見義不為無勇也

「義をみてせざるは勇なきなり」という論語の言葉である。こんな有名な言葉も、論語なんですね(論語「為政編」)。いかに論語がさまざまなところで、日本に影響を与えてきたかなんですね。
日本という国のなりたちを考えると、まず、日本神話の原点となる、あの古事記にさえ、天皇家が、言葉、文字を使った文書を使うようになるその最初のきっかけとして、論語が、外国の使者から送られたという記録から始まるんですね。だから、今でもずっと、天皇家の中で、論語の講義を行う伝統が続いているという話でしたね。日本書紀で、天皇家は最終的に仏教を受け入れますが、それから、基本的に今でも仏教徒として続いているわけだ。こういった姿勢が、天皇家の続いてきた理由なのでしょう。
あの本居宣長、あらゆることを漢心(からごころ)として否定した彼でさえ、論語孔子だけはたった一つの「例外」だって言うんです。宣長は、最後まで、論語、この一つを礼賛し続けることをやめませんでした(しかし、中国の歴史は、儒教とのかかわりとしては、論語が究極的には全てなのですから、宣長の認識もいろいろ考えさせることはあるわけですね)。
論語については、貝塚さんの

論語 (中公文庫)

論語 (中公文庫)

を読んで、衝撃を受けたんですが、もちろん、論語はすばらしいと礼賛だけするつもりはないんですけど、これだけのレベルのものが当時あったということなんですね。はるか昔の人間をばかにはできないということですね(そういうことはいろいろなところで言えるんでして、日本の縄文時代の人たちだって、彼らなりのかんり高度な文明の中で日々を生きていたはずなわけですよね)。
中国、日本、韓国、あと、ベトナムが、一時期、朱子学の影響があった地域であり、漢字が一時期であれ、根付いた地域ですね。韓国、ベトナムは、今は、使わなくなったところがありますが。
日本における、中国語ということでいうと、たいへん奇妙で興味深い関係にあるんですね。奈良時代平安時代の頃に、日本における、執筆活動が始まって、古事記など、いろいろ苦労して、文章を書くようになりましたが、音と訓という分け方がされますね。この、音というのが、外国つまり中国での発音となるのですが、たしかに日本人が発音しやすい感じになっていますが、これ、当時の、中国の三国志時代の後の、中国人が使っていて、今は失われた発音をかなり忠実に今でも、今の日本人は使っているんですね。そういう感じで、中国人にとって、日本というのは、タイムスリップで昔の中国に来たような感じの、昔のものが保存されている、そんな感じなんですね。
そこはいろいろなところにあるそうです。天皇家の神事の様式は、完全に昔の中国で行われていたもので、もうとっくに中国では滅んだものだったり、中国では、はるかの昔にすべて失われて、その本が昔あったという名前だけ知られていたものが、日本において、みつかり、逆に、中国に紹介されるようなことが起きたり。
胡錦濤国家主席が、鑑真の話をしていたが(日本に来たとき、聖徳太子の「以和為貴」(和をもって尊し)を説明されていたが、これも論語「学而編」ですよね)、ようするに、日本の歴史とは、中国から、生き方から、倫理観から、すべて、中国の言葉、中国の人たちがずっと記し続けてきた記録を、ずっと学んで理解する作業をひたすらやってきたという国なんですよ。だから、これほど長い間、中国の人たちをウォッチしてきた他民族は、日本くらいしかいない、ということです。
では、中国における文字、漢字という視点でみてみると、たいへん興味深い事態になります。日本人の話す言葉はもちろん、中国語と違います。まったく違う文法ですし、訓というのは、中国語では、完全に外の存在しないものです。ところが、その日本人は、漢文を「読んで」いたんですね。それがまるで、日本語であるかのように。今でも、ある程度そうなんです。日本人のそれなりに、漢籍リテラシーのある人なら、ただ漢字が並んでいるだけの漢籍を、日本語として読むわけです。なぜなら、その一つ一つの漢字は、「文字としての日本語」の一部になっているからですね。だから、中国人が、漢文を書くとそれは、日本人が見ると、まるで日本語のように読めるという事態になるわけです(だから、読みが一意になるとまではいかないけど、少なくとも、意味は完全に、中国で一意と言えるレベルでは一意になるという、驚くべき事態になるんですね)。実はこの逆もおもしろいですね。日本語の文章は、そもそも漢字を拾っていけば、たいてい意味は通じますね。固い人が、普通、ひらがなで書くところも、漢字を使って堅苦しく書いたら、もう、漢字を拾うだけで、完全な漢文が出来上がりますよ。
ですからこの事態とは何を意味しているかと言えば、本当の意味で、本質的に理解し合える存在というのは、世界のいろいろな国々にはない形で、日本と中国なんですね。お互い、相手が書く漢字を見れば、一発で、本当に深いところまで、相手の哲学を含めて、相手の存在そのものを一気に理解してしまうんですね。
日本人は、本当にずっと、史記十八史略三国志を読んできたし、今の日本人でも、三国志を読んでいない日本人なんて一人もいないんじゃないですか。