村上春樹「僕はなぜエルサレムに行ったのか」

著者が、イスラエルで、エルサレム賞を受賞し、スピーチをするまでの、いきさつをつづった、エッセイ。
村上春樹は、日本の作家の中でも、もっとも、世界中で読まれている、現役の作家であろう。
その彼が、このクリティカルな時期に、そういう賞を拒否しなかったことは、いろいろ波紋をよんでいるようだ。
基本的な、彼の考えは、最初に書いてある。

また、これはエルサレム・ブックフェアに所属する賞であって、国家から招かれたわけではありません。

つまり、民間の賞、だということですね。スーザン・ソンタグや、アーサー・ミラーも受賞しているんだそうだ。
しかし、昨年、12月からのガザ空爆があり、大変な事態になった。実際、授賞式が行われたのは、停戦後だ。
また、彼がスピーチをした会場には、シモン・ペレス大統領(彼は村上さんのディープな読者だそうだ)、ニール・バラカット、エルサレム市長、など、そうそうたるメンバーがいて、懇親があったようだ。
このスピーチであるが、当然、こんな事態ですから、戦争にふれないわけにはいかない。かなり、今回の事態に批判的な内容であることは確かだろう(大統領は、彼の小説から、もっと、政治に無関心な人だと思っていたのだろうか。そういうスピーチをすると思っていたのだろうか)。
村上さんは、スピーチで亡くなった父親の話を書いている。

私の父は昨年の夏に90歳で亡くなりました。彼は引退した教師であり、パートタイムの仏教の僧侶でもりました。大学院在学中に徴兵され、中国大陸の戦闘に参加しました。私が子供の頃、彼は毎朝、朝食をとえうまえに、仏壇に向かって長く深い祈りを捧げておりました。一度父に訊いたことがあります。何のために祈っているのかと。「戦地で死んでいった人々のためだ」と彼は答えました。

村上さんは、大きなシステムと、その前に立つ、「卵」という比喩を使う。
以下のような、自分が取材した、オウム真理教地下鉄サリン事件パラフレーズして、以下のように言う。

彼らは自我をそっくりグルに譲り渡し、壁のなかに囲い込まれ、現実世界から隔離されて暮らしていました。そしてある日、サリンの入った袋を与えられ、地下鉄の中で突き刺してこいと命じされたときには、もう既に外に抜け出せなくなっていたのです。そして気づいたときには人を殺して捕えられ、法廷で死刑を宣告され、独房の壁に囲まれて、いつ処刑されるかわからない身になっている。そう考えると寒気がします。BC級戦犯と同じです。自分だけはそんな目には遭わないよと断言できる人がどれだけいるでしょう。

以前、宮崎駿さんの、マザコン、の話を書きましたが、村上さんは、ファザコン、なんですね。彼も、瞳の裏の闇を覗いた世代なんですね。
あと一つ問題なのは、ようするに、オウムの信者への村上さんの興味が、彼のお父さんと、オーバーラップされていた、ということですよね。お父さんの、軍隊共同体での生活と、仏教へのコミットに、オウム信者との、親近性を感じられた、ということでしょうか。私は、村上さんの、あまりいい読者じゃないので、彼が、地下鉄サリン事件にのめりこんでいったときの動機が分かりませんでした。なぜ、今ごろになって、こういう社会問題に、興味をもったのか、その動機を不思議に思っていたものでした。
しかし、果して、戦中の日本軍とオウム真理教は、そういうふうに、単純に、並べられるのか、というのはありますね。少なくとも、軍隊は、国家の義務であり、赤紙で連れていかれる。逆らえば、その場で、射殺される。しかし、オウムは、個人の意志で信者になる、とされる。もちろん、入ったら最後、全財産を寄付させられ、個人資産を持つことを禁じられていたのかな。入った後は、似たような状態なのかもしれませんが(そういえば、ヤマギシ会って、今でも、同じようなことをやってるんですかね)。でも、オウムなら、絶対に、脱退できなかったわけでもないんだろうけど。
つまり、言いたかったことは、この文学者による「抽象」的な、隠喩が、あまり一般的になると、その間の「差異」が消えてしまう。そこが、気になるのです。
それは、今回のイスラエルにしてもそうです。こちらは、むしろ、我々、先進国の人間の「加害者性」ですよね。イスラエルの軍事費に多額のお金を提供していうのは、アメリカなわけでしょう。アメリカは、実質、共犯、なのでしょう。そうであれば、そのアメリカと、軍事同盟を結ぶ日本に、どうして、加害者性、がないと言えましょうか。今回の村上さんの発言が、まったくの被害者性にのみ共感し、感情移入をしているように読めることは、少し幼稚に思われるし、批判を免れないでしょう。
村上さんの、そのアプローチが、どうも、なんとか、お父さんの罪をできるだけ、小さい、しょうがなかったものに、免罪したい、そういうモチベーションが、心のどこかにあるんじゃないのかな、という印象をもつんですね。やっぱり、オウム信者に対しても、どこか、しょうがなかった面があったんじゃないか、というふうにですね。
村上さんの、文学活動のモチベーションが、このファザコンだったとするなら、そのことを、私たちは、どう考えればいいのでしょう。
村上さんの言っていることは、半分、合っている。もちろん、文学的な、個人の視点からのアプローチは必要だ。しかし、逆も、必要なのだ。もっと、学問的な、一般論。社会的な、共有知、を構築していこうとするアプローチも。もちろん、後者の方法には、前者によって補完される形でしか防ぎえない、弱点はある。しかし、後者(正論の構築)もやらなければならない。
ただ、一つだけ言えることは、村上さん自身、上記のエッセイの最後で、自分たちの世代が、もう一度、社会問題にコミットしてもいいんじゃないか、とうながしていることですね。
多くの彼の愛読者が感じていたことは、村上さんの議論は、あまり、構築的でない、ということですね。多くの人にとっては、結局彼が何を言いたいのか、何に興味があるのか、どういう未来を構想しているのか、どんなに、小説を愛読しても、よくわからない。むしろ、彼自身が、確信犯的に、エゴイスティックで、わがままな、人物を、あえて、描こうとしているように見える。
齢60にさしかかり、村上さんが、さらに、さまざまな社会問題に、さらに、明瞭判明に、発言していって、どんどん議論をふっかけていく姿というのは、もしあなたが愛読者なら、きっと、そうあったらなぁと、思い描く姿なのかもしれません(私は、あまり最近のものを追ってもいませんし、興味もそんなにないんですけど)。

文藝春秋 2009年 04月号 [雑誌]

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