2017-05-22から1日間の記事一覧

安藤馨・大屋雄裕『法哲学と法哲学の対話』

例えば、ストローソンの「自由と怒り」においても、ある「奇妙」なやりとりについて記述されている。つまり、私が「怒る」とき、それは相手が「怒る」ことをある意味で、「含んでいる」相手であることを前提にしている。例えば、なんらかの精神障害でうまく…