どうも、世界中で、おかしなことになっている。
さかんに、また、「悪魔の搭」、原子力発電所の建設ラッシュ、が始まっている。
なぜこんなことになっているのか。
そもそも、地球温暖化のキャンペーンが、原子力発電関係者によって始められたことは、よく知られたことである(今では、このこを強調する人は少ないようだ)。逆に、原発は、CO2をださない、だから、「クリーン」なんだと。
どうも、おかしなことになってしまった。「悪魔」は「天使」、なんだとさ。
なぜ、原発を作りたがる勢力が途絶えることがないのか。
これが、最高に「うまい」のだ。これほど、金のかかるものはない。まさに、これこそ、「錬金術」そのものなのだ。
一番の問題は、もちろん、原発稼働中の、事故、による、チェルノブイリ化、であるが、こちらは、振動を瞬時に発見して、稼働を止める技術は、これ以上ないくらいに、発展しやがった。しかし、二番、いや、ある意味で、一番以上に問題なのは、「廃棄物」である。
これの特徴は、「解決策がない」ことである。
さまざまな放射性廃棄物は、人間の寿命など、比べものにならないくらいの間、一瞬で人を殺すくらいの、放射線を発し続ける。しかしこの、廃棄物...。
廃棄、できないのに、廃棄物、とはこれいかに。
どこにも捨てられないのだ。地下に埋めたとしても、海底に埋めたとしても、長い年月をかけた、自然の「侵食」をまぬがれる施設など、人間に作れるわけがない。地下水がしみだし、「悪魔」がこの世界に召喚されることになる。どんなり立派な呪文によって封印したつもりになっても、いずれ、未来の子供たちは、この「悪魔」の復活に直面することになる(さて、ここまできて、変だと思わないだろうか。どうしてこれで、CO2を出さないなんて言いきれるわけ。はるか、未来永劫、維持していくこの施設の維持に、いくら、CO2が排出され続けるんでしょーね)。
さて、この買い物、おいくらでしょーね。一度、この事業を始めたら、企業は無限の未来にわたって、国から「たかれる」。こんなにうまいゼネコンの「公共事業」、金のなる木、はどこにもないでしょーね。
もし、ある村が、その処分場を、受け入れたとする。すると、その村は、「死んだ」も同然である。村人は、いつ、その「悪魔」の暴走が始まるか、びくびくして生きることになる。住民が言うことは、「そのリスクの見返りをくれ」。住民が望むのは、その見返りをさんざん受けて、元をとったと思ったら、一日も早く、この地域から、逃げ出すことである。誇りを忘れた人間...。村人は、その時点で、故郷、自らが生まれた母なる大地を「悪魔」に売るのである。