ETV特集・選「シリーズBC級戦犯(1)韓国朝鮮人戦犯の悲劇」

こうやって、いろいろ考えてきたとき、私には、今、ある、結論のようなものに、達してきてるのではないか、という実感がある。
上記ドキュメンタリーでは、朝鮮人でありながら、BC級戦犯、として、裁かれた人たちに、注目する。
私たちは、ある、いらだち、の中にいる。
私たちは、戦中の、帝国日本軍のために、あれほどの苦労を重ねてまで、がんばった多くの人たちが、戦争が終わった後まで、これほどの、苦しみの中を生きなければならなかったことに、ある種の、忸怩たる思いを禁じえない。
なぜ、彼らは、彼らの名誉の回復がされることのないまま、このまま、人生を終えなければならないのだろう。
もちろん、ここには、各個人がどのようにあがこうとも、ゆるがせにできなかった、大きな流れ、力、つまり、帝国日本軍の、この国家の意志、があった。石原東京都知事も言っていた。多くの日本軍の戦死者が、なにで死んだのか。ほとんど、「飢え」なんですね。いかに、帝国日本軍が、兵站を軽視していたかが分かるであろう。そのような無能な、指導者に、無謀な突撃をさせられたこと。この憎しみは、決して、どんなに時代が流れようとも、忘れられることはないであろう。
もちろん、当事者であった、本人たちは、その裁きの間、牢獄の中で、多くの思索の中、反省の考えを育んでいく。
本人たちは、その後、何度も、勉強会を重ね、自分たちが、「実際に」やった行為、多くの人を無下に殴ったり、時には、死なせたり、とやってたこと一つ一つは、どうやったって、申し開きのできない、現前とした事実である。なんの、自己弁護がありえようか。それは、本人にとって、実感として、ありええないのだ。
しかしそこには、ある重大な事実が、現前として、ある。
それは、まさにその戦後における、「同じ同志」として戦った友人たちへの、この日本という国による、「差別」である。
日本は、「戦後」、差別国、になった。
戦後、日本政府は、韓国との国家間賠償、を理由に、「一切」の、台湾韓国朝鮮人の、帝国日本軍協力者への、個人補償、国家賠償を、拒否してきた。
なんということであろう。
この差別はなんなのであろう。彼ら帝国日本のために働いた人たちは、自国では、さまざまな差別を受け、苦しい日々を生きた。多くが、粛清されたし、多くが、さまざまな非難の中、なかなか職にもつけず、多くの人が自殺した。
どう考えてもおかしいのは、日本である。「同じ国民」として戦ったのではなかったのか?その「同じ国民」だった一方は、手厚い年金支給を行い、他方には、「一切」の援助をされずに、だれからも認められることなく、失意の中、こうやって、この世を去って行っている。
むしろ、このことに疑問をもったのは、「同じ同志」として戦った友人たち、つまり、日本の元軍人たち、なのである。日本の元軍人たちは、「友人」として、彼らへサポートを、さまざまに行う。
日本の裁判においても、ことごとく却下なのでしょうが、多くは、同等の補償が行われるべきことを(当然ですけどね)言っている。また、2006年ですか。韓国で、彼らへの名誉回復、戦争被害者、認定が行われ、多少、表に出てきやすくなっている。そして、民主党は、2008年に、韓国朝鮮人、台湾人、BC級戦犯、への補償の法案を、衆議院に提出する。
私は、これは、その人の考えを見分ける、たいへん重要な「橋頭堡」になると思っている。
なぜ、この問題が重要なのかは、私のブログを読んでもらえれば、わかるであろう。彼らは、たんなる外国の日本の協力者、ではない。私たちと、ともに、運命を共にしてくれた、同じ、この帝国日本の臣民として生きてくれた、大切な同志、友だちなのだ。
もし、今ここで、こういう人たちをないがしろにしたなら、彼らへの恩を忘れた行為をするなら、日本の将来は「ない」。