山森亮『ベーシック・インカム入門』

一つ前で、今回の、給付金について、麻生さんを批判したが、実は、私は、ある「条件」において、この政策は、相当に「先進的」な、未来の政策、だと思っている。
それはなにかと言いますと、たった一回だけやるのでなく、「ずっと」やること、である。
なぜなら、これこそ、「ベーシック・インカム」だから、です。
掲題の新書は、この、ベーシック・インカム、について、小冊子ながら、実に、さまざまな視点からの議論を網羅していて、大変、内容が濃い。
ベーシック・インカム、とは、ある一定の金額のお金を、恒常的に、「すべて」の国民に、無条件で、渡す経済政策です。
この政策が、なぜ、これほどの長いスパンで、長い間、多くの、議論がされてきたのか。
それは、この政策の理念が、まさに、未来に向けて、実現を目指さなければ「ならない」、崇高な人類の理念、だからであろう。
やはり、だれもが人間らしい、最低限のレベルでは、どういう状況であろうと、手当てされるべき、ということは、本当のところでは、だれでも気付いている。
この、政策の特徴は、幾つかある。
まずは、なんと言っても、たとえ、金持ちだろうと、貧乏人だろうと、乞食だろうと、誰であろうと、赤ん坊だろうと、小学生だろうと、お年寄りだろうと、(国民なら)みんながもらえる、ことですね。
つまり、「差別」がないのです。たとえば、生活保護、を受けている家庭は、たしかに、国から自動的にお金を払ってもらうことで、ある程度、人間らしい生活になっているということだろうが、彼らにも、負い目の感情が現れてくるであろう。障害者もそうでしょう。特別に、手帳をもらって、というのは、当然の話なんだけど、やっぱり、「わるいなー」とは思うだろう。
そして、あげる政府の側も、その国民が「本当にそれを貰える状況なのか」と、疑心暗鬼になって、徹底して、身辺調査をやることになるだろう。
また、大事なこととして、本来は、その生活水準を考えると、そういう生活保護、セーフティー・ネット、を受けるべき立場の人なのに、実に多くの人がその権利を主張することなく、生活している。たとえば、路上生活者や、ネット・カフェ難民、ですね。こういう、隠れた「差別」、ですね。
しかし、上記政策は、そういう感情は、かなり薄くなる。なぜなら、「みんな」が「同じ額」をもらう、からです。
もちろん、多くの人たちが、批判をしてきた。なにも、金持ちにまで、やらなくてもいいだろう。絶対、国民は働かなくなるよ(昔の、ダメ連、みたいなものですな)。
なぜ、この、ベーシック・インカムの問題が、決定的にクリティカルなのであろう。
おそらく、これが、社会主義共産主義、の理念の、「部分的な」実現となってると解釈できるから、ですね。
20世紀の歴史を、「社会主義の失敗」の歴史と総括する人は、ナイーブである。ソ連を中心とする、東欧社会主義国家は、ベルリンの壁の崩壊、ソ連の消滅、によって、国家勢力としては、消滅した。しかし、そもそも、その前の冷戦の頃から、アメリの政府とソ連の指導部は、仲良くビジネスをしていた。そりゃそーだ。もーかりゃ、なんだっていいんだ。ウィンウィンなら、だれが文句なんか言うだろう。喧嘩してるポーズを表向きしてただけ。
それを、「結局、社会主義。自由のない、恐い制度だったね」でかたずけるわけにはいかない。なぜなら、アメリカを始めとする、自由主義陣営は、その間、ソ連共産主義陣営の政策をよく勉強して、いいところをとりいれて、学んだからだ。ソ連側が、大変手厚い福祉をやったら、負けるわけにはいかないんで、同じことをやったんですね。忘れてはならないのは、日本だろうと、どこの国だろうと、一度は、「間違いなく、もうすぐ、社会主義、になる。共産主義革命が実現する」、と、だれもが思った時期があったわけです。
もちろん、社会主義に欠点があったことは確かだ。それは、徹底した、福祉国家の問題でもあるのだろう。福祉を一度認めると、そこには、「権力」が発生する。だれに、その福祉を認めるかは、その「認める」側の役人の権力となる。当然、汚職の温床である。また、さまざまに言われている、フリーライダー問題を、発生させる。
この問題は、私は、なにも無くなった問題ではないと思う。それは、公務員というものを考えてみるといい。彼らは、国家から、金をいくらでもむしりとってくれば、言ってみれば「働かなくたって、いくらでも、金持ちになれる」のだ。国家は、打ち出の小槌、である。国家こそ、「錬金術」なのだ。
おもしろいのは、あの、シカゴ学派リバタリアンミルトン・フリードマンが、このベーシック・インカムの「一部実現」を求めているとも思えることを言っていることですね。

フリードマンは前述の『資本主義と自由』のなかで次のように論じる。「もし目標が貧困を軽減することであるなら、われわれは貧困者を援助することに向けられたプログラムをもつべきである。貧困者がたまたま農民であるなら、彼が農民だからではなく貧しいからということで、彼を援助すべき十分な理由がある。すなわち、特定の職業集団、年齢集団、賃金率集団、労働組織もしくは産業の構成員としてではなく、人びとを人として援助するようにプログラムは設計されるべきである」。

どうだろう。この高潔な理念。竹中平蔵の(福祉をやらない言い訳のための)セフティー・ネット、と比べても、雲泥の差、でしょう(以前書きましたね。セーフティ・ネットとは、セーフティ・ネットをやらないための、セーフティ・ネットですからね。セーフティ・ネットを本気で実現したら、高福祉国家になるんですから、最初から、これを、いかに、真面目にやらないかが、課題なんですね)。
竹中平蔵は、テレビでさかんに、「政治はさまざまな政治勢力の力の拮抗する場」であることを理由に、彼らがやった政治改革が、まったくの骨抜きになっている、言い訳をしていたが、それは、言い訳というより、むしろ、彼こそが、そういう骨抜きを望んだのだ。なぜなら、彼も、そこから、「利益」を得られるからだ。オリックスの宮内が、かんぽの宿、でひともうけしようとしている姿(その裏で、これからも、どこまでも続く、多くの郵便局資産が、一部、ハゲタカにより、二束三文で、売り渡されていくだろう)を擁護して、「それじゃあ、民間はだれも、政治に協力してくれなくなる」と、テレビで、のたまっていた。こいつは、正直なのだ。ようするに、自分だって、うまい思いができなかったら、こんなことやらなかったし、暗に、あの郵政の政局で、こいつは大もうけをしてたんじゃないか、って話でしょ。政治の立場を利用して大儲けをするのは、当然だ、という考えの人間なのだ(小泉・竹中政治は、別でまたやるでしょう。一見、保守的な過激なことを言っている人より、リベラルなことを言っているような人の隠微な他者支配の欲望が、「危険」なんですね)。
話が脱線しましたけど、そのフリードマンの理念が一部実現されている、と思われるのが、負の所得税。一部の国(アメリカ、イギリス、フランス、ニュージーランド、スロベキア、など)で導入されている、「給付型税額控除」だ。

しかし、部分的な負の所得税ともいえる低所得者向けの給付型の税額控除の制度はその後アメリカやイギリスなどで導入されている。アメリカでは稼得所得税控除(EITC)と呼ばれる制度が1975年に導入された。導入時には子どものいる労働者のみに対する時限立法であったが、事後の還付のみならず事前給付も導入されるなど、徐々に制度は拡大し、現在では少額ながら子どものいない労働者にも給付されている。

最低賃金が話題になるとき、よく国際比較で日本の方が欧米各国より低いといったことが話題になるが、その時に示される金額にはこの給付型税額控除は入っていない。これが導入されている国との実際の所得の差は最低賃金の額面より大きいのである。

ここからも、日本の言う、「中福祉中負担」が、まったくの、でたらめ であることがわかるであろう。再度、繰り返そう。中福祉中負担とは、手厚い福祉も、多くの人に、ボランタリーな活動を促す減税も、両方、「真面目」にやらない、という宣言なのだ。こういう言葉を使う政治家は、せいぜい、恥かしく思うべきであろう。
もちろん、財政秩序は、国家の最重要の課題である。ジンバブエムガベのように、さまざまな要因から起きるインフレを、国家のテメーカッテな人気取りによって、「半額で商品を売らなければ、牢屋にぶちこむ」などと、啖呵を切れば、その国は、滅びる。しかし、「人間として最低限の生活水準、文化生活」は、わが国の(世界でも最も先進的な理念を内に含む)憲法で約束されているくらいなのだ。こういう生活、から遠く離れた人々がそのままでいいわけがないだろう。漸次的な、この理念を実現するための、一歩一歩を、この憲法が保持される限り、生涯に誓った、我々は崇高な理念に生きる国民なのだ。

ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

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