アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』

例の、アーネスト・サトウの日記である。これを見ると、かなりの外国人が、幕末に、かなり重要な立場で活躍しているんですね。
そもそも、ロシアが、日本の沿岸に来て、ペリーが来て、フランスが幕府と組んで、それで、イギリスと長州が戦争した後、薩長は、完全にイギリスの支援を受ける形で革命に成功するんですよね。だから、非常に、代理の英仏戦争をやっていたように見えなくもない。
そして、以下は、あの有名な、孝明天皇の毒殺説だ。

また、彼らは、天皇(ミカド、訳注 孝明天皇)の崩御を知らせてくれ、それは、たった今公表されたばかりだと言った。噂によれば、天皇(ミカド)は天然痘にかかって死んだということだが、数年後に、その間の消息に通じている一日本人が私に確言したところによると、毒殺されたのだという。この天皇(ミカド)は、外国人に対していかなる譲歩をなすことにも、断固として反対してきた。そのために、きたるべき幕府の崩御によって、否が応でも朝廷が西洋諸国との関係に当面しなければならなくなるのを予見した一部の人々に殺されたというのだ。この保守的な天皇(ミカド)をもってしては、戦争をもたらす紛議以外の何ものも、おそらく期待できなかったであろう。重要な人物の死因を毒殺にもとめるのは、東洋諸国ではごくありふれたことである。前将軍(訳注 家茂)の死去の場合も、一橋のために毒殺されたという説が流れた。しかし、当時は、天皇(ミカド)についてそんな噂のあることを何も聞かなかった。天皇(ミカド)が、ようやく十五、六歳になったばかりの少年を後継者に残して、政治の舞台から姿を消したということが、こういう噂の発生にきわめて役立ったことは否定し得ないだろう。

まず、驚くのは、アーネスト・サトウが、こういうことを、さらっと書いて、さらに、こういう文章が、岩波文庫に、あっさりなる、ということですね。
アーネスト・サトウは、いろいろ書いているけど、ようするに、かなり確かなとこから聞いたって書いているんですね。むしろ、そういう確かなところから聞いたなんて書くところから、アーネスト・サトウこそ、そこにかなり近い立場の人間だと考える方が自然でしょう。
ちなみに、この頃の、孝明天皇などの天皇については、

幕末の天皇 (講談社選書メチエ)

幕末の天皇 (講談社選書メチエ)

が詳しいですね。とにかくこの時期は、政治の重要人物の、非常に不自然な死が、あまりに多すぎるんですね。今、テレビでやってる、篤姫の夫の、家定も、そういう噂はあるし、明治天皇のすりかえの話もあるし、もうきりがない。

一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫)

一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫)

一外交官の見た明治維新〈下〉 (岩波文庫 青 425-2)

一外交官の見た明治維新〈下〉 (岩波文庫 青 425-2)