なぜ原作の全国大会のソリは黄前久美子だったのか?

ネットを見ていると、ユーフォ3第12話についてつぶやいている人の大半は、

だったと思う。彼らには、京アニ作品を礼賛する「動機」がある。その上で、12話の原作改変を疑問視する人に対して、

  • なんで京アニを無条件に礼賛しないんだ

という「いらだち」がよく感じられる。彼らにしてみれば、京アニがアニメを放送してくれるだけで「幸福」なんだから、それにいちいちケチをつける人間の性根が信じられないのだろう。
ただ、その中でかなりの意見として、「原作を読んで全国で久美子がソリに代わったのは、御都合主義に思えた。だから、アニメで原作改変して良くなったと思う」という意見が幾つか見られた。
なるほどと思わなくないが、そうであるなら、ここでこの点について、原作がどうなっているのか、以下で説明を試みてみたい。
関西大会で、久美子はソリを降ろされて、黒江真由がソリに抜擢される。このとき、一緒に奏(かなで)がレギュラーから降ろされるのだが、その奏が久美子に今回の滝先生のこの采配に対する批判を語る。
そこで、奏は自分の意見として、久美子が関西大会も、全国大会もソリをやるべきだ、という意見を述べる。その理由は、まず「久美子と真由に能力に違いはない」と自分は考えている、と主張する。その上で、奏の意見として「能力に違いがないなら、長年一緒にやってきた久美子を優先すべき」と考えるから、と理由を説明する。
その上で、今回の滝による関西大会でのソリの抜擢の理由は、おそらく以下だろう、という推測を奏は久美子に説明する。つまり、

  • 実力主義ではなく、3年生で今年が最後なので<想い出>として、ソリに選んだ

のだろう、と。その上で、奏はこういった滝先生の決定を、「実力主義に反している」という意味で、基準がブレている(もっと言えば、優柔不断だ)と批判した。
これに対して、久美子は「まさか」と奏に言って、ありえないといった素振りで否定はしたが、久美子なりに、いろいろと思い当たることもあり、滝先生への不信感が大きくなっていった、と述べられている。
ここで、上記の会話の含意を考えてみよう。
関西大会と全国大会は、そもそも、大会としてのグレードは変わらない。どっちも同じくらいに、重要な大会だ。選手として、どっちに出場できることになったとして、どっちでも同じくらいに嬉しいし、名誉なことだろう。
その上で、今年の関西大会は確かに、久美子がソリから降ろされたといった問題などから、部内に不協和音が広がっていて、本番は厳しいかもしれないという意見はあるかもしれないが、久美子たちから見ると、おそらく、全国大会には行けるのだろう、と推測していたのではないか。なぜなら、去年、鎧塚先輩を中心とした編成で関西大会どまりだったわけだが、今年はその「反省」を受けて、チューバを4人にして、ユーフォを2人にして、全体の「バランス」を整えて、保守的な審査員たちの受けがいい編成にしたから、去年の対策はできているから。
だとすると、奏の滝先生の考えの推測が「正しい゙」とするなら、当然、全国大会のソリは久美子が選ばれることになるだろう。確かに、久美子と奏との会話の場面では、久美子は奏のこの意見を「ありえない」と否定したが、そもそもこの奏の意見は、そんなに簡単に否定できるものじゃない。なぜなら、奏も久美子も一緒に長い間、部活の練習を共にしてきたわけで、二人が見てきた景色は同じなのだ。
久美子は一方では奏を否定しながら、心の奥では、そういったことだってありえるのだろう、と直観していたはずなのだ。だからこそ、なぜ滝先生はこのように「ブレて」いるように見えるのかが、どうしても久美子は分からなかった。
この奏の意見は、別に奏だけが思っていたわけではない。部内では、さまざまな個所で、今回の久美子のソロの落選の滝先生の選択に不満がわきだしていた。そしてそれを知った麗奈は、一人一人をつかまえて、注意を行った。それに対して、久美子は麗奈に対して、「やりすぎ」だと意見を言う。しかし、麗奈はその批判が納得できない。滝先生批判を「一定の範囲」では当然だと主張する久美子に麗奈は「部長失格」の烙印を押す。
滝先生の一見「優柔不断」と思われる一つ一つに対する、部員たちからの不満が広がり、久美子と麗奈の間でさえ亀裂が走り、

