、「負けたくない」だろう。だから、どうしてもラインを下げざるをえない。自分がやったことについては、とにかく大量の状況証拠が出てくることは覚悟をしなければならない。撤退戦として最終ラインは、松本側は「合意はあった」と主張し続けるしかないだろう。
しかし、事態がここまで推移して、「裁判で勝つ」ということが、なんの、テレビに復帰できる可能性に寄与していないことが分かるんじゃないかw 「裁判で勝」っても、松本が輪姦したことは事実として「認定」され、騙して連れてきた女性に対して、その場でセックスを強要したことは「認定」され、ここまで認定しておいて、「お茶の間」で笑える存在でい続けられると思う方が、どうかしているだろうw
ここまで議論をしてきて、ちょうど、おもしろい動画を見つけた。

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この動画の中盤に、ビートたけしが軍団をひきいて暴力事件を起こしたときの記者会見の様子が見られる。ここで、ビートたけしは、自分が「犯罪」を犯したことに対しては素直に謝りながら、次々と記者であり、芸能リポーターから投げられる質問に答えている。
たけしは自分が行った暴力事件に、軍団をまきこんだことには軍団に悪いことをしたと反省していると言っている。しかし他方において、自分一人で、単身で乗り込むことは「怖かった」とも言っている。
たけしはこの暴力行為が「犯罪」であることを分かりながら、やったし、その責任は一人で引き受けたいと語っている。つまり、彼は「義を見てせざるは勇なきなり」で、実践的に自らの行動を結末を引き受けたわけだよね。
対して、松本人志の場合はどうか? 彼は「合意」を強調する。つまり、そうすると、「悪いと思っていない」と受けとられてもしょうがない。次に、吉本の若手が彼のために、女衒行為をさせられていることにも、なんの自責の念も今のところ語られていない。つまり、これも

  • 少しも悪いと思っていない

ということだw ようするに、松本人志という人間は、真正の「悪(あく)」だった、ということだw 彼は本気で自分が行ったことに対して、

  • なに一つ、悪いと思っていない

と「言いたい」わけであるw しかし、そう言いたいからといって、実際には、松本自身が心の中で「悪いことをやっている」と思っていないか、というとそうではない。彼は、自分が「悪い」ことをやってきた。子どもの頃からやってきた。でも、だれ一人として、松本のシャバでの人生を塞ぐことはできなかった、と考えている。つまり、彼は

  • 自分が悪いことをやるのは当り前。世間は馬鹿だから、自分の口先三寸で、いくらでも乗り越えられるし、事実、今までも乗り越えてきた

と考えているわけ。ようするに、松本は「真正の悪(ワル)」なわけ。あまりにも人生、イージーモードで乗り越えられてきたから、きっとこれからも「うまくいく」だろうと、奢りたかぶってきたわけね。しかし、その、「みんなが<性善説>で振る舞って、自分の嘘にだまされてきてくれた」これまでが、ついに、終わりを迎えてしまって、もはや、

  • 一言も

世間に向けて発言できない存在になりさがったわけだ...。

追記:
たけしとちがって、松本が二度と人前にでてこれないのは、女性に罵詈雑言とか、弱い者に暴力的な振る舞いをしてるでしょ。性欲のはけ口、女を自分の性欲の道具にして、ポイ捨て。つまり、松本の本性がさらされて、だれもこいつを見たくないになった。そう考えると上記のたけしのインタビューは逆だよねw