丸鬼太郎『"超"格差社会・韓国』

最近は、東アジア共同体、でかまびすしい。日中韓、に、北朝鮮(、モンゴルも?)、そして、東南アジア、各国になるのであろうか。
おもしろいのは、このアイデアの、日本側の提唱者が、とにもかくにも、「経済的要求」から、来ていることだ。日本の、ここ何年かの、低成長は、今のままでは、これからもずっと続くであろう。だとするなら、この日本の「成長」とは、なにを意味していることになるのだろうか。
もちろん、今の、アジアの急成長と、グレーなまでに「区別がなくなる」ことであろう。日本人は、まさに、「アジア人」ででもあるかのように、当然のように、このアジアの発展の現場に立ち会い、貢献を惜しみなく与える。そのことにより、信頼を勝ち得て、「アジアの一員」としての地位をまっとうする。
想像してみようではないか。東アジアが、もし、一つの国だとしたら。日本人が、どうして、日本「国内」だけに、その働き場を求めることなどあろう。このアジアの発展が、「東アジア共和国」の、発展となる。
この方向性は、あと何年かすると、かなりの現実性をもってくるであろう。アジアの最貧困層は、なんとか、底上げされねばならない。そうであるなら、それは、「アジア人」的な共助の姿勢が生まれなければ、ありえないであろう。
(皮肉なことだが、このことは、過去の遺産をあまりにもひきづる、自民党では、口が裂けても、言うことができなかったのではないか。その自民党を、「チェンジ」して、出現した、民主党だから、こう言えた、ということは、あまりにも皮肉だ。つまり、東アジア共同体は、日本の経済人、なら、だれもが望んでいたことだったのだろう、ということなのだ。特に、最近の、東アジアの経済発展を、目の当たりにして、もし、そう思わない経済人がいるなら、もぐり、かなにかだろう。こういう意味からも、自民党の撤退を、いれかわるようにして現れた、民主党は、必然的な事態だったのだろう)。
まあ、あんまり言っても、嘘くさいだけですが、そんな中、私には、どうしても、ずっと気になる国がある。
それは、(このブログを読めば歴然ですが)韓国、である。
私が韓国について考えるようになった最初の入口は、やはり、日本の江戸朱子学、に興味をもつようになってからではないだろうか。朝鮮通信使、などを通じて、江戸時代を通して、日本人は、ずっと朝鮮思想を、リスペクトし続けてきた。
(たとえば、ファーストインパクトとして、私がお勧めなのは、韓流ドラマ「ホジュン」である。これは、テレビドラマで、大変な長編であるが、もっとも典型的な、朝鮮ではないだろうか)。
しかし、明治以降は、日本の朝鮮半島の植民地統治の時代があり、多くの日本人が、かの国と関係をもつ、さまざまにコミットメントすることになる。日本の敗戦後は、バックラッシュで、日本文化を、韓国は、最近まで、流入させなかった。しかし、実際は、多くの子供たちは日本の漫画を読んでいたし、なにより、日本文化のコピーの横行が、かなり露骨に存在してきた、と言えるだろう。
いずれにしろ、韓国は、ほんのつい最近まで、貧しい国であったが、ここ何年かで、急速に発展する。それを、日本人も、ときには、韓国人自身までが「日本に追いつき追い越せ」をスローガンにやってきた、と自嘲ぎみに言ったりもする。これは、日本にとってのアメリカとまったくの、同型なのだろう。
こういった、発展途上国型の成長志向は、顕著な特徴があって、とにかく、追い付こうとするまでの、そのドライブはすさまじいものなのだが、ひとたび、どういう意味でもいいから、追い付いたと「思えたら」、急速にその、モチベーションを失う、ということだ。日本は、バブルの頃、ジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされたとたん、だれももう、謙虚に世界に学ぼうとしなくなった。みんな内向きに、享楽的な快楽に耽溺する、デカダンス、まさに、「世紀末」に突入してしまった(このことは、前世紀から続いている)。
このことは、韓国にも言えるのであろう。

スポーツの世界だけではない。サムスン電子は、かつて日本が得意としていた半導体モリーや液晶パネル、カラーテレビといった世界市場で圧倒的な首位だ。同社の利益額は、日本の主要電機メーカーの利益の合計よりも多いという。半導体モリーの主力製品であるDRAM市場では、サムスンに次いでハイニックス半導体が2位。液晶パネルでもLGデシスプレイが2位というように韓国企業が上位を独占している。鉄鋼や自動車といった分野でも日本企業を激しく追い上げている。

今では、世界中韓国製品だらけ、である。日本製品をみかけることの方が、めずらしい。みんな、猫も杓子も、韓国、になってしまった。
しかし、これら韓国企業のその出自を見てみると、ほとんど、60年代当時の、韓国軍事独裁政権と、「二人三脚」で、急成長してきた、公営企業や、オーナー企業がほとんど、こういった企業ばかりだというのに気付く。

日本では2009年夏、キリンビールサントリー経営統合が大きな話題になった。両者の企業文化の違いから、統合がうまく進むか疑問視する声も多い。この「文化」の違いの一つが、キリンが三菱グループの上場企業であるのに対して、サントリーはオーナー経営の非上場企業である点だ。サントリーはビール市場から一度撤退したが、「総合酒類メーカーとして戦うにはビール必要」との社内の意見に、当時のオーナーが「やってみなはれ!]と決断したというので有名だ。。
オーナー経営の強み日本も韓国も同じだが、決定的に違うのは、サントリーはオーナー経営を守るため、非上場を貫いたことだ。株式を公開すれば巨額の資金を得られる。そうなった瞬間、企業はオーナーの所有ではなくなる。だから、オーナーも権限を手放すのは当然だ。にもかかわらず、韓国の企業は、株式を公開してもなお、オーナーが絶対権力者として君臨しているのだ。
韓国の財閥はほとんどが、1960年代以降に事業を急拡大させた。創業から50年や60年経過した財閥が多い。ロッテなど一部を除いて創業者はすでに死去した。オーナー2代目がさらに事業を拡大させ、3代目への継承作業が始まっている。だが、主力企業の大半は株式公開企業である。
公開企業になったにもかかわらず、オーナー経営を続けようとすると大きな無理が生じる。創業以来、事業規模が急拡大、その分、企業の価値(株式の時価総額)も高くなっており、相続税などを考えれば、普通はこういうかたちでの経営権の世襲は不可能に近いはずなのだ。にもかかわらず、どうしてオーナー経営が続いているのか。
当然のことながら、彼らはあれやこれや悪知恵を働かせて、なんとか継承作業を進めているのだ。そうして無理なことを強行しようとするから、いろいろな問題が生じる。

韓国最大の財閥であるサムスングループでも、2008年にオーナー会長が起訴される事件が起きた。この事件は前の年に、サムスングループの法務チームにいた検事出身の常務が、退社後に突然、「良心宣言」と称した告発をしたことに端を発する。元常務は、サムスングループの経営権を3代目のイジェヨン氏に継承するために、事実上の持ち株会社であるサムスンエバーランドの株式を不当に安値で譲渡したことや、グループ役員の賞与の一部などを機密口座に吸い上げて管理したことなどを告発した。
サムスングループの支配構造は複雑だ。レジャーランドやゴルフ場などを管理する非上場のサムスンエバーランドが非上場のサムスン生命保険の大株主で、このサムン生命がサムスン電子などの大株主という構造だ。堤義明氏が君臨していた西武鉄道グループが、非上場のコクドを頂点としていたのと同じ構造だ。つまり、非上場で資本金の小さな事実上の持ち株会社を支配すれば、傘下の上場大企業をすべて支配できるという魔法のような構造なのだ。

韓国はちょうど、日本で、小泉構造改革、がはなやかだったころ、日本の「新自由主義」、ブーツ・オン・ザ・フラッグ、よろしく、イミョンバク「新自由主義」政権ができて、今に至る。韓国は、なんといっても、例の「IMF危機」でまるで、別の国になってしまった。
全体としての、国内経済のパイが小さいわりに、上記にあるような、いびつな、軍産複合体コングロマリット、が国内を支配しているという、脆弱さも手伝って、世界中の投資家に狙われやすい面もあったのかもしれない。徹底的に、デリバティブ攻撃を受け、IMF、の一時的奴隷になり下がってしまった。まさに、日本の敗戦後の、進駐軍よろしく、軍事統制ならぬ「経済」統制を受ける、という前代未聞の事態に陥る。
その後、のこの国の姿には、まさに、「新自由主義」とは、どういうものなのかを、先鋭的なまでに、これでもかと、分からせてくれる。ものすごい、経済格差、極端なまでの、教育熱、多くの海外移住者。
彼らは、言ってみれば、「素直」だったのであろう。これが世界の中の「現実」だと思えば、受け入れてきた。日本やアメリカに、追い付き追い越せ、というのはつまり、これらの国と同じルールで勝負する、ということだ。ということは、彼らが、「建前」として、こうやんなかいけないんだよなぁ...、とぶつぶつ言ってぐずっていることを、耳をそばだて、拾い聞きして、真っ先に先頭切って実現しよう、ということだ。
国際競争に勝つためには、法人税をこれ以上ない位安くするしかない。しかし、少なくとも言えるのは、各国の国内事情もあり、どこの国もそれほど極端な対応はできていない、ということだ。特に、日本の法人税はこれだけ高いのに、なぜ、日本の企業は海外に行かないのか、とか、早晩、日本はゴーストタンになると言われても、なんやかんやで、そのままずるずるとここまできているのは、世界の現実を知らない「おぼこ」ジャパン、なのかもしれないが、いずれにしても、そうやって世界中が法人税引き下げ競争をやって喜ぶのは、株主くらいのものだ、ということでしょう。日本の、失われた10年、に起きていたことは、とにかく、株主の配当(と社長の懐)を増やすために、どんなに企業の業績があがっても、従業員や下請けの企業への支払いが増えることは「一円」もなかった。
グローバル化や、国際競争、とは、世界で「お金」をより多くもっている人が、この世界を動かす、ということを言っている。お金をもっていれば、株式会社を自分の思うままにできる。この、世界の「超格差社会」においては、お金が全てなのだ。お金のないやつは、なんの発言権ももてないし、お金のないやつは、このとおりお金を増やす手段もない。この「超格差」によって、事実上、世界は、発言権のある人たちと、そうでない人たちに「階級」化されている、ということなのだろう。
しかし、ことはそう単純でもないんでしょうね。株式会社は資金を集めることが比較的容易な形態だが、多くの投資家は、株式会社を私利私欲のために、ぶっこわすことを生き甲斐にしているような連中ばかりではないだろう。基本的に、従業員たちの自主性を認めないなら、ホリエモンニッポン放送買収のような、全従業員総スカンになる。
そもそもの話、経済学の前提「個人は自己の利益(お金)を最大にするために行動する」っていうその前提、いい加減なんとかしてくれませんかね。教育上よくないと思うんですけどね。別に、株式会社に投資する人が、配当の受け取りを拒否したっていい。株式会社でない会社に、「ボランティア」でお金をドカッて渡したっていい。いーじゃないですか。それがいいことだと思うなら(まあ、無意味な税金でさんざん引かれるんでしょうが)。
本当はもっと、いろいろな側面があるのだろう。奥村宏さんの本を読んで勉強しなきゃ。
日本は、アメリカの、ユー・キャン・チェンジ、そのまま、民主党政権交代に成功して、大きく、梶を切った、振り子の一方に振れたもんだが、さて、韓国人は、あいかわらず「新自由主義」ですか。格差社会は、自由競争の結果なんだから、忍従やむなし、「いつか」はそんな金持ちが俺たち貧乏人も一緒に引き上げてくれる「はず」さ、で行きますか。
しっかし、韓国は、本当に、日本のヤヌスの相貌、なんですね。
彼らは、日本の成功例と言われたことは、「倍にして返してくれる」。我々は日本を乗り越えたぞー、ここまでやったら、「もう日本なんかに学ぶことはねー。コリア・アズ・ナンバーワン」。鼻高々、なんでしょーね。
子供たちは、毎日、当然のように、朝1時まで、「塾」の授業に出席する。笑っちゃうのが、そこで必死こいて「勉強」していることが、日本のセンター試験(最近はなんと言うのか知りませんけど)とよく似た、試験のための、「丸暗記」なんだそうである。そして、国民がここまで、必死こいて、丸暗記、をやるもんだから、なんと、そのセンター試験、あのセンター試験スタイルでありながら、超衒学的な難問だらけという、本末転倒なことになってしまっているそうである。
さらに、困ったことに、ほどんどの学校は、大学とは名ばかりの、就職に有利と自称する、たんなる、専門学校(それが、学科の名前を見ればすぐ分かる)。
人生は地獄だ。認めよう。生きることとは、恥も外分もかなぐり捨てて、臣従することにしか、道はない。まあ、認めてもいいでしょう。
しかし、そういったことと、「学問」は別なんじゃないだろうか。
子供たちよ。今すぐにでも、早く、そのゴミの暗記。やめちまいません? 「全て」頭の中から、吐き出して、一切を一度忘れてしまいませんかね。
そんな自信をなくすためとしか思えないことは、さっさとやめて、君にこの世界で生きる自信を与えてくれる、一冊、の本を読んで、さまざまな、この世の中の多くのことに、心をめぐらしてみたらどうです? まんざら、この世界も悪くねーやって思えてきません?
大学という場所で、やっていることとはなんなのだろう。つまり、大学は、「研究」機関なんですね。
世界レベルの研究姿勢を、回りで見せ付けられ、自分も、これ以上は考えられないような、厖大な研究書、論文、を大量に読み込み、研究をする、とはどういうことなのかを、肌で知り、修得する。そういう場所なんですよ。こういうディープな作業は、人生の一度はしっかりやっておいた方がいいと思いますよ。
勘違いしてませんか? 研究者、って、象牙の搭にいる、あの「学者」っていう、天然記念物の人たちのこと「だけ」じゃありませんことよ。
人間とは、研究者、のことを言うのです。あなたは、これから、一生、死ぬまで、「研究」するんです。忘れないでね。

超格差社会・韓国 (扶桑社新書 56)

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