長山靖生『テロとユートピア』

橘孝三郎、について、今、あらためて考えることの意味はなんなのだろうか。
井上日召、などの、いわゆる、血盟団、の、5・15事件、こそ、あらゆる意味でも、戦前の日本のターニングポイントであっただろう。
しかし、この事件の前に、世界において、非常に重要な事件が起きている。
もちろん、世界恐慌、である。
日本も、この、不況のダメージを、長く受けることになる。
孝三郎、という人は、変わった人だったようだ。学校時代は、教師と反目し、図書館で独学する毎日であり、一高を、卒業間近で、中退し、実家で、農業を始める。
トルストイ主義なんでしょうか、武者小路実篤、の、新しい村、と同じように、インテリによる、農業回帰、なんですかね。有島武郎、なども、そうですかね。
いずれにしろ、半分は金持ちの道楽、散財だったとしても、実際に、農業をやるわけですからね。多くの若い農民に影響を与えるわけです。
やはり、どう考えても、農業問題、というのが、重要と考えない、いわれはないわけですね。日本の今の自給率を考えても、世界は、ちょっとしたことで、ブロック経済化が、起きるでしょう。
孝三郎の、兄弟村、が、たとえ、空想的なものだったとしても、農業問題が、当時においても、さらに、重要な問題だったわけですね。

田畑で耕作を続けていれば、土地が痩せてくるのは仕方がない。肥料は農業生産者にとって、必要欠くべからざるものだ。当時、多くの零細農家は、この肥料購入のために破綻していた。現金収入の少ない農家では、春に肥料問屋から肥料を借り入れ、秋の収穫後に利息を添えて支払う契約をした。しかし米価急落で支払いが出来なくなった農家は、土地を手放して小作に転落するしかなかった。いつの頃からか、農民にとって肥料問題は、高利貸しと同様に恐れられる存在になっていた。
土地を手放しても、小作農としてでも農地に残れれば、まだいい。借金の相手が地域の小地主や質屋であれば、土地の名義が書き換えられても、そのまま耕作者として認められるケースが多かった。だが、銀行や大手の肥料会社に土地の名義が移った場合、農地は別の生産性の高い農家に貸し付けられたり、工場用地に転用されることもあった。肥料問屋の利益は、地方の肥料問題ではなく、化学肥料を生産している都市資本に吸い上げられていくのである。地方は都市資本にまるまる搾取されているのだった。
土地を失うと同時に職を喪った者は、生活の糧を得るために故郷を離れ、都会へ出て行かざるを得なかった。そしてそこでも職があるとは限らないのである。生活に窮し、地縁からも切り離された人々は、炭鉱や鉱山、あるいは外地へと流れて行かざるを得なかった。「満蒙開拓」に駆り立てられた農民の中には、そのような人々が少なからず含まれていた。
そもそも孝三郎が満蒙開拓に否定的だったのは、彼自身が原野を切り開いて開墾していった経験があり、その困難さを十分にわきまえていたためだ。満蒙には広大な土地があるといっても、耕作に適している土地は限られている。土地にはそれぞれの地味というものがあり、気候の問題もある。真面目に農業に取り組んでも、その真面目さの故に、収穫のたびに次第に土地は栄養分を失う。痩せた土地をどうにかしようとして、肥料購入費で悩まされているのが日本国内の農村疲弊の大きな原因なのだ。放牧が行われてきた荒野が、耕作地に向くとは思われない。「広い」満州でも耕作に向いた土地は限られている。
彼の地で余っている土地は、農耕には適さない。現実に土を耕している者であれば、それは容易に分かる問題だった。
実は加藤らが指導した「満蒙開拓」は、はじめからからくりがあった。開拓団が入植した土地は、彼らの手によって拓かれた土地ではなく、現地の農民の耕作地を強制的に安く買い上げて収奪したものが充てられていた。やはり農耕に適した土地は、日本人が入植する以前から、現地の人々によって耕されていたのである。

孝三郎ら、兄弟村の、人々は、5・15事件、に関わるわけであるが、孝三郎が、人殺しをやるわけがない。じっさい、井上日召、なども、孝三郎などの兄弟村の連中が、人を殺める立場の行動は難しいと考えていたようである。孝三郎は、このクーデターに参加することへ、ひくにひけない立場になっていく中において、あの、発電所の爆破というアイデア、を思いつく。それによって、日本人に、文明への懐疑を思い出させよう、というのだ。この、なんとも喜劇的な空想的な思いつきは、なんと、実際に、当日、実行されているわけだ(孝三郎自身は、日本にいなかったようだが)。
世界恐慌まで、日本は、ドイツと同じように、ずいぶんと、自由な社会だったようである。しかし、世界恐慌、から、社会の雰囲気が変わる。まず、その苦しみの直接の打撃を受けるのが、貧しい人々である。裕福な人や大きな企業は、そもそも、政府も大きく援助を行うし、カルテルをやることで、それほど、急激には、やられない。まず、末端であえいでいる人たちに、甚大な被害が及んで、のっぴきならない雰囲気になっていく。
これを、最近のインテリは、「だからこそ、大企業の景気が大事なんじゃないか」と、のたまう。こういう奴らは、そもそも、資本主義の否定など、考えたこともないのだろう。
世界恐慌で、どんどん、日本の貧困層が悲惨な状況になっていく中で、国家総動員法が成立する。貧困の問題に比べたら、各個人の自由など、「たいした問題でない」、となるのだろう。赤紙は義務。それに疑問をもつことは、たんに抑圧される、だけではない。国家に命を捧げることは、その純粋な心の、礼賛となる。その行動が、無謀で無鉄砲であればあるほど、その一途な取り組みは、汚れを知らない、ピュアな心情となる、というわけだ。
孝三郎をみても分かるように、農業を、どこまで資本の論理でやれるのかは、難しい問題だろう。しかし、重要なポイントは、これが、「基本」だということだ。農業は一つの人の生の中心にあるものであって、だれかがやらざるをえないことだけは間違いない。しかし、その方法を間違えるなら、土地を荒廃させるだけの結果になるであろう。もっと言えば、もしこの農産物、食品の、それなりの平等な分配さえできれば、多くの人がこの不況を乗り切り、サバイブ、できるかもしれない。
いずれにしろ、農業が、大変な苦行であり、なかなか、資本の論理にのらないものであっても、人の生の一つの基本である、ことだけは、どんな時代が来ようとも変わらない、ということなのだろう。
よく、世代論、なんてものをぶつ、文化人がいる。俺達の世代はどうのこうの、とかいうあれだ。しかし、そうかね。そんな暇があったら、戦前について考えてみろってことだ。今の雰囲気があまりに、戦前に似ていることを。

テロとユートピア―五・一五事件と橘孝三郎 (新潮選書)

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