  • 部がバラバラ

になって、久美子はもはや自分の力では、解決できないと考えて、あすか先輩を訪れる。そこで、あすか先輩から、彼女の「滝先生」論を聞き、久美子は滝問題を「のりこえる」。これ以降、彼女から滝批判が一度として語られることはない。
あすか先輩への相談の後に、久美子が最初に行ったのが、麗奈への「再説明」だった。ここで久美子は、「滝先生が自分たちのために、がんばってくれている」という事実を前提にして、今までのことを再解釈する。これを聞いた麗奈は、改めて久美子の語る内容を咀嚼した上で、以前に自分が久美子に言った「部長失格」を言いすぎたと撤回する。
次に久美子がやったのが、最重要イベントの「演説」である。これは、全国大会のオーディションの数日前に、部員全員がいるところで行われた。
この演説がなにを目的に行われたのかは自明だろう。つまり、「部がバラバラ」になったのを、もう一度、一つにすることを目指して、部長である久美子は演説を行った。
ここで説得しなければならないのは、誰か一人じゃない。部の全員だ。そこには、黒江真由も含まれる。久美子が言ったのは、

  • 部活をやる目的

はなんなのか、を自分がどう考えているか、である。なぜ部活を行うのか。それは、みんなである目的に向けて、全力でがんばる経験が、その人の成長にとって大事だと考えるからだ。最後まで、みんなで決めた目的に向けて努力できるか。もしもそれがやれたなら、将来にいろいろと、さまざまなトラブルにまきこまれたとき、「あのとき自分はがんばれた」ということが、自信となって、そのトラブルに自信をもって立ち向かえるんじゃないか。
そして、もしも部員も全員が全力でやってくれていたと思えるなら、この部活自体に誇りをもてるだろう。
それは、ある大会のレギュラーになったかどうかではない。たとえレギュラーにならなかったとしても、補欠として備えたこと自体が、すでに戦力だったわけだし、そうでなくても、オーディションでみんなと競ったことによって、回りのレギュラーたちと「競う」ことによる成長を補助する形になっていただろう。
久美子が言っていることは、みんな「自分の役割」を精一杯やろう、ということだ。そういう意味では、私たちが結果として、全国大会に出場できるかとか、全国で金がとれるかとかといったことは大きなことじゃない。そうじゃなく、「自分に与えられた役割に、どこまで自分が取り組めたのか」という、自分の取り組みの十全さ「だけ」が問題なんだ、という形で各自の目指すものを個人化したわけね。
なぜ、それができたのか? それは、滝先生を含めて自分たちをサポートする大人たちも、1日も休まないで、必死で自分たちをサポートしてくれているからだ。彼らも、必死になって、毎日、試行錯誤してくれている。だとするなら、自分たちは自分たちの範囲の役割に専念しよう、と。
まあ、上記の久美子の言っていることの含意は、ようするに「みんなでオーディションに本気で挑もう」ということなのね、具体的には。じゃあ、これにそれまで反対していた、黒江真由はこの呼び掛けにどう思ったかだけど、真由がなぜ久美子にオーディションの辞退を提案したのかは、

  • 部内の久美子をソリにしてほしいという意見によって、部がバラバラになっている

からなのね。つまり、真由も久美子も両方とも、なんとか必死になって、「部がバラバラ」な今の状況を改善しなければならない、という目標において、一致していたわけ。つまり、今回の久美子の演説によって、部の全員が説得されて、みんながバラバラにならなくなれば、真由も「オーディションを辞退する」という主張をする必要はなくなっているわけ。つまり、当然、真由は今回の久美子の演説でオーディションに真剣にとりくむ、ことを決意する。
アニメ版12話の原作改変が話題になっているが、私にとってそれ以上にショックだったのは、この久美子の演説が、関西大会の演奏直前に移されたことだった。なぜなら、その時に久美子が語っている相手は、

  • 演奏をするレギュラー組

だったからだ。久美子は、これから演奏する奏者に対して「がんばろう」とエールを送った。しかし、原作の含意からは、それじゃあ

  • 不十分

なわけ。だって、「部がバラバラ」なのは、レギュラーだけでなく、全部員に対してだから。だから、どうしても原作は、全国大会のオーディションの数日前でなければならなかった。ここで、

  • 全員

が、同じ方向を向いて、オーディションに本気でとりくんでもらわなければいけなかった。ここで、一人として、例外がいてはならなかった。
そもそも、黒江真由とはどういった存在として、原作に登場したのか。それは、一連の2年生編、3年生編で入ってきた「変わった性格」の新入部員たちの延長として現れた。それは、ある意味では「現代っ子」と言ってもいい。そういった「とがった」子どもたちが入ってきたがゆえのトラブルの中で、次々と久美子は問題を解決してきた。そういった延長に、黒江真由も入学してきた。
つまり、黒江真由もそういった一連のキャラにつらなる存在として扱われている。久美子は演説で、ある点を注意している。つまり、そういった「いろいろな考え」をもって部活動をすることは間違っていない、と断る。つまり、久美子は「多様性」を認める発言を、あえてしている。いろいろな考えをもって、部活に入部していい。ただ、「同じ方向」を向いて活動をしてくれている限り、否定されないんだ、と。これが、久美子が黒江真由に向かって言っていることが分かるだろう。これで、真由としては、自分の存在、ここに自分はいていいんだと認められた、と認識しただろう。
では最初の問題に戻ろう。なぜ久美子が全国大会にソリに選ばれたのかは、すでに奏が言っている。そして、久美子も真由も、おそらくそうなのだろうと、心のどこかでは思っていたはずだ。二人の実力が変わらないことは、この原作の「前提」となっており、それはあえて奏に語らせすらしている。そうであるなら、関西大会と全国大会の二つの、同じランクで重要な大会で、どちらがどちらのソリをやるか、が問われているのだろうと、なんとなく二人は察知していただろう。
そして、上記までの流れから分かるように、久美子も真由もどちらも、「どうしても関西大会と全国大会の両方のソリをやりたい」と主張している個所は一つもないのだ! 二人はそういうタイプじゃない。二人は両方とも、長く名門校のレギュラーをやっていただけあって、常に

  • 部全体の雰囲気

をなによりも大事なことと考える、部が「まとまって」いるかどうかを心配して気にして気を遣っている、そういうタイプの部員なのだ...。


追記(2024/06/27):
いやあ。仕事の昼休みにたまたま本屋によったら、ユーフォの原作の最新刊の文庫が売ってたので買って、仕事終わりに、喫茶店で一気に読んでしまった。最高だった。いやあ、原作の3年生編の、ちょうど、全国大会以降の「アフターストーリー」の私たちが、どうしても見たかったものを描いてくれましたね。これを描いてくれたことに、涙があふれてくる。ほんと、これこそが私たちが求めていたものだったんだなあ、と改めて気付かせてくれた。
一番の驚きは、ここまで黒江真由について描いてくれるんだ、というところだったんじゃないか。うん。ここまで描いてくれると、彼女がどういう人間だったのかが、ほんとうによく分かった。やっと、血が通った人間になった。ほんと、読んでよかった。
そして、私にとっての最大のハイライトは、全国大会後の、真由ちゃんと奏ちゃんの「対決」だった。これは、文句なしに、ここが最重要ポイントだった。奏は真由に、「あなたによってレギュラーを落とされた」んだから、本当のこと、つまり、全国大会前のオーディションで、公美子が勝ったわけだけど、真由ちゃんは本気で勝負したのか、っていう問題ね。これについて、

  • 自分にだけは本当のことを言ってもらう「権利」があるはず

って言って、答えを求めるわけだよね。そして、その後の「和解」。からの、奏ちゃんによる「真由先輩」という、名字呼びではない、名前呼びへの変化。この

  • 急接近

が、最高だった。
というか、さ。全編を通して、奏ストーリーだったねw 奏ちゃん大活躍だった。まあ、これが見たかったんだけどね...。