天使

四川省地震は、本当に、大変な被害になっている。何万人もの死者という報道まである。なかなか、厳しい状態のようだ。
我われ、日本人には、阪神淡路大震災での、5千人以上の死者を出した経験がある。あの悲惨な経験を思い出すものがある。あのときも、建物が崩れ、押し潰されて、多くの人が亡くなった。
それほどの死者を出すことはなかったが、同じくらいの震度だった2回の、新潟県中越地震があった。
思い出すのは、一回目の時、瓦礫の中から、救い出された、赤ん坊である。ちょうど、エアポケットのように、すっぽり下に入って、救われた。両親は、近くで亡くなっていたが、その時、思ったのは、この赤ん坊こそ、天使と呼ばれるに、ふさわしい存在なのだろうということだった。その後、当時の話では、おじさんの家で、育てらてるということだった。
我われ大人は、成人をこえた時点で、いつか死ぬために、死を迎えるために、生きている存在である。われわれおとなは、最後には、死を受け入れるだろう。死とは、大人にとっては、大人になった時点で、常に身近に存在し続けるものなのだ。しかし、子どもは違う。子どもとは大人が救わなければいけない存在なのだ。子どもを見殺しにしてはならない。我われ大人とはそういう存在なのだ。
日本の救助隊も向っているそうだが、あまりにも遅いし、規模が小さい。
日本人には歴史的にも、より中国国民の助けを求める声に答える使命があるのだ。目覚めろ。
多くの日本の企業も、ぜひ金銭的などあらゆる支援を。そういう志のある企業こそ、庶民に歓迎され、その存在をよみされるだろう(ここでもそういう情報はトレースしていこう)。
なぜ、彼らが死んで、私たちは生きているのか。


16日であるが、結局、中国政府は、海外の人的援助はほとんど受け入れない、と。
中国人民解放軍の、プロパガンダ映像みたいになってるな。
アメリカの雰囲気が変わったのは、フロリダのカトリーナのときからですよね。あのとき、ほとんど州兵がイラクに行っていたために、まったく救援ができなかった。あれでアメリカの国民は目覚めましたね。私は軍事組織、殺人行為を唯一の目的とする組織など絶対にその存在を許されないと思っているが、組織とはそういうものではない。もしなんらかの理由で集められている人間の集団があるなら、それは別にボランティアを行ってもいいのだ。それは、組織に属する人たちそれぞれが考えるべきなのだ。
地震などの自然災害というのは、ピンポイントなんですよね。だれかが言っていたが、阪神淡路のときも、ちょっと離れて、大阪などでは、普通に生活していたそうなんですね。そのギャップが、どうなんだろう、なんですね。その意識の差が、なんか不気味なんですよね。本当は、そういうところの仕組みこそ、平時に考えて用意しておくべきことなのでしょうが....。