三浦國雄『「朱子語類」抄』

朱子語類』とは、朱子学創始者朱子没後、多くの弟子たちが、朱子の生前に、ご教授を受けた内容をメモしていたものを、まとめたものである。
なお、以下で、全訳注作業が、始まっている。

『朱子語類』訳注 (巻1~3)

『朱子語類』訳注 (巻1~3)

しかし、このプロジェクト、私が生きている間に終わるんでしょうかね。なぜ、『朱子語類』の訳注作業が、これほど大変かと言うと、完全に、宋の時代の、口語で、しかも、地方の方言で書かれているからだ(それだけ、朱子たちの生の声を反映しているのだろうが)。
朱子語類』という本が、人類の歴史において、決定的に重要な位置にあることは、重要なポイントである。
朱子は、多くの著作を残し、また、多くの弟子をもった。彼の著作、言行録は、膨大な量になる。
その中でも、この、『朱子語類』、という本は、「特別」な本、である。
どういう意味でか。

50年ちかく中国の古典に親しんできたが、結局のところ『朱子語類』がいちばんおもしろかった。この人の考えたことや感じたことは、千年近い時空を越えてわれわれの胸にダイレクトに響いてくる。われわれ日本人は、中国古典といえばいつも『論語』というレベルからもういい加減に卒業すべきではないのか。

掲題の本の、著者は、このように、『朱子語類』が、 論語の次に、並び称されねばならない位に、重要な書籍であることを強調する(重要なだけではない。論語の次に、「おもしろい」、というのだ)。
前に、柄谷さんの、伊藤仁斎論、をとりあげた。この論文は、一見、伊藤仁斎を、局限まで評価する、スタンスではあるのだが、よく最後の方まで読んでいくと、あれ、っと思う。朱子学に対して、それほど、批判的な印象がないのだ。むしろ、朱子学が、(科挙の制度ともかかわって、)身分制度とは違う、大衆が、政治に参加する、入口として、大きな役割を演じてきた部分があることを、強調している。
ご存知のように、伊藤仁斎は、『朱子語類』を読んでいる。恐らく、仁斎も、この『朱子語類』の、圧倒的ななにかから、考え始めたことは、間違いないのではないだろうか。
仁斎は、朱子学批判から、始めるわけだが、基本的には、同じ、学究という立場を、晩年まで、ずっと貫いた。
もっと言おう。江戸時代、日本人は、おしなべて、この、『朱子語類』に、いかれ、狂ったのだ。
ご存知のように、江戸時代を通じて、朱子学の本場は、朝鮮半島であった。李退渓(イテゲ)など、有名な、学者の活躍などもあって、日本人は、朝鮮という、「進んだ」国に、一目置いていた。
その方向が変わったのは、江戸末期からの、洋学かぶれの、朝鮮侵略主義者が、闊歩するようになってからではないだろうか。
では、なにが、そんなに、この『朱子語類』という本を、特別にしているのだろうか。それは、この、掲題の本の、編集スタンスが、よくその意図を、あらわしているのではないだろうか。
今回のこの本では、まず、第一章で、113巻から、121巻にまとめられている、「訓門人」、から、始めている。
つまり、朱子が、弟子に、お前は、(どういった特徴があるから)どういったことに気をつけた方がいい、といったような訓戒を述べている、ところにあたる。
まさに、論語論語たらしめている、重要な部分について、まず、最初に、もってきている、ということだ。
たしかに、孔子が、どういうことを言いたかったのかとか、孔子の思想とは何か、みたいなことを、彼の断片的な言葉を拾って、やたら言いたがる人が、世間にはみちあふれている。世の中、そういうところからの、右翼思想や、保守思想の本義はこれだ、みたいな放言ばかりだ。
むしろ、彼が何を考えていたか以上に、彼の弟子たちへの、愛情にみちた視線、ですよね。弟子たちの、師匠を見るまなざしであり、師匠の弟子たちに絶えず注がれる、視線。これこそ、儒教の真骨頂でしょう。儒教が、師匠と、弟子との、対関係を、最後まで、丁寧に追っていくんですね。
その、孔子の姿を、まさに、継承するように、朱子の、弟子へ接する姿勢が、(また、微妙な彼の性格も反映して)無類のおもしろさを与える。

道学たちが挨拶して退出したあと、先生は私(陳淳)を引き留めて私だけにこういわれた、「どうして疑点を質しておかないのかね」。
「この数日、先生の御教示をうけたまわり、もはや大意は合点いたしました。帰郷して修行あるのみです」。
「このたびの別れ、きっと再会はかなうまい」。
「おのれ自身のことに関しましては、もう会得いたしました。ただ、「変化」に対処する点につきまして、いっそう御助言をいただけたらと思います」。
「いまはとにかく「恒常」を会得すべきで、「変化」についてはその必要はない。多くの「恒常」の道理をまだ会得しつくすこともできないのに、どうして「変化」を会得する必要があろう。聖賢の言葉には、多くの道理が坦々としてそこにある。とにかく心を広くもって平心にみなさい。奥まで見透したなら、自然に「変化」に対処できるものだ。かたくなに一物にしがみついて、やれ「恒常」を求めるだの、「変化」を求めるだのというものではない」。

ご存知だと、思うが、この、陳淳、こそ、最終的に、朱子学の体系化を行い、完成させた、最も優秀な彼の弟子、と言っていいだろう。
その、陳淳との、今生の別れの場面である。
一体、陳淳を、朱子は、どのように見ていたのであろうか。この、朱子の丁寧な、言葉使いに、朱子という人の、学問に対する謙虚な、姿を思わせないであろうか。
彼は、弟子たちが、いかに優秀であり、彼と並び立つ、聖人と呼ぶに値する存在であることを、よく分かっていたのだろう。

「朱子語類」抄 (講談社学術文庫)

「朱子語類」抄 (講談社学術文庫)