文明開化

日本をなにか、オリエンタリズム、ではないが未開の国、として扱いたがる、欧米の人の意識を感じるわけです。
しかし、それはおかしい。
日本では、はるか昔から、欧米人、のことを知っていた。もちろん、フランシスコ・ザビエルなどの、キリシタン、である。日本人は、昔から、よく、知っていたのだ、彼らのことを。
しかし、日本は、中国との国交をうまくつくれなかったことを理由に、長崎の出島のみを、政府の管理のもとでのみ、開港するという、いわゆる「鎖国」政策を、江戸時代を通じて行う。
たしかに、そのことによって、日本には、欧米の知識は少ししか入ってこない。しかし、まったく無かったわけでもない。中国語に翻訳された、欧米の書物は、一部ではあったが、輸入されてもいた。
では、文明開化、とはなんであったのだろう。
それは、まさに、黒船に象徴される事態であった。黒船により、強引に開港させられ、不平等条約を締結させられ、始めて、これが、なにを意味する事態かに、気付いた。
欧米のリアルタイムの情報を積極的に吸収し、国家防衛を構想するための、見識を広めることの重要さに気付く。
世界は暴力的な、征服、被征服の、国家関係に突入していることに気付く。だとするなら、この事態に対応し、サバイブする施策とは、おのずと見えてくる。
つまり、彼らの土俵の上で戦えばいいわけだ。

実際、明治前半期は、西欧思想の日本人による学習とわが国への継受が急ピッチで推進された時代であった。伊藤博文憲法の師であり、また、明治中期において「シュタイン詣で」と称される流行現象を招いたウィーン大学の国家学教授ローレンツ・フォン・シュタインは、つぎように記している。

現在、極東の島国から、単なる若い学生たちばかりでなく、ひとかどの大人たちもがここ欧州へと赴き、この地のことを、この地の制度のことを、そしてこの地の法のことを学ぼうとしている。一体、われわれのいかなるファクターが、彼らをそのように駆り立てているのであろうか。このような事態と比肩しうることは、世界史上、ほとんど一例しか見当たらない。

こう述べて、シュタインが引き合いに出すのは、紀元前五世紀の半ば、王政から共和制に移行したばかりのローマが、ギリシャ使節団を派遣し、国制の調査をおこなったとの史伝である。

文明史のなかの明治憲法 (講談社選書メチエ)

文明史のなかの明治憲法 (講談社選書メチエ)

しかし、ローマが、ギリシャ使節を送ったなんていうことが、どう考えてもあったはずがない。伝説のたぐいであろう。
もちろん、今では、留学と称して、中国の優秀な学生も、日本の優秀な学生も、みんな、アメリカの大学で学んでいる。
そんなふうに考えると、明治から、この構造は、まったく変わっていないことに気付かされる。
彼らは、骨の髄まで、アメリカナイズされ、たとえ帰国の途に着いたとして、母国にどれくらいの、恩義を感じているものなのだろう。
いい加減、やめてみないか。
そこにあるのは、各国を股にかけて、飛び回り、その差異めがけて、商売にいそしむ、個人ではないか。そんな人たちに、日本独自の素晴しさを語ってみても、それはあくまで相対的な話で、なんら日本を選ばないいけないと思うかの理由とはならないだろう。