久野収/鶴見俊輔『現代日本の思想』

ここでは、「4 日本の超国家主義」を見ていく。実によくまとまっていると思う。ここだけでも、日本人の多くが読まれる価値があるのではないか。
日本の明治の国家の骨格を作ったのは、伊藤博文であった。彼は日本をどのような国家にしようとしたのか。
もちろん、明治維新がそうであったように、「天皇の国」である。では、そこでは、我々は、なにになるのか。もちろん、天皇の「臣民」だ。

日常我らが私生活と呼ぶものも、ひっきょうこれ臣民の道の実践であり、天業を翼賛したてまつる臣民のいとなむ業務として公の意義を有するのである。…かくて我らは私生活の間にも天皇に帰一し国家に奉仕するの念を忘れてはならぬ。我が国においては、官に使えるのも、家業に従うのも、親が子を育てるのも、子が学問するのも、すべて己れの分をつくすことであり、その身のつとめである。(伊藤博文『臣民の道』第三章「臣民の道の実践」)

このアイデアそのものは、アジアの伝統ですね、明治維新の人々は、江戸後期の儒学(水戸学)の流れの人たちで、基本的に、純粋に朱子学者であり、真正の朱子学の政治を実現してみせると、そんなモチベーションもあったでしょう。
伊藤は、「みなさん、今までは、いろいろな上にご奉行してきて、その上は、またその上でで、徳川を頂点として、やってきましたね。でも、徳川は大政奉還しました。今後は、どうすればいいかと言いますと、みなさんの上は、天皇様ですよ。その間にだれもいませんよ。みなさんは、ただ天皇様だけに、ご奉行してくれればいいのですよ」、こんなふうに言ったというところでしょうか。
ただ、よく考えると、武士というのを止めるというのは、なんだったのかなとは思んです。自分たちは、武士として育てられてきて、自分の上の人に、ご奉行していた人たちなんですよね。いくら朱子学を勉強してきて、なんか変だなと思っていたとしても、なんでこんなにあっさりと、その制度をやめようとするのか、とは思うんですけどね。
そういうわけで、天皇というのは、唯一無二の、権力の中心となったわけだから、その要求される正当性論理、拝謁行為は、はかりしれない。

天皇を歴史と世界の中心(最初は国史と日本の中心、やがて無責任な自己膨張をとげ、世界史やアジアの中心の位置におしあげられる)にたて、天皇中心に国民と日本を統一する伊藤のシステムは、天皇への懐疑や批判や反対がどれほど善意のものであっても、システムの基底をおびやかしかねないだけに、これに対する予防措置や禁圧法律はしゅうとうをきわめた。

しかし、こういったことも、アジアの歴史で見ると、今までもあったことではないか、と思わなくはない。
ではそこの、大きな違いはなにかといえば、これが、武士だけどころか、百姓を含む、「すべて」の国民に向けて言われるということだ。
江戸時代であれ、多くの百姓にとって、お国などというものは、年貢に苦しむくらいで、基本はなんの関係もない。百姓は、武士がなにしてようと、関係なく、暮していた。まあ、言ってしまえば、だれでもアナーキストだったということだ。そして、それだからといって幕府も関係ない。たまに、自分たちの前で不遜な態度でもしていたら、切り捨て御免だったくらいの関係で。
言ってしまえば、その辺の百姓など、なにを言っても、難しいことなど、分からないのだから、無駄だったということなのだ。
こういうわけで、あらゆる国民を規律化させる。しかし、それはどういうことを意味しているか。

教育制度、特に初等・中等の教育制度は、国民がこの考えからはずれないための予防措置の役割をはたし、国民の一人一人を、そのネットワークの中で教化し、万一教化にもれる場合が出れば、不敬罪、大逆罪、朝憲紊乱罪、治安警察法(後には治安維持法)その他の数かぎりない法律のネットワークが、誰一人をものがさない姿勢で待ちかまえている。

言ってしまえば、不遜な奴は、かたっぱしから、逮捕して、国民を恐怖させ、反抗させない、ということに尽きる。まあ、ジョージ・オーウェル『1982年』の世界ですね。
では、そこまでして(ものすごく巨大な警察国家による、大量の自国民の粛清を必然的に生み出し、かつ、国民をこのことで過剰なまでに神経衰弱させてまで)、あらゆる国民を規律化させるというような、大変な事業を実現させなければいけなかった事情はなんなのか。
やっぱり、徴兵制なんでしょうね。これからの軍隊は、ものすごい人数の軍人が必要になる、と判断していた。では、それを実現する方法はなにか。日本の土地に住んでいるあらゆる人を全員軍人にするくらいじゃないといけない。そしてそれは、国民全員に対する義務教育を通じて訓練される、という構造をもっている。
しかし、そうは思っても、それなりに、こういったことは、実現できるという、確信めいたものがなかったらできないことだが、それは、欧米の視察の中から、彼らの制度を吸収することで、できるはずだ、という確信があったんでしょうね。
さて、伊藤は、この中でも、ある巧妙な仕組みを導入したという。

天皇だけを絶対的主体とし、国民を絶対的客体だけにとどめておくかぎり、国民のエネルギーは、必ずや反政府、結果として反天皇の方向に爆発し、国家の前途は、それだけ危険にひんするであろう。自由民権運動のエネルギーは、大きな実物教訓をあたえたのではなかったか。/そこで伊藤は、国民が天皇の大政を「翼賛する」とか、天皇の親政を「輔弼する」という形式を考え出し、国民の主体的活動をこの形式に「流入(キャナライズ)」させる道をひらいた。それと同時に、天皇の支配権威をシンボル化し、形式化し、失敗やまちがいの責任が、直接天皇のせいにならないで、かえって翼賛の仕方、輔弼の仕方に帰せられるようなシステムを作りあげた。

いくら、天皇の客体と言ってみたところで、だれもが、ボランタリーに日々の活動を営んでくれなければ、成長しない。そこを、「翼賛」「輔弼」という概念によって、各自の自発性の理屈付けをしてやったということだ。これによって、基本的に、こういう名目さえ立てば、どんなことをやっていてもよくなるような仕組みを用意したということだ。
しかし、これは、逆に言うと、天皇は何もしないですよ、と、まわりが勝手にやっているんですよ、というわけで、天皇の責任が常に問えなくなっている、というわけだ。
今までの、アジアの国の歴史を見ても、将軍の失政による庶民の不満こそが、政権交代の最大の原因だったわけだから、こういったことを考えたのでしょうね。
しかし、どうでしょう。こんなのは、成功しますでしょうか。よく考えてください。ここから、本当に私たちが求めるような、責任感をもった指導者が現れると思いますか。まず、みんなが、天皇様は、ほんとうは、こういうことをしてもらいたいはずだ、という、勝手な憶測の嵐になるはずです。そして、その妄想が、否定される契機がどこにもないがゆえに、いつか暴走するわけです。上記にあるように、この暴走を止める理論なんてなにもないわけです。その「真心」が真正だというなら、この状況で、どうして抑止されうるでしょうか。
平泉澄は、終戦直前になってやっと、天皇家が、軍や政府のリーダーシップをとることを求めました。建武の中興がそうであるように、そうすることで、国民のモチベーションが上るというわけです。しかし、もしそう思うのなら、最初っから、リーダーとして、実務を行うべきです。

現代日本の思想―その五つの渦 (岩波新書 青版 257)

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