小島毅『東アジアの儒教と礼』

これも今読み終わった。こちらは、「礼」を中心とした歴史、儒教朱子学、のおさらいのところがある。前半で、おもしろかったのは、前漢末の宮廷の図書整理、目録作成についてだ。

前漢末についてもう一つ見のがせないのは、宮廷に収蔵された図書が整理され、その目録がつくられたことである。(中略)劉向の図書整理は、現在、図書館でおこなう蔵書整理とはわけが違っていた。その作業は同時に書籍そのものの作成でもあった。当時まだ紙は発明されておらず、文字は木や竹の札もしくは絹の布に書かれていた。そのため、テキストの順序が一定したかたちになっていなった。劉向は個々の書物について秩序を与え、まとまったかたち、すなわちわたしたちがふつう思い浮かべる書籍というものをまとめあげたのである。

これは、ある意味で、初めてここで、「書籍」ができたんだ、というように読める。朱子学における、科学については。

元来、格物窮理を信条とする朱子学は広い意味での科学精神をもっていた。ただ、朱子学は近代西洋の科学を特徴づける実験重視の精神を欠いており、知識整理の仕方は精緻で体系的であったが、同時に極めて観念的だった。中国でもそうだが、朝鮮でも朱子学者のなかから実用的な自然科学的学問に取り組む人物が輩出する。そして、これは日本についてもいえることである。多くの蘭学者朱子学的素養のうえに立ち、格物窮理のために西洋の知識体系を学んだのである。東アジアの伝統思想はすべて遅れたものおだとみなす単純な近代化論は、歴史の事実に反する。

中国において、朱子学の礼は、最後まで、民間まで浸透したと言えないものだった。その点で、朝鮮は、優秀だった。

ただし、朝鮮王国においてほど、朱子学の礼が社会に根づいた社会はなかった。本家中国でさえも、そうならなかった。明では民間の習俗を改変しきれず、そのジレンマが陽明学や三教一致運動を生んでいたし、清は社会の礼教化には成功したが、儒教が古来説いてきた礼制とは完全に矛盾する風俗を』権力がしいていた。辮髪である。古来の礼制が想定する男子の髪型はこれになじまない。冠礼はこの政治的事情によって有名無実と化した。

東アジアの儒教と礼 (世界史リブレット)

東アジアの儒教と礼 (世界史リブレット